不可逆の経験値
寒波が来てますね。ますますコタツでお眠な季節です。
どうも、しょーりです。
冷静に考えてなんですけど、外出した後にコタツに入るのと、風呂上がりにそのコタツに入るのって何か微妙だななんて思う今日この頃です。
せっかく綺麗になったのに再び綺麗でなくなってしまう感覚が否めません。
綺麗と綺麗じゃない状態の両通行を共存させるには、物理的に空間を分けるしかない気がします。
外出後はベッドには触れない人もいるかと思います。そういうことです。
綺麗に居続けるなら極論家から出ないことになるなぁなんて本気で考えたりするわけです。
だいたいの事象は不可逆だなと思いつつ、特に経験って一方通行じゃないですか。
決まった額のお小遣い制とかじゃなくて、何かある時にのみ最低限のお小遣いを貰っていた中学生時代。
お菓子とかも数十円の駄菓子が大好きだったんですけど、学校の近くで数百円もするお菓子を見て物理的に買えねえ(いらねえ)とスルーしていました。
それでもたまに激安の殿堂もびっくりするような価格で売られていたりするわけで、そういう時にはちょっと好奇心から背伸びして買っていました。
食べてビックリ。
あ、美味しい。
そして感じるわけです。
この味を知ったからには、もう戻れないな。
なんてことを。
そこまで大したことではないのですが、昔からこういう類の感覚は持っていて。
美味しすぎるに決まっている物を一度食べると、食べていなかった頃の自分の一番美味しいと思っていた物は、一番ではなくなるわけです。
常に一方通行で上書きをされる経験するという中で生きるからこそ、なんでもない選択が追々に響いてくるなぁなんて感じていたわけです。
ほら、一度いいイヤホンで音楽を聴き始めると、安いイヤホンでは聴きたくなくなるじゃないですか。
自身の中では持ち得なかった概念を一度何らかの経験で取り入れると、それは習慣へと豹変することもあります。
そもそも人として知らなきゃ行わない行為もあるわけで、知ったが故に依存したり。
リストをカットなんて普通は思いつく行為ではなくないですか。
人は有意識の中では学び思考をしますが、それが当たり前になると無意識の中で自動的に処理されるそうです。
依存症なんて主にそれらしく。
残念ながら僕は精神的にまだまだ成熟できていないので、感情の乱れが顕著に現れます。
心おだやかに生きたいですね。
知る必要のなかった概念や気持ち、感情を知らなかったら幸せなこともあるわけで、記憶を削ぎ落とせたらさぞ楽かろう。
知らぬが仏ってよく言ったもんですね。
誰かを好意的に思えたり、負の感情を覚えたり、何かに憎悪を抱いたり、執着をしたりするのは人が人たる所以なのかもしれません。
それでもやはり受け入れることができるまでは面倒な機能だなぁと思うわけです。
嗚呼、美味しい物を食べて健やかに眠りたいですね。
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