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ホロコーストを疑っている人のために

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かつてナチスドイツが行ったホロコーストを「なかった」という人たちがいます。それらの主張の代表的なものを、ある海外サイトを参考に論破する試みです。
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2021年1月の記事一覧

アウシュヴィッツの様々な議論(10):証人の宣誓供述書2:シュロモ・ドラゴン(シェロモ・ドラゴン、スラマ・ドラゴン)

トプ画写真は、有名な四枚の写真のうちの一つ(のレタッチされたもの)ですが、ゾンダーコマンドをしていたアルベルト・エレーラというギリシャ系ユダヤ人将校が撮ったものというのが一般的に言われているようですが、そうではない可能性があるとも言われています。どちらにせよ、この後、10月に起きたゾンダーコマンドによる反乱で大量にゾンダーコマンドが処刑されてしまったので、今となっては誰が撮ったのかを確定するのは困難でしょう。 さて、前回記事に引き続き、今回はアウシュヴィッツのゾンダーコマン

アウシュヴィッツの様々な議論(9):証人の宣誓供述書1:ヘンリク・タウバー

ホロコーストに関する証言は膨大にある、とはよく言いますが、その膨大な証言をいくつ知ってるかというと、私などはほとんど知らないと言っていいかと思います。もちろんこうした記述はホロコーストを対象にしていますから、それなりには証言には触れますが、対象はホロコースト否定論であり、それらへの反論が主なために、私自身、証言を読んだりすることはあまりありません。 でも、二つ前の記事で、本当に膨大な証言群のあるサイトを発見してしまい、いい機会なので、アウシュヴィッツ関連でいくつか翻訳してみ

アウシュヴィッツの様々な議論(8):「死体から出てくる油を集めて死体にぶっかけて燃やすなんてあり得ない」は科学を知らない。

今回のテーマは、アウシュヴィッツに限定される話ではないのですが、ちょくちょく出てくる、遺体を燃やしていると人体の脂が液化して壕の底などに落ちてきてそれが集まり、その液化人体油をその遺体にかけて遺体を燃やすための燃料として使っていた、という話に対する否定派のクレーム、に関する話です。 私自身は、この話を知った瞬間に「はぁ?」となりました。これは主に野外火葬時の話なのですが、野外で遺体を火葬するとこれは十分あり得る話です。私が知識として知っていたのは、「遺体も燃料化する」の話を

アウシュヴィッツの様々な議論(7):アウシュヴィッツのバンカー(ブンカー)証言に対するマットーニョの攻撃失敗例

註:こちらの翻訳記事の内容は、以下に含むシェロモ・ドラゴンの項で全面的に再翻訳(2022.9)しています。 アウシュビッツは、1942年の3月頃から、ユダヤ人の絶滅政策を実行するために、いわゆるブンカー(Bunker)が使用されるようになります。そして1943年3月ごろからビルケナウのクレマトリウムが使用されるようになっていくのですが、このブンカーは知らない人が多いのと、否定派は元からブンカーなど否定しているので議論にもあまり登場しないようです。 しかし、ブンカーではルド

アウシュヴィッツの様々な議論(6):失踪した筈のジョン・ボールによる「航空写真の証拠」の新版への反論

トプ画写真はイギリス軍が使っていたとされるDH.98 モスキートと呼ばれる軍用機です。さまざまな用途に使用されましたが、偵察機としても使用され、アウシュヴィッツの航空写真も撮ってます。 否定派の航空写真専門家といえばジョン・ボールです。ジョン・ボールについては以前こちらの記事で紹介しています。 ジョン・ボールは文字通り論争の世界から失踪してしまうのですが、否定派の世界では失踪後も重宝されているようです。で、CODOHからゲルマー・ルドルフ著として改訂版としてその後に出版ま

アウシュヴィッツの様々な議論(5):ゾンダーコマンドによる野外火葬の地上写真に関する偽造疑惑

前回と今回のトプ画写真で、有名なゾンダーコマンドによるアウシュヴィッツの野外火葬の写真をあげていますが、この写真はあまりに有名になりすぎで、私自身は誰がいつどうやって撮ったのかすらもよくは知っていませんでした。映画『サウルの息子』には、この写真撮影の話も取り入れられています。 これらの写真を撮影したのは、ギリシャ人の軍人でユダヤ人であったアルベルト・エレーラだとされているようで、偽造疑惑記事翻訳後に、これらの写真の撮影経緯などに関する記事をヤド・ヴァシェムのサイトから翻訳紹

アウシュヴィッツの様々な議論(4):野外火葬と大量虐殺の関係

トプ画写真は何度も何度も登場する、アウシュビッツ―ビルケナウで行われた1944年8月後半の野外火葬を隠し撮りした写真ですが、この場所(火葬場5の裏手)に野外火葬が行われた最大の理由は、大量の遺体焼却をする必要があった、すなわち、大量虐殺を行なっていたから、と説明されます。なぜなら、遺体の焼却は火葬炉のある屋内火葬場で行うのが通常だからです。野外でやってしまうと、当然外から見られる危険がありますし、実際に航空写真で撮られてしまっています。 故に、このビルケナウにおける野外焼却

アウシュヴィッツの様々な議論(3):航空写真のまとめ

ホロコーストに関する、同時代の航空写真には、私自身はあまり興味を示さなかったので、よく知らない部分ではあります。そこで今回は航空写真のうちで主要なものをまとめているHCサイトの記事を翻訳紹介します。 当時の航空写真は当然の如く、白黒写真であり、現在のGoogleマップでも使われるような航空写真のように精細なものではないのですが、それでもそれ相応の情報を提供してくれるレベルではあります。虐殺の様子を伺わせる様々な情報の他にも、クレマトリウムの解体状況などもわかります。否定派の

アウシュヴィッツの様々な議論(2):クレマトリウムⅠの捏造ではなく復元の話。

今回の話は、以前にもTwitter否定論集で説明しています。 ですが、否定派が認めるわけはありません。否定派の主張は、あくまでも ガス室は断じてなかった なので、この「クレマトリウムⅠのガス室は戦後の捏造」説を絶対に譲ったりはしません。否定派にとっては、ガス室なんかそもそもなかったのであり、戦後にソ連かポーランドがでっち上げで作ったのである、というストーリーは変わることはないのです。 当時の図面(初期の火葬炉設置時、防空壕変更時、煙突の変更時)もあれば、火葬炉があった

アウシュヴィッツの様々な議論(1):ブロック11でのガス処理

今回から何回かに分けて、HCサイトを中心にして、アウシュヴィッツに関する議論ページを翻訳するシリーズとしたいと考えます。 アウシュヴィッツ収容所は、ホロコースト否定派にとっては、デビッド・アービングが「戦艦アウシュヴィッツを沈めろ!」とシュプレヒコールをあげていたように、ホロコースト否定派に関する議論において感覚としてはホロコーストの半分以上を占める話題です。ネット上の素人議論においては雑観として9割がアウシュビッツに関する話題と言っていいくらいです。 その上、アウシュビ

ある親衛隊員によるアウシュビッツの記憶:ペリー・ブロードの回顧録(抜粋)

積読やら雑事やら仕事やら色々と、こちらの記事作成ペースがかなり落ちてきましたが、そんな中、たまたまペリー・ブロードという親衛隊員の回顧録の抜粋を見つけました。どこかにあるのかもしれないのですが、日本では回顧録そのものはありません。映画『SHOA』にも出演しているらしいと聞いていますが、見たことがないので……。 ということで、今回はその記事の翻訳です。少々、ポエム調なので若干事実関係が読みにくい印象ではありますが、訳してみた価値はありました。 ▼翻訳開始▼ アウシュビッツ

ホロコーストと言えばユダヤ人大量虐殺ではあるが……

トプ画写真は、ユダヤ人処刑というわけではなく、ベラルーシでのパルチザンの処刑の写真だそうです。 そういうわけで、タイトル通り、ホロコーストと言えば主題はどうしてもユダヤ人になりますが、ユダヤ人以外の領域はではどうだったのか? 気になる話ではあります。例えば、ナチスはソ連兵捕虜を大量に殺しています。ナチスドイツは国際法を守る気が欠片も無かったのではないかというくらいに、捕虜を殺しまくっています。ただ、私はその実数をよく知りませんでした。 ほか、スラブ民族も劣等と決めつけてい

「穴なし!ホロコーストなし!」問題再考(2)

では早速、前回の翻訳に引き続いて続きの翻訳です。 ▼翻訳開始▼ アウシュヴィッツの火葬場2・3のガス開口部をめぐる論争を振り返って-第二部:修正主義者の主張 証言の証拠カルロ・マットーニョは、『アウシュヴィッツの嘘』(2005年、彼の以前の記事「穴もガス室もない」を再利用したもの)の中の28人の目撃者の証言のうち、いくつかについてコメントしている。彼の主張はたいてい同じパターンに沿っている。いくつかの証言に問題があると指摘し、その証言が信用できないと主張し、その証言者が

「穴なし!ホロコーストなし!」問題再考(1)

欧米の人って風刺画が相当好きなようで、ホロコースト否定ネタの風刺画も相当あるようです。上の絵は、学者風の男性が、ビルケナウのクレマトリウムⅡの破壊残骸跡地だと思われる場所でここにあった穴からチクロンBが投下されて2,000人が殺された、と周囲の人に解説し、「なんて酷い事を!」のように言うそれら周囲の人に対し、子供が「穴なんてないじゃないか」と言っている絵です。「子供にもわかるだろ」と言いたいのでしょう。 話は逆でして、穴があったら否定論はそれだけで崩壊します。説明がつかない