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女子校(桜蔭)についてジェンダー学的に考えてみる

先日中高時代の友人に会った時、母校・桜蔭が昨年から制服にスラックスを導入したという話を聞きました。日本でもジェンダー・ニュートラルな制服の検討が進んでいるというニュースは見かけていましたが、制服に関しては特に伝統への拘りが強い学校だと思っていたので、とても嬉しいサプライズでした。卒業から10年近くが経って記憶を美化している節も多分にあるかと思いますが、私は、人格形成のコアとも言える12歳から18歳を女子校という人為的に作られた特殊な環境で過ごしたおかげで今の私があると感じています。合う合わないはもちろんあると思いますが、固定的なジェンダー規範がまだ根強い日本だからこそ、それらからある程度隔離され、自分を「女子」ではなくただの「私/僕/俺」として捉えられる期間は貴重だったと思うのです。

「男」というスタンダードがない世界

ひとは女に生まれない、女になる(One is not born, but rather becomes, woman)
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性(The Second Sex)』(1949、新英訳 2009)

以前も引用した、ボーヴォワールによるこの有名な言葉は、なぜ女子校という環境がジェンダー規範からの解放に資する可能性があるのかを端的に示しています。「女」というのは、普遍的な主体・市民として想定される「男」に対置されるものとして社会的に構築される概念です。だから、スタンダードである「男」が存在しない環境では、「女」も意味を成しません。女子校では、「女にならなくても」生きていけるのです。
 ここで言うスタンダード、普遍的な主体とは、啓蒙思想以降の政治哲学において「人/Man」とされてきたものです。日本の教育では、"Man"は「男性」を意味することもあれば一般に「人」を指すこともあると習う気がしますが、「人」を指す時の"Man"は根源的に「男」を普遍化しているのであって、決して"Woman"ではありません。特に、ロックとルソーに代表される社会契約論において、政府に権利を委譲する「契約」を結ぶ主体、「合意」を与える主体は「男」です。そこに、Private/私的領域・家庭に属すものであり「男」に従う存在とされた「女」の出る幕はありません。世界史で習う程度の表面的知識では、こういった著名な思想家たちの理論構築が当然のように「男」中心になされていることを見落としてしまいがちですが、女性参政権獲得のための運動が大変な労力を要したことから明らかなように、西洋近代においてPublic/公的領域・社会の主体は「男」だったのです。こういった西洋の思想哲学については改めて書いてみたいと思います。
 その上で、女子校という環境に話を戻せば、その特異さが際立つのではないでしょうか。そこには、「男女」という二元論がなく、PublicとPrivate、「男の領分」と「女の領分」という分離もないのです。だから、理系も文系も、運動部も文化部も、生徒会や文化祭企画委員も、力仕事も料理や裁縫も、全て「私たち」のものでした。何かを頑張り「過ぎる」ことや得意「過ぎる」ことで「可愛げがない」と言われることなどありません。そして、「私たち」の価値は「私たち」が決めるもので、社会から、「男」からどう見えるかではありませんでした。(教員も校長をはじめとしてほとんどが女性であり、男性教師の存在感が薄かったことも補足すべきかもしれません。)私が桜蔭にいて居心地が良かったのは、どんな領域であれ努力を正当に評価する文化があったことです。勉強でも部活でも生徒会や文化祭、運動会でも、家族が助けを必要としていれば家庭での役割でも、何かに真剣に向き合っている子はみんな輝いて見えたし、それだけの尊敬を集めていたと思います。そこに、見た目が「可愛くない」とか話が上手くないという減点システムはありませんでした。
 減点システムと言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、今の日本社会において、特に高学歴だったり経済的に成功したりしている女性に対しては確実にその負担があると思うのです。「女を捨てている」というレッテルを貼られてしまえば、努力を正当に評価してもらえなくなります。「ロールモデル」として持て囃されるような女性はみな、能力もあり尋常でない努力をしている上に容姿も磨いています。誰にでもできることではありません。何よりも、子どもの頃からただでさえ努力を妨げられることの多い「女」の側に、さらに要件が積み重ねられているのは、社会構造の変化を防ごうとする圧力のように感じられてしまいます。だから、そういう不必要な負担のない中高時代は肩の荷が軽かったと思うのです。
 思い返せば私は、高2まで塾にも行かず、男兄弟もおらず、付き合いを続けていた小学校の友人も女子だけだったので、かなり純粋培養された女子校育ちなのだと思います。人によっては、もっと同年代の男子と交流のあった生徒もいたでしょう。私にとってはこの期間、日常にいた男性は父だけであり、「男」の視線を意識することなく、ある意味で「女になり損ねた」のかもしれません。

当たり前に東大を目指す女子校

桜蔭は一学年240人で、毎年約50~80人が東大に進みます。東大以外の国立大医学部も多い印象です。私立は合格者数を見ても重複があるためはっきりとは言えませんが、早慶上智、東京理科大が多いようです。(進路状況 | 桜蔭学園【公式】 (oin.ed.jp)
 高校に上がってで進路を検討する際、判断材料は興味関心と将来したいこと、成績、試験科目数、学費、実家からの距離などでした。それ以外に、頑張ればもっと難しい大学にも受かるかもしれないけど「女子だから〇〇で十分」といった判断軸はなかったと思います。理系・文系の選択については、「女子は理系科目が苦手」という固定観念への反発からか、数学が得意なのであれば理系を選ぶのが順当という風潮があった気がして私は逆に違和感がありましたが、それだけ理系に進みやすかったのも「女は文系」という価値観を刷り込まれていなかったからだと思います。文系を選んだ私は、学校の授業の数学・理科のレベルが高かったことに非常に助けられました。理系分野の科目について、「女子だから苦手でもいい」といった誤魔化し方をせずに真面目に向き合うことは、(論理性の盲信の是非はさておき)「男性的」と分類されがちな「論理的思考力」を培うことに繋がっていたと思います。そういった「男の領分」を侵犯していると思われることが何かにつけて「桜蔭出身者は可愛げがない」などと言われる要因であり、女子校というバブルを出た後の社会の歪みを表しているのでしょう。
 東大は、世界のトップ大学が男女半々か時には女子の方が多いのに比して、女子率約20%という異様な大学です。「東大女子は結婚できない」とか「女にそんな学力は必要ない」とかいう言説が未だに流布しており、女の子はそもそも目指すことを後押しされないし、本人もそこまで必死で頑張ろうとは思いづらいからだと思います。東大に限らず、地方出身の女子は東京の大学に進学すること自体、家族や周りに反対されやすいということもあるかもしれません。私は両親ともに地方の大学出身であり、東大を目指せというプレッシャーを受けて育ったわけでもありませんし、それなりに周りの目を気にする子どもでした。だから、たまたま桜蔭に入って自然と目指すようになっていなければ、東大に行くことも今の職に就くことも、こうして今イギリスで勉強していることもなかったのではないかと思います。東大を信奉しているのではなく、国のトップの大学に女子が20%しかいないのはあまりにも歪んでおり、そこを「普通に」目指させてくれた母校に感謝しているのです。私の世界は確実に、大きく、広がりました。

家庭科と礼法

試験に出るような勉強に力を入れる一方、「良妻賢母」を育てたいのかと思わせられるような家庭科の内容も厳しかったのを覚えています。桜蔭出身者はあまり言わないかもしれませんが、漏れなくかなり広範に料理、裁縫、編み物、刺繍なども習っています。また、礼法の必修も特徴的でしょう。これは、今の「女らしさ」とはまた違うと思いますが、日本の伝統的な立ち居振る舞いを学ぶ授業であり、「しとやかさ」を身につけることを求められます。なぜこういった「女」に紐付けられるようなものにも力を入れているのかと考えると、一つには本来ジェンダー関係なく身につけておくべきスキルだということもありますが、もう一つは、現実的な処世術としてではないかと思います。女子校というバブルの中にいられるのは一時だけであり、卒業すればすぐに「女」という色眼鏡で見られることになります。「男」は料理が下手でも擁護されるのに、「女」は「女のくせに」と嗤われるのです。そういう悔しさを味合わないためには、勉強ができるだけでなく「女らしい」ことも一通りできるのが一番です。そういう意味もあったのかなと今になって思います。(私は細かな手作業が好きな質だったので楽しんでいましたが、手先が器用でない子にとっては苦痛な場合もあったと思います。ジェンダー関係なく、苦手なことを無理に頑張らなくていい世の中になればいいのですが…。)

「よき社会人であれ。」

1.勤勉 ・温雅 ・聡明であれ。
2.責任を重んじ、礼儀を厚くし、よき社会人であれ。
桜蔭学園 校訓(https://www.oin.ed.jp/about/education/

在学時代は、響きが良くて綺麗なので一文目の校訓が好きでした。「勤勉・温雅・聡明であれ。」今でも良い言葉だと思います。「温雅」というのは女性特有なのではと言う人もいそうですが、私は本来ジェンダー関係なく美徳とされるべきものだと思います——日本人的ではあるかもしれませんが。二文目については、「責任を重んじ、礼儀を厚くし」は分かる、当然そうあるべきだと思う一方、最後の「よき社会人であれ」に注意を払ったことはありませんでした。それが今読むと、この最後の部分、「社会人」が際立つのです。
 中学・高校の校訓なので、もちろん一般的に教育機関を卒業してフルタイムで働くようになった人を指して使っている「社会人」ではありません。ここで謳われているのは、Public/公的領域である「社会」においてよい人でありなさいということなのだと思います。「男女」の二元論においてPublicは「男」の領域とされ、「女」は家庭に入りPrivate/私的領域を守るべきというのが古典的なジェンダー規範です。そういった固定観念に対して、女子学生たちにあなたたちも社会・Publicの領域の一員なのだと、「男」の影に隠れて息を殺す必要はないと、100年前から伝えていたのではないかと思え、今更ながら少し胸が熱くなりました。校則は厳しく古臭いところも多くありましたが、時代の先端をいくポテンシャルのある学校です。伝統一つ一つに固執するのではなく、その精神性を大事に進化し続けていってくれたらいいなと、卒業生として切に願います。


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