女性の友情と傷と利他と
(注:以下の文章は、私の個人的な感想であり、ボーヴォワールの友情論を直接紹介したものではありません)
はじめに
「友情を哲学する」のボーヴォワールの友情論の読書会に参加した。
当時の時代背景もあったと想像できるが、心に傷を負っている存在としての女性とその友情論が展開していると思った。
もちろん傷だけが友情の条件ではないが、心が折れやすいこの時代に心に染みる友情論であったことは間違いない。
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傷と友情
心は普段見ることも触ることもできないが、「自分の大切にしているものが大切にされなかったり、大切にできなかったりする」と、それが「傷」となり、友情が輪郭を現すようだ。
「友情を哲学する」の中では、自分が大切に思っている女友達がいじめられている場面を目撃して、ある友情が一気に顔を出した漫画のシーンが紹介されていた。傷を契機に誕生した友情だ。
あなたの友情はどのように始まりましたか?
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優しさと友情
傷つくと、ケアの引力が発生する。
完全にその傷を治せなくとも、できる限りのことをしたい。
そんなところにも友情を垣間見ることができる。湿布を貼るような優しさがそこにはあるのではないか。
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ケアと友情
一般化はできないかもしれないが、私の存じ上げている女性の多くは私の何万倍も細かいところまで気配りをしてくれる。
その細やかさは、毛穴から行われている息遣いまで気に留めてくれるような感じ。
これを重く感じるかありがたく感じるかは人や状況にもよるかも。
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利他と友情
傷を負った友人に対して、自分以上に大切にしてしまう利他的な友情を示す人がいる。
「世界は贈与でできている」の著者の近内悠太氏はこうした利他の行為を「愚行」とも言っているが、それでも利他を示すところに人間らしさがあると指摘している。
思うに、そうした利他はいつか周り回って。。。
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嫉妬と友情
傷が友情の重要な契機となっている女性の友情の場合、親友が男性と付き合い始めると、それを嫉妬(新たな傷)と感じてしまうこともあるようだ。
利他としての友情を発揮してきた場合、その悲しみや痛さはより大きいかもしれない。
野中恒宏
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