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深井龍之介氏✖️苫野一徳氏対談に日本の希望を見た!

#Voicyフェス での #苫野一徳 氏と #深井龍之介 氏の #民主主義 と意識の間の軋轢をどう生きるか」を聴き、#日本の未来 に希望が見えて感動‼️ 私の主観を通したまとめと感想を句にしました。

日本では、いまだに、前近代的な「お上の言うことを聞かなきゃ」と言う考え方が残っており、これといかに向き合うかが民主主義にとって非常に重要であると言うことが指摘されました。
やはり、民主主義の本質は、お上思考を出して、自分たちで自立していくことではないかと感じました。
最近ニーチェについて読んだのですが、もし彼が生きていたら、「神は死んだ」と言う言葉と同時に、日本人に対して「お上も死んだ」と言うことも言ったかもしれないなと個人的に感じました。
民主主義は、他者に任せて、ぶーたれて、相手を打ち、負かすことには本質はないと感じました。
本当は、自分たちが民主主義の当事者であるにもかかわらず、自分には関係ないと言う倒置した考え方を持っている人が意外と多いのではないかと感じました
やはり民主主義には、自分たちで自分たちの社会は統治していくんだと言う意識と、いかに自分たちで民主的に統治していけるかを問うことが重要だと感じました。
民主主義には欠かせない当事者意識は、子供の頃から学校教育の中で養っていく必要があるのではないかと感じました。
自由に生きる力や、自由の相互承認の感度を養う事は、教育の中でじっくり時間をかけていかなければ実現しないと感じました
アメリカには、西部開拓時代から、自分たちの街は、自分たちで守ると言う民主主義の根幹である統治の意識があったと言う指摘がありました。
具体的な学校教育における民主主義の実践として、自分たちのルールを自分たちで決める取り組みが重要であると言う指摘がありました。
西洋方の民主主義を手本としながらも、その本質を保ちつつ、いろいろな形の民主主義の現れ方があって良いのではないかと言う指摘があり、大変興味深く感じました
日本人に見られる気配りは、相手の自由を侵害しないと言う相互承認の感度につながる文化的な利点であるかもしれないと感じました
もともと日本人は他の人に迷惑をかけてはいけないと言う考え方があったのではないかと思います
日本人の中に備わっている、他者に対する気配りや思いやりは、むしろ怒っても良いのではないかと感じました。
しかし、相手に対する思いやりや気配りから、自分が身を引いて相手に関わらないと言う方向に行くのではなく、必要であれば、相手に関与する姿勢も忘れてはいけないと思いました。
日本人は、相手の悪意に対して、無頓着というか、ナイーブであると言う側面が指摘されました
しかし、その内部さも、裏を返せば、相手に対する信頼感を養うきっかけでもあると言う指摘があり、なるほどなぁと思いました
日本人がよくもめている場面などで「まあまあ」と言うことがありますが、これはひょっとしたら、お互いの差異を認めながらも、お互いに共に生きていくきっかけを生み出すありがたなのかもしれないなと感じました
欧米で展開されているような論理だけの世界だと、孤立する可能性もあるなと感じました
日本人は、歴史の中で、とても身体感覚を大切にしてきた側面があり、相手に対して違和感を体で感じたり、相手を身体感覚でふに落ちるまで相手を決めつけないようなところもあったのではないかと感じました
身体知は、多くの人が見落としている大切な知恵の1つではないかと感じました。私たち日本人はもっとこの身体知目を向けるべきではないかと感じました。
やはりもっと一人ひとりの個性的な価値が開花することに重点を置くこと、そこから創造性が民主化生まれるのではないかと感じました
たとえに法制度的に不備があったとしても、日本では現場の最前線でがんばっている方々の倫理が非常に研ぎ澄まされていると言う指摘があり、なるほどなぁと思いました
たとえ、短所だと思われているところであっても、そこを拠り所にして、長所として、これからの社会貢献、国際貢献に生かせることもあるのではないかと言う指摘に目から鱗でした
日本人は、もともと違いを融合させることで、発展してきた歴史があったのではないか。そこを生かしていくことによって、むしろ国際的な貢献ができるのではないか。
日本人は、足りないところを補っていけば、かなり国際的にもやっていけるのではないか
日本人の持つ「まあまあ」は、すぐには世界的に受け入れられないかもしれませんが、これはエゴやわがままを乗り越える1つの大きな知恵になるかもしれないなと感じました

お読みいただき、ありがとうございました。

野中恒宏

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