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受け身の世界から能動の世界へ

先日専門学校で講義をする機会があったのですが、
「自分でテーマを見つけて定着まで落とし込むことが難しい生徒もいる」と聞いて、あぁ私もかつて同じ壁にぶつかったことがあるなあと思った。

私も、美術大学に入って1番戸惑ったのは、
いきなり正解がない世界に放り出されたことだったかもしれない。

それまでの義務教育では、教えられた答えをいかにテストで正解できるか、ということで評価されていたから、どこに向かえばいいか分かっていて、さらに文系科目だったら覚えさえすれば、いわば受け身の姿勢でなんとかなっていた。

美術大学は実技に関しては先生が何か教えてくれる、ということは特になくて(これはすべての学校学科共通ではないのかもしれないので、あくまで私の場合。)

課題を与えられたら、さあ作っておいで!と解き放たれる。あとは各々が自分が興味を持っていること、面白いと思ったことに自分なりに切り口をみつけ、フォーカスして形に落とし込んで講評日を迎える。突然の能動への評価軸の変換。

どうせなら好きなことをしよう、美術系の学校に行こう、そして何か教えてもらおう...と気楽に進学してみたら、答えを教えてくれるというよりは自分の視点や価値観をアウトプットすることを求められる。

それまでそういう視点で教育を受けてこなかった場合、戸惑う子は戸惑うだろうし、苦しい子は苦しいだろうし、そこまでの覚悟がなかった子は辞めたくなるかもしれないよなあ。

美術大学の場合は、美大進学以前の美術予備校で切磋琢磨する時間があるので、その間少しは洗礼を受けてはいるものの、「明確な答えがない」ということ。これがけっこう私には苦しくて、世界が一変したように感じた。

これは正しい例えかどうかはよく分からないのだけれど、
なんとなく異性とお付き合いすることを歓迎しないムードの家族が、適齢期になったら突然手のひらを返したように、結婚しないのか、結婚相手はいないのか、と騒ぎ出すけど、今までその素地作ってないのに急に言われても無理だよと愕然とする...
そんな周囲の価値観の急変のような感じに似てるな〜と思ったりする。

そして同時に、デザイナーになると、これを繰り返して仕事をしていくのか!なんて苦しい仕事なんだ!!!!と衝撃を受けたのもまた学生時代。
生みの苦しみへの出会い。そんな時代を経つつも、楽しくデザインを続けられていることを当時の私へ伝えたい。

#コラム #美術進学 #デザイン #日記 #エッセイ

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