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【エッセイ】#13 親子で過ごせる時間は3年

ふとなにかの広告で「人生で、親子で過ごせる時間は3年」というコピーが目に止まった。たしかリモートワークを推奨する広告だったと思う。

リモートワークをすれば、もうちょっとだけ親子の時間を引きのばせますよ、と言いたげな内容だったと思う。

それはいいとして、「そうか、親子で過ごす時間は 3年 なのか」とシンプルに思ったわけです。

「親子で過ごす時間」というのはどうやら、寝る時間は除いてお互い意識がある状態で空間と時間を共にしていることを指すらしい。

リビングでTVを見ている父親とスマホをいじる娘という構図でも、夜遅く塾から帰ってきてご飯を食べる息子と、それをみつめる母という構図でもいいわけです。

構図として考えると、意外に親子で過ごす時間というのはありふれているようにも思える。

ただ、3年である。3年という数字を聞いたら、人はどう思うのだろう。

人生70年もしかすると 100年は生きる可能性がある中で、そのうちの 3年とすると 5% にも満たないのだ。

自分はこの数字をみた時、大きな比重を占めるといっていた家族という存在を少し疑ってしまった。人生の5%以下の割合でしか物理的に空間・時間を共有しない "家族" という集団とは一体---。

と、考えてみてもそこには答えはなさそうなので、自分なりにこのモヤモヤを解決してみることにした。

結論、親子の関係というのは子が親になってから正しく認識するものであり「3年間しかないんだ」というのはどう振り返っても大人の視点なのである。だとすると、親と子の3年をどうするかはもはや大人になった我々が抱える宿題だ。

ただそこで27歳の自分が親との思い出を振り返った今、「本当に親と子は一緒にいる時間の長さが重要なのか?」という疑問に行き着いた。

自分も親と共に過ごす時間が長かったわけではない。塾にサッカーにバンドに、忙しいのが大好き人間だったし当時は「親の言うことなど聞いてられるか!」くらいに思っていたのだ。

それでも後悔はない。

平日なのに父と釣りにいった夜。母が働く蕎麦屋で人生で初めて豚カツを揚げさせてもらった日。夜ボールを蹴りながらランニングする自分になぜか父がついてきた夜。はじめて母の涙をみた日。

今でも自分と親を繋ぐ思い出が確かにあるからだ。これは時間の長さではなく、濃さの問題だ。たしかに、親子が長く一緒に過ごすことは大事かもしれない。

ただ、これからの自分に残された宿題はそこではなく、
「親子を繋ぐ思い出をどれだけ残せるか」ここにあるのではなかろうか。

そんなことをふと考えた夜でした。親子って一生物ですよね、きっと。








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