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ホロコーストを疑っている人のために

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かつてナチスドイツが行ったホロコーストを「なかった」という人たちがいます。それらの主張の代表的なものを、ある海外サイトを参考に論破する試みです。
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ホロコースト否定の教祖とされるポール・ラッシニエについて(3)

それにしてもフランス語の翻訳は厄介です。もちろんその最大の理由は、私がフランス語を学んでいないからですが、優秀な機械翻訳や最近の優秀な生成AIを使っても、なかなか満足な翻訳結果になりません。たぶんですけれど、フランス語独特の言い回しがあるのだと思われます。英語圏の独特さにはそこそこ慣れましたし、英語の場合は困ったらググればそこそこなんとかなるのですけれど、フランス語はそもそも単語自体がわからず、どこを検索すればいいのかもよくわからない上に、検索すると返ってくるのがフランス語の

ホロコースト否定の教祖とされるポール・ラッシニエについて(2)

前回記事: 前回、どーしてもフランス語がうまく翻訳できず、意味が分かりにくかったり、意味不明な箇所がそこそこあって、せっかく記事にして紹介はしたものの、ちょっと読者の方には申し訳なかった感じもしています。 しかし、ラッシニエがかなりの嘘つきだという事実はお分かりいただけたのではないでしょうか? ラッシニエが自分自身を信頼させるような方向で嘘をついているので、翻訳記事の中でもそう呼ばれていたように、「詐欺師」と言っていいと思います。 今回は西岡が、マルコポーロ論文で以下の

ホロコースト否定の教祖とされるポール・ラッシニエについて(1)

ネットでは、「出羽守」なるスラングがあります。「海外では〜」と語る人を揶揄するためにしばしば用いられます。例えば「ヨーロッパでは〇〇が当たり前」、「欧米ではすでに〇〇になっていて日本は遅れている」のような場合に使われます。そのように言われるようになったせいか、近年ではそうした「出羽守」は少なくなった感じがします。しかし過去、インターネットが一般に使えるようになった初期の頃までは、「欧米では」と語られることは頻繁にあったように思います。ホロコースト否定論を海外から輸入した西岡昌

『西岡論文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」』を反論してみる。

ラインハルト作戦MGK論文への批判の翻訳をちょっと中断。 1995年(平成7年)と言えば、阪神・淡路大震災のあった年であり、またオウム真理教によるサリン事件のあった年でもあります。この年の日本のマスメディアはこの二つの大事件で一色だったと言っても言い過ぎではないと思いますが、この年の1月17日に発売された、文芸春秋社の月刊誌『マルコポーロ』にセンセーショナルな見出しとともに掲載されたのが、今回の表題タイトルの記事でした。 日本のホロコースト否定の歴史なんて別に研究もしてま

チクロンBの素材は珪藻土って本当?

今回は特にどうということもないかもしれない些細な事柄についての短い記事です。いつも長くてすみません😅 アウシュヴィッツのガス室で使われたとされる毒ガスはシアン化水素ガス(青酸ガス)ですが、その発生源はチクロンBという名の製品名を持つ薬剤でした。上の写真のように、缶の中に粉末よりは大きな粒状の、しばしば「ペレット」と呼ばれる素材にシアン化水素の液体が染み込ませてあったとされます。 このペレット自体は、ほとんどの説明では「珪藻土」と説明されているようです。日本語Wikiped

アーヴィングvsリップシュタット裁判資料(22):ホロコーストとヒトラー(3)

ロンゲリヒによる資料の翻訳紹介のラストです。ヴァンペルト報告書の翻訳は19個の記事となっていましたが、今回は3つで済んでホッとしています。 確かに、ヒトラーがユダヤ人絶滅を命じた命令書は存在せず、明確に口頭で命令したことを示す確定的な証拠もありません。しかし、前回までのロンゲリヒ論文の内容を読めば、ヒトラーはユダヤ人問題の解決に強い関心を持ち続けていることがわかりますし、彼自身がたとえユダヤ人の絶滅を命令したわけではなくとも、少なくともそれに反対したことはあり得ないとは言い

アーヴィングvsリップシュタット裁判資料(21):ホロコーストとヒトラー(2)

前回: それでは2回目の翻訳です。 ▼翻訳開始▼ 6.ヒトラーと1937年末以降のユダヤ人迫害の急進化6.1 1937年末までに、拡大主義的な対外政策への移行と同時に、ユダヤ人迫害の新たな、より急進的な段階が始まった。ユダヤ人をドイツから追放するという目標が優先され、これは特に、さらなる差別、直接的暴力の行使、より大きな経済的圧力によって達成されることになった。 6.2 このより急進的な路線は、1937年の帝国党大会でヒトラーが行った強い反ユダヤ主義的演説によって実際

アーヴィングvsリップシュタット裁判資料(20):ホロコーストとヒトラー(1)

ホロコースト否定の議論において、ヒトラーに関する議論はあまりないと言っていいかと思います。強いて言えば、否定派が一つのテーゼのようにして主張する「ヒトラーの命令書がない」がある程度です。他には過去にnoteで起こしてきたヒトラーに関する記事として、以下のものがあります。 ヒトラーに関する議論があまりないのは、一つはヒトラーの命令書が存在しないことは定説側も同意している事項であり、また、ホロコーストの否定論自体に関する議論は、ヒトラー以外の部分で、あまりにも多岐にわたるため、

アインザッツグルッペンの証拠:作戦状況報告書ソ連の内容紹介(2)

追記:紹介している「作戦状況報告書ソ連」の内容は、示しているリンク先の英文テキストから日本語訳にしていますが、元々はイツァーク・アラドらによる『アインザッツグルッペン報告書』から必要部分を手作業で転記入力したもののようで、若干の入力ミス的な誤りを含んでいます。文章にはほぼ誤りはないようで、大意としては問題はないと思いますが、厳密な議論をする場合は、前回記事で紹介してあるアーロルゼン・アーカイブズのサイトなどにある元文書の画像からドイツ語をGoogleレンズなどで抜き出して、翻

アインザッツグルッペンの証拠:作戦状況報告書ソ連の内容紹介(1)

アインザッツグルッペンに関する証拠となる作戦状況報告書ソ連の内容を、この記事では、日本語訳して紹介したいと思います。非常に記事が長くなるため2回に分けます。この作戦状況報告書については、以下で詳しく解説されています。 米軍がドイツから捕獲した作戦状況報告書ソ連(OSR:OPERATIONAL SITUATION REPORT USSR)は、アメリカ国立公文書館(NARA)が所有していたらしいのですが、電子化されているのかどうかもわかりません(どこをどう調べたらいいのかもよく

アインザッツグルッペンの証拠:アインザッツグルッペンの報告書について。

ホロコーストは、大雑把に分けると、ユダヤ人犠牲者600万人のうち、その約半数が絶滅収容所で殺され、ゲットーなどで餓死や病死で約100万人が犠牲となり、これも大雑把に50万人程度が強制収容所で殺され、残るざっと100〜150万人程度が、ドイツが支配下に置いた元ソ連地域のユダヤ人を現地で銃殺やガス車などによって殺した、とされます(註:これらの数値は私自身がざっくり認識しているだけのものであり、広く認識されているというようなものではありません)。 このソ連地域でユダヤ人殺戮の主体

絶滅収容所を通過収容所だとする修正主義説への反論――のための翻訳記事。やっぱりユルゲン・グラーフは「嘘つき」だった。

さて、日本で、と言うか日本語上でホロコースト否定の議論をする場合、困難な事項として、否定論の論文などで使用されている関連文献の多くを参照・確認できないという問題があります。取り扱われるホロコースト否定派の論文自体はネットで公開されているものも多く、言語の壁を越えられれば参照は比較的簡単ですが、それらで使用されている海外の文献を参照するのはほとんどの場合無理です。日本語訳された書籍も大抵ありません。 従って、例えばAという証言者が、Bという本の中で、Cという証言を行なっている

ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(7)

久しぶりに、ポーランドの戦後裁判での証言を中心に公開されているChronicles of Terrorから、ガス室関連の証言の続きを翻訳して公開します。前回までで概ね100余の証言を紹介しています。当該サイトには「Witness -> Crimes ->Gas chamber」で検索して、概ね500人(複数回の証言含む)くらいの証言があり、まだまだ紹介できるものがあると以前から思っていて、それらを翻訳しないのは勿体無いと思っていました。「Gas chamber」以外を含めると

アウシュヴィッツの「絶滅の痕跡は発見できなかった」とする赤十字の報告書について。

最近(2024年2月現在)、X方面を中心に、昔の赤十字のある一つの報告書画像がかなりの量、拡散されています。私が最初に見たのは、2023年頃から目につくようになった活発にホロコースト否定を行うアカウントが現れ、そのアカウントが投稿したポストです。多分すでに何回もポストしてるようです。 この文書は見たことがありませんでした。国際赤十字を悪用したホロコースト否定論についてはいくつか記事を、Holocaust Controversiesブログサイトなどから翻訳して紹介したり、自分