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人を殺す覚悟がないやつはコミュニケーションの良し悪しなんて言うな

言葉は人をも殺す凶器だ。
発したものは取り戻せないし、受け取り手によって重さは変わる。
立場が違えば同じ言葉でもものが違う。
だから、私たちは言葉を交わすときに相手ありきで発言を選ばなくてはならない。

コミュニケーションは人がなくては成立しない。とても当たり前だ。
相手なしにはコミュニケーションは生まれないし、相手のいないものは単なる独り言でしかない。
普遍的だけど、それを頭で理解しているか体験的に理解しているかの解像度は、経験則的におおきな隔たりがあると思う。

私の経験だけで話を進めると、前職では人間関係と仕事の物量で精神を壊した。
どちらかだけならまだ持ったかもしれないが、遅かれ早かれだったと思う。
重なって精神がギリギリのタイミングで、友人が「病院に行かないなら縁を切るからそれまで連絡してくるな」と強く言ってくれなかったら、私は多分ここにはいないと自負出来る。
今思えば話で大変恐縮なのだが、それくらい綱渡りの精神だった。
そこを見て見ぬふりをしていて、直視して生きろと勧告してくれた友人は本当に頭が上がらない。
でも、人はそれくらいしないと動くことができない生き物だったりもする。
私もそこまで強く言われなかったら病院に行ってないだろうし、その選択肢が上がる前に自死を選んでいたかもしれない。
助言してくれた友人の存在がとても大きいのはたしかだが、それ以外にも毎日LINEで電話してくれていた友人や一緒に住んでいた恋人の存在も生きている要因だと思う。
多分彼らないし彼女らがいなかったら、私はもっと容易にこの世との別れを告げている選択肢を選んでいた自信がある。
さらに言えば、仕事上でも尊敬する師匠である先輩が味方だったのも強い。
そう言った折り重なりがあって、私は恵まれていて、今ここにいる。ただそれだけ。

同期が心を壊してしまったらしい。
無断欠勤は社会人として良くないのはわかる。
でもそれ以上に、連絡すらできないほど心が追いつかなくてなにもできないのもわかる。
それでもいいから生きていて欲しいと思うのは、私のエゴなのだろう。

彼にも弾糾される要因はある。
会社は利益を求めるので、それに応じていなければ言われるだろう。
でも、側から見ていたら、社会人経験の浅いかれに待たせるには荷が重すぎる内容だったと思うし、経験値不足でできなくて当たり前な部分もあると思う。
それを盾に彼自身が開き直るのは違うけど、要因解明で彼のできなさを叱咤するなら、まずその教育がなされてない点ではないか。
「それくらいできるだろう」は仕事を振った側の観点でしかなく、本当に彼に見合った仕事だったのか、できる範疇の仕事だったのかと言われたら、私は疑問である。

できないことは当たり前だ。
そこを直視して向き合わなければ成長はできない。
ただ、それを理由に人の心を正論でぶち壊していいのか。
正論なら全て許させるのか。
思ったことをそのまま言うのが美徳なのか。
立場は関係なく発言する、がどれだけの人が実行できるのか。
私には理解できなかった。できないからこそ退職勧告されてるんだろうけど。

言葉は人をも殺す。
それがわかっていないなら、コミュニケーションを取らないで欲しい。
もっと言えばコミュニケーション設計なんて話、二度とするな。
目の前の人とすらコミュニケーションできてない人間が、ペルソナである数多の人との〜なんて無理ゲーでしょ?

私は言葉に殺された。
それを分かった上で、私は普段のコミュニケーションは人一倍気を遣っている。
それがおかしいというなら、こっちから願い下げだ。早くクビにしろ。
それならそれで法的に戦う。人の心がわからないやつになんか負けない。

今の会社は「弱いものいじめをしたつもりはありません、そう感じたらすみません」「いじめたつもりはないので、それを改善するにも検知できないのでしようがありません」が罷り通っている。
それでもいいよ、心が頑丈な人だけ採用するなら。
多様性もなく、同じ人たちだけ集めて何かやるならいいんじゃないですか。
受け取り手が悪い理論が正しいなら、それを通すための施策を打ってください。

私は弱いものいじめにならないよう、相手に合わせたコミュニケーションがしたい。
そのためにも相手を知りたいし、相手によって強度を変える。
それが変だというなら、私は弊社にとって要らない人間なので、去る人間が何か言っているで終わらせてください。

言葉の凶器性について理解しなければ、この会社は同じことを繰り返すと思います。
そして何人も同じように潰されていくだけで、あとは沈みゆく泥舟と同じ。

私は、私個人として、同期云々を置いておいて人を言葉の暴力で潰したことを一生忘れません。
それが続く限り、ことあるごとに声を荒げておかしいと言い続けます。
会社の方針として「立場をフラットにして忖度なしに思ったことを発言する」がスタンダードでも、それは美しい虚構で本当に実行できる人は少数だと思うからです。

どんなに私がここで書くだって、結局はエゴ。
救われたかった私を彼に投影しているだけで、それを悔いているだけの同罪。

同罪だとしても、今ここで声を上げなきゃ意味ないと思うので、感情的にではあるけど書き殴りました。

どうか心安らかに、同僚が救われますように。
そしてあわよくば、言葉で彼らが一度殺されるくらいの痛さを味わい、そうしてようやくコミュニケーションの心意を知りますように。

いただいたお金は、美味しいお酒と新しい本に使い、書くためのエネルギーにしたいと思います。