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大家さんと、わたし

今の家に引っ越してきてから、もうすぐ2年。

それまでは長年妹と暮らしていたので、一人で暮らすことに寂しさを感じていた。家探しをしていたのもちょうど2年前の今頃。色々まわったけど、なかなか気に入る物件がなくて、最後の最後に見たのが今住んでいる部屋。古いお家だけど、日当たりがよくて、広くて、どこか素朴で。自分の身の丈に合っている気がした。

引越し当日、朝一で新しい部屋に来てバルサンを焚いた。その後、引越し業者が来るため前の部屋へ。荷物の積み込みが終わって、前の家の鍵を引き渡して新しい家に戻ると、すでに引越し業者の車が到着していて、荷物を入れていた。あれ?鍵..?と思っていたら、バルサンを焚いた部屋から涙目の大家さんが出てきて「あら、はじめまして。あなたいないようだったから、鍵開けておきましたよ。この煙、なんなの?窓も開けておいたわ」と。大家さんはすぐ隣のお家に住んでいた。にこにこ顔の優しそうなおばあさん。
「しょっぱなからやっちまった..」そう思いながら、用意した菓子折を持って、翌日あらためてご挨拶へ。「バルサンの件、失礼しました」と謝ると大家さんは「楽しくなりそうね」と笑った。

大家さんは早起きで、毎朝家のまわりを掃除してくれている。私はその音で目が覚めるので早起きになった。雨が降っている日も「良いお天気ですね」と笑う人。ある朝、突然ピンポンが鳴って「紫陽花が咲いてますよ」と梅雨の訪れを教えてくれたり。「作り過ぎちゃったから」とご飯をお裾分けしてくれたり。長期で家にいない時は、大家さんが植物を預かってくれる。戻ってくると、うちにいる時よりも元気になって帰ってくる。魔法みたい。我が家のアレクサにだって「さん付け」で話しかけてくれる、とっても丁寧な人。

最初は挨拶程度だったけど、やりとりしているうちに大好きになってしまって、今ではお茶を飲みに大家さんのお部屋にお邪魔したり、家に招いてご飯を食べたりしている。友達といる時みたいに、話が弾むわけでもないし、写真を撮ったりすることもない。お茶やコーヒーを静かに飲んで、少ない会話をする。穏やかで、やさしい時間。

フリーランスの私はずっと部屋にいる。部屋の中は、大きなPC2台にプリンター、本と画材と、陶芸の道具、描きかけの絵や制作中の作品であふれている。いつも汚れたエプロン姿で作業してるので、聞かれたことはないけど大家さんはおそらく私を売れない作家かなんかだと思ってる。まぁ、当たってるのだが。知り合いには自分の作品を面と向かって見せるのが照れくさいけど、大家さんはよく褒めてくれるので、自ら引っ張り出して色々見せてしまう。筆が進まなくなって途中でやめてしまった絵も、文章も。この人は私を否定しないという絶対的な安心感。私はいつもどこか自信がなくて、それを隠すように生きてきたけど、大家さんの前では弱くてもダサくてもいいと思えた。

季節はあっという間に過ぎていく。私は、この秋東京を離れる決意をした。

ずっと考えて決めたことだが、大家さんとの出会いが自分にとって大き過ぎたので移住を告げる時はちょっと泣きそうになってしまった。家庭も会社もない私が毎日顔を合わせるのは大家さんくらいだったから。

「それは止められないじゃない..。私も行こうかしら」と笑いながら、涙目の大家さんを前に「来てくださいよ!」としか言えず、しんみりしながら二人でお茶をすすった。

2年ってとても短い時間だけど、この2年は今までの人生を癒す薬みたいな時間だった。本当に好きだと思うことを、思いっきりやってみた。絵を描いて、陶芸をして、文章を書いた。自分に鎖はつけなかった。

仕事ではデザインしたりブランディングしたりしてきたのに、自分をブランディングするって難しいんだなってこともわかった。人気作家さんや、影響力がある人を見ていると、作品に関係ないことやネガティブなことは発信しないし、素敵だし、そりゃファンになると思う。私はそのコントロールが苦しくてできなかった。感じたことを隠せずに、本音が溢れてしまう。だけど、大家さんは弱音を吐く私にも「あなたは嘘がつけなくて、とても素直でかわいい人ね」と言ってくれた。何かが吹っ切れた気がした。まず、かわいいなんて、初めて言われたし。それからずっと自分の中で ”かわいい” がこだましてる。嬉しかった。そっか、これでいいんだ。ブランディングとかしっかりしたものではなくて、こういう芸風だと思えるようになった。誰の真似をしなくても良い。何者でもない、感情のままに作った自分の作品がすごく好きになってきた。

自分が嫌になって仕方ない日もある。だけど、隠すのも強がるのもやめて、だめな日は思いっきりだめでいてやろう。開き直ることだって、立派な強さだ。しょーもないことで笑えたり、天気がいいだけでケロっと忘れてゴキゲンだったり。小さな幸せを見つけるのだって得意だ。積み重ねた毎日を振り返ると、自分を好きな日もいっぱいあったじゃないか。

どんな恥も、失敗も。悩み悩んだ日々も。80過ぎたら忘れる。大先輩が教えてくれた、広すぎる空みたいな視界。人生には出会うべくして出会う人とタイミングがあると言うけれど、大家さんは間違いなくその一人で、タイミングも必然だったように思う。

残りの日々を大切に過ごそう。いつか振り返った時、お守りのように思えるであろう愛しい日々。たくさん惜しんで、たくさん笑って、動く感情に正直であれ。

嘘をつかずに、素直に生きていこう。


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