内と外

先日『関心領域』という映画を鑑賞してきました
舞台は第二次世界大戦
アウシュヴィッツ強制収容所と壁一枚隔てた場所で生活する家族の物語

国境や県境といった、自然界にない人間都合で引いたその線で、物事が2つ以上に分けられてしまうこと
白黒、陰陽、プラスマイナス、男女、正誤といった二元論的な考え方
海外で出会った日本人、他の場所で同郷の人に出会うこと
スポーツで無条件に自国選手を応援すること、、

つまり内と外に隔てる壁は、
勝手に自分が設定するものであって、
その外側にどんな世界が広がっているのか?違う視点で物事を見つめたらどう見えるのだろうか?
まずは関心を持つことや、盲目的に今見えているものを信じるのではなく色々な視点で物事をみることの大切なのだろうと考えさせられました

『関心領域』=The ZONE of interest
interestには、興味・関心以外に、利・権益・利権・得
という意味があるので、
自分に利益がないことに目を向けないでいることの恐さ
それを問われているような感覚にもなりました

1945年あたりという遠い昔の、アウシュビッツという遠い異国のお話

そう片付けるのか、自分ごとに捉えるのか
ここを鑑賞者に問うような映画でした









自分が幸せであればそれでいい=目に見えないものへの無関心が招く悪、過去の話なんかではなく世界のどこかで起きている戦争などに目を向けずに平和ボケしていることへの警鐘、お金儲けやいじめも結局一緒で狭い塀の中で自分の幸せを求めることの繰り返しでしかない、エンドロールがしんどい、トライトーン然り音楽の可能性(一番情報量のある視覚を封じた演出の妙)、日本はある意味塀を意図的に作られている節があることも知らねばならない、視点変わればで悪を色彩豊かに・善をモノクロで表現する→見たいようにしかものごとを見ないけど逆に見たいように見られると言うこと。絶対とは何か?それはその人の中にしか作れないもの、お隣さんに関心ないのと大差なし、内と外の境界は結局自分が勝手に引いてるだけ、時間と距離に間があるように思うけどそれが既に関心領域を自分で設定してることになってる、現代はアウシュビッツ側にいるとも言える

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