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メグレ警視シリーズ長編69『メグレの幼な友達 L'Ami d'enfance de Maigret』(1968)

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984


あらすじ

六月半ばの昼下がり、書類仕事をしながら蠅と戯れていたメグレの心は、いつの間にか学生時代に飛んでいた。
そこに、バンヴィル高等中学校で同級生だったフロランタンが訪ねてきた。会うのは二十数年ぶりだった。
フロランタンは、つきあっている女性・ジョゼが銃殺された、その時に自分も家の中の衣装部屋の中にいたとのことだった。
メグレは、フロランタンにも、その話にも面白くない気持ちを感じた。
スッキリしない気持ちを抱えたまま、メグレはフロランタンを含むジョゼの五人の愛人を調べ始める。


本の紹介と感想(準レギュラーの処遇についてネタバレあり)

ジョゼとフロランタン、息を吸うように嘘をついて生きている二人が中心にいる物語でした。

ジョゼは、ある人にとっては安心感を与えてくれる控え目で純真で静かな女性。ある人にとっては天真爛漫と言っていいくらい素直な女性。彼女は、与える印象だけではなく、出生地から何から、相手に合わせて別の話をしていました。ただ一人、保険外交員をしている若い男を除いては……。

彼女の親類は見つからず、メグレが葬儀の手配を整え、花を飾ってあげるようにリュカに命じます。愛人たちの中で、その葬儀に自分から進んできたのは、赤毛の男だけでした。

彼女の嘘は、彼女の寂しさの中にあり、その嘘に大きな害はなく、場合によれば嘘とは言えないものもあるのかもしれません。

フロランタンは、彼女の愛人たちに兄だと名乗り、あまつさえ金をせびった事もありました。そして、ジョゼの貯めていた金を、彼女の死亡後に盗み、メグレにも当座の金を貸してほしいと頼むのです。

メグレに助けを求めたフロランタンは、真摯な人間ではありません。あまつさえ、メグレの父親を侮辱するようなことまで口にするような男だったのです。

フロランタンに不利な状況は揃っています。しかし、彼の存在に苛つきながらも、メグレは彼を拘留しようとはしなかったのです。

果たしてフロランタンの罪は、犯人のそれよりも軽いと言えるのでしょうか。
しかも、それに対して彼は反省することはないでしょう。最後まで、己の事だけで精一杯だったのです。

自分の事で精一杯で、自分の為に他者へ嘘をつく。それが、ジョゼとフロランタンの共通点だったのかもしれません。
しかし、それぞれに感じる印象は大分違います。その違いの積み重ねが、今回の悲劇につながったのかもしれません。

その他のキャラクターでは、最後までメグレを手こずらせる、被害者のアパルトマンの女管理人が印象に残ります。

物語としては、第五章で愛人五人を一堂に集め、メグレが自分の考えを話し出す場面の呼吸に、少しネロ・ウルフ感を感じました。管理人の登場の場面なども、褐色砂岩のウルフの家の場面でも再生できてしまいます。

メグレ班お馴染みのリュカ、トランス、ジャンヴィエ、ラポワントだけでなく、ルールティやラグリュムなども揃って容疑者の見張りなどを行います。
新任の予審判事パージュは真面目で信頼できそうな人間で良かったです。

レギュラーが揃っている本作ですが、後期作品では準レギュラーに近い立ち位置のキャラクターが少しずつ消えていきます。
長編73作目『メグレとひとりぼっちの男』(1971)でコメリオ判事が既に故人であることを知ったのもびっくりでしたが、本巻でもポール医師が既にいなくなっていることが明かされており、後期ならではの喪失感があります。

メグレの過去の同級生が絡む事件として、常に不機嫌な状態で捜査するメグレが中心にいる物語でした。事件描写と人物描写のバランスが良く、突出した傑作ではありませんが、いつ手にとっても面白い丁度よい佳作という印象がある作品でした。

明るい太陽、開かれた窓からときおり忍びこんでくる涼風、そして彼を魅了してやまない蠅。それらはすべて、彼をして少年時代の学校生活を思い出させるものだった。彼が高等中学校の生徒だった頃も、よく蠅が教室の机の上によじ登ってきた。彼にとって、蠅は先生の授業よりも遙かに大切だった。

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p6
フロランタンが訪ねてくる前の平和な時間、蠅と戯れているメグレが少年時代を思い出す場面

 警視はあやうくどなりだすところだった。もう、自分のことを《メグレ》と呼ばないでほしい、また、気やすい調子で話しかけることもやめてほしい。しかし、そう言いだすだけの勇気はなかった。

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p59-60
フロランタンの態度にイラついているメグレ

「さて、ご存じのように、ジョゼフィンヌ・パペは死にました。あなた方のうちの誰かによって殺害されたのです……」

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p189
関係者一同を集めた場面でメグレが話している場面

 メグレは顔をまっ赤にし、こぶしを握りしめた。まかり間違えば、相手をなぐりたおしそうな勢いだった。彼にとって絶対に許せないことがあるとすれば、それは父親の名誉を傷つけられることだった。彼の父はシャトーの執事をつとめ、二十個あまりの農場の管理をまかされた人だったのである。

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p207
フロランタンに父親を侮辱されたメグレの怒り

 痴情による事件など存在しない、という言葉が口の先まで出かかった。口にはしなかったが、それがメグレの基本的な考えだったのだ。ないがしろにされた恋人、あるいは棄てられた女というものは、愛情よりも、傷つけられた自尊心のために人を殺すのである。メグレは長い警察官生活を通して、そのことを知った。

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p209
記者に痴情による殺人か質問された際のメグレの胸中

 ジャンヴィエは微笑を禁じ得なかった。メグレが不機嫌な顔をしているときは、たいていの場合、良好な結果が到来する前兆であるからだった。捜査活動にはいったメグレは、いつも、スポンジのように吸収する。人々や事物を、無意識のうちにとらえたごく些細な印象を、自らの中に吸いこんでいくのだ。
 彼が不機嫌なのは、そのようにして吸収したものによって重くなっているためなのだ。

ジョルジュ・シムノン/田中梓訳『メグレの幼な友達』河出書房新社, 1984, p240
不機嫌なメグレを見たラポワントの考え

映像化作品

ジャン・リシャール主演シリーズ(仏)
 第61話「L'ami d'enfance de Maigret」(1984) ※日本未紹介

マイケル・ガンボン主演シリーズ(英)
 シリーズ2 第4話「メグレと幼友達」(1993)

ブリュノ・クレメール主演シリーズ(仏)
 第45話「L'Ami d'enfance de Maigret」(2003) ※日本未紹介


メグレシリーズ 既読作品リスト

そろそろ自分で読んだ作品、お気に入りの作品を覚えてるのが大変になってきたので現時点での読了リストを自分用のメモとして書いておきます。
☆がお気に入り、〇がお気に入りには後一歩だけど良いと思った作品です。
全て現時点での評価になります。

長編
〇03.サン・フォリアン寺院の首吊人(1930)
 06.黄色い犬(1931)
☆07.メグレと深夜の十字路(1931)
 14.サン・フィアクル殺人事件(1932)

☆21.メグレと超高級ホテルの地階(1942)
☆25.メグレと奇妙な女中の謎(1944)

☆29.メグレと殺人者たち(1947)
☆35.メグレと老婦人(1950)
☆36.モンマルトルのメグレ(1950)
☆38.メグレと消えた死体(1951)
☆39.メグレと生死不明の男(1952)
☆44.メグレと田舎教師(1953)
☆45.メグレと若い女の死(1954)
☆46.メグレと政府高官(1954)
☆47.メグレ罠を張る(1955)
☆63.メグレたてつく(1964)
〇64.メグレと宝石泥棒(1965)
〇69.メグレの幼な友だち(1968)
〇72.メグレと老婦人の謎(1970)
 73.メグレとひとりぼっちの男(1971)

中短編
 01.首吊り船(1936)
 03.開いた窓(1936)
 04.月曜日の男(1936)
 05.停車──五十一分間(1936)
 07.蠟のしずく(1936)
〇12.メグレと溺死人の宿(1938)
☆14.ホテル“北極星” (1938)
〇17.メグレと消えたミニアチュア(1938)
〇19.メグレとグラン・カフェの常連(1938)
☆20.街中の男(1940)
☆23.メグレと無愛想な刑事(1946)
☆24.児童聖歌隊員の証言(1946)
〇25.世界一ねばった客(1946)
〇26.誰も哀れな男を殺しはしない(1946)
☆27.メグレ警視のクリスマス(1950)


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