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アガサ・クリスティー『終りなき夜に生れつく』Endless Night(1967)紹介と再読感想

アガサ・クリスティー 矢沢聖子訳『終りなき夜に生れつく』早川書房, 2012 (電子書籍)

昔から大好きな作品の一つであり、時折再読したくなります。この作品もBBCミニドラマシリーズの計画が発表された時から映像化されないかなぁと思っています。


あらすじ

マイクは、様々な職を転々としながら生活をしている青年だった。
彼は、ある時出会った〈ジプシーが丘〉に一目惚れし、友人である天才建築家・サントニックスが設計した家を建てたかった。
ある日、マイクは〈ジプシーが丘〉でエリーと出会い、二人は結婚した。
エリーは大富豪であり、彼女の力で〈ジプシーが丘〉に理想の家を建てることが出来た。
〈ジプシーが丘〉は地元では呪われた土地と言われており、ジプシーのお婆さんから不幸になるとの警告を受けたりと、生活には暗雲も立ち込めていたが、二人は幸せを感じていた。
二人の生活は、村人やエリーの親族、そしてエリーが心から頼りにしている女性・グレタと関わりながら過ぎていくのだった。


紹介と再読感想(ネタバレなし)

ウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』の一説からタイトルを貰った本書は、「二人は夢の家で幸せに暮らしました」とはならない、哀しいサスペンスです。

何も知らない状態で楽しんで欲しい作品なのでネタバレなしの感想は難しい内容です。
再読も含めて2回は楽しめる、クリスティーの集大成的な作品なので、未読の人は一度読んでみてください。

特に、メアリ・ウェストマコットが好きな人は間違いなく楽しめると思います。
ぜひ、登場人物一人一人の心情を感じながら読んでみてください。

僕は働きたくない。それは実に明快だ。働くことに不信感を抱いているし、嫌いだ。働くことは人間が不運にも発明してしまった、とても悪いことだと思っていた。

アガサ・クリスティー 矢沢聖子訳『終りなき夜に生れつく』早川書房, 2012 (電子書籍)
〈3〉より サントニックスが働きすぎだという思いから、マイク自身の働くことへの思い


紹介と再読感想(ネタバレあり)


本作は1935年のミス・マープル短編「管理人事件(ミス・マープル、風邪をなおす)」のプロットを元に書かれた長編になりますが、小説としての面白さは比べ物にならないくらい今作で深まっています(短編の方は、処方箋として事件の原稿を渡すヘイドック医師と、謎解きで元気になるマープルが微笑ましいですが)。

全てを失うまで自身の大切なものに気づけなかったマイク。
そんなマイクについて見通していた人間として、作中には3人の人物がいました。

先ずはマイクの母親。彼女は、マイクという我が子への理解が深く、その理解を通してエリーやグレタについても理解をしていたと思います。
きっと、初めての〈ジプシーが丘〉を訪れた時には、直感でマイクとグレタの関係も理解していたのではないでしょうか。

そして、サントニックスは言わずもがなですが、まるで全てを理解しているかのようにマイク達を見ていました。
しかし、彼は友人であるマイクを信じたかったのだと思います。そのため、エリーにも同情をしていないのだと思いました。

最後は、エリーです。エリーは直感的にせよマイクが愛以外の何かを持っていること、そのために自分が死ぬかもしれないことまで分かっていたと思います。
それが、「なぜそんなふうに私を見つめてるの、マイク?」「まるで愛しているみたいな目で……」のシーンや、「(サントニックスが)私には同情してくれないけど」のシーンに現れていました。

この作品は、ミステリーの手法を使用することで複雑で面白い物語となっています。
その複雑さは、マイクが犯人であることを隠しているというだけではありません。

記載当時のマイクと作中のマイクの思考や気持ちにズレがあること、上記3人に代表されるようにマイクの思考では理解できない人物が何人もいるため記載内容だけでは本当の全容が把握できないこと、何より当時のマイクも自分のことが本当は良く分かっていなかったことなど、重層的な複雑さが物語を面白い物にしています。

もちろん、ミステリーとしても序盤からダブルミーニングを仕掛けており、再読すると意味が反転する部分が多量にあります。

作中のマイクは、何も知らないのに何でも知っていると思い込んでいる倫理観の薄い欲望に忠実な子どものような存在ですが、手記を書いているマイクは果たして大人になることが出来るでしょうか。
人は変われるのか、それともマイク自身も言っているように変わるのは難しいのか。

終りなき夜に生れついた人間の罪は、その人自身にあるのでしょうか。
殺人で得られる刹那的な快楽を覚えてしまったマイク。
もう少し早く、グレタに会うよりも早くに気付きが得られれば何かは変わったのでしょうか。

絶望を経験し、人を不幸にした後だとしても、より良い方向へ変化していける。
そんな可能性を、身勝手に思われるかもしれないとしても信じていたいと思っています。

僕がほしいのは──またこの言葉が出てきた。僕のお得意の言葉が──ほしい、ほしい……体の中からその思いが沸き上がってくる。僕がほしいのはすばらしい女性と誰も持っていないすばらしい家、そして、その家はすばらしいものでいっぱいにする。僕の所有物で。なにもかも僕のものになるのだ。

アガサ・クリスティー 矢沢聖子訳『終りなき夜に生れつく』早川書房, 2012 (電子書籍)
〈11〉より 〈ジプシーが丘〉に建てている家のことを考えているマイク


映像化

『エンドレス・ナイト』(1972/英)

ジュリア・マッケンジー・主演『ミス・マープル』(英)
 シーズン6 第3話「終りなき夜に生れつく」(2013)

『Les petits meurtres d'Agatha Christie』(仏)
 シーズン3 第1話「La Nuit qui ne finit pas」(2021) ※日本未紹介


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