奈良県生駒市の中学校の出来事について。

こんばんは、しめじです。

本当は、教職員という仕事のここがいいよっていう話の続きをしようと思っていたんですが、さすがに仕事柄無視できない報道があったので、あくまで報道で知りうるものごとの範疇で、思ったことをお話しします。

1 学校側の対応について

「警察に相談」という表現がなされていて、この言い方がかなり波紋を広げている、というか、とりあえず学校を批判しておけばいいだろうという人たちの注目の的になっていると思いますが、これはこう対応するしかないことだと思います。

理由はシンプルに、被害届や告訴は学校がするものではなくて被害者がするものであるからです。(法的には)学校そのものが被害にあったわけではないので、学校が被害届を出すことはできません。学校は生徒家族に対して、被害届を出す準備を進めるように促す、という助言しかできません。ただ、完全に犯罪行為なので、被害者となった生徒と保護者から被害届が出た場合はすぐに警察は動けるように連絡しておく必要はありますし、警察が動くなら学校はすぐに受け入れなければなりません。

ですから、現段階では「警察に相談」という表現しかできないのは当然です。

ちなみに、警察に届けが出されて現場検証などが行われる場合は、基本的にそれを拒むことはまずありません。特に今回は相当数の女子生徒が被害者となっていますので、無関係と自覚している生徒や保護者の理解を得るのも早いと思われます。

2 加害者生徒のこの後について

少年保護手続きは説明するとややこしすぎるのでこちらを見てください。

女子中学生の盗撮とその画像の流布、という行為を考えるのであれば、児童買春処罰法まで視野に入れるべきだと個人的には考えますが、もちろん少年院にはいかずに終わる可能性もあります(少年院送致という判断が下るかどうかは、当然私にはわかりません)。保護観察などであれば、あくまで普通の生活をおくることになります。

その場合ですが、実は公立中学は停学を命じることができません。そういった権限がまったく規定されていません。停学を命じるということは、「その生徒が学校で学ぶ権利を停止する」ということと同義なので、その生徒がどんな人間であろうと、義務教育段階にある人間の教育を受ける権利を停止することはできない、ということになっています。(この記事が気になってここまで読んでくださった方は全員ご存じだとは思いますが、義務教育は「大人が、子どもの持つ教育を受ける権利を保障する義務がある教育」です)

----------ちょっと話がそれますが、多分多くの人が違和感を抱いている「いじめた側ではなくいじめられた側が転校する」という事象もこれが理由です。当然、いじめた側が普通に学校に残っていたのでは、いじめられた側は安心して登校できません。感情的に考えれば、これはいじめられた側の教育を受ける権利が侵害されているように見えます。私もそう思います。ただ、あくまで制度・法律の解釈に徹すれば、いじめられた側が登校した時に授業を受けられるように備えること、転校を希望した時にその受け入れ先を教育委員会などが確保することがこの場合の「教育を受ける権利の保障」になります。納得いかない人がいることはわかります。私も納得いきません。-----

ただし、退学は命じることができます。「性行不良」の生徒を退学にする権限は法律できちんと規定されています。なぜ退学はOKかというと、「ほかの学校で学び続けることができるから」です。学ぶ権利自体は停止させられていないので、退学はOKです。

ただ、実際に退学になるかどうかは怪しいです。公立中学の場合、退学になった生徒は教育委員会が指定するほかの学校に入学することが許されます。ということは、ここまで世間も騒がせ、多数の生徒を傷つけた人物を、ほかの学校が受け入れなければならない、ということで、大抵は受け入れ先の校長が首を縦に振りません。首を縦に振ったら、それまで平穏無事に過ごしていた元々いた生徒と保護者が黙っているはずがないからです。おそらくここの調整が教育委員会と各中学校の校長同士で行われるので、ここで突っぱねられて押し付ける先がなくなれば退学させることは事実上無理になると思います。

3 スマホとSNSが悪いのか?

こういうことが比較的容易にできるようになった、という技術的側面があることは否定しませんが、加害生徒のモラル、倫理観、犯罪意識の問題とスマホやSNSを一絡げに議論することはあまり意味ないんじゃないかなと個人的には思います。

学校でちゃんと教えろというようなtwitterのつぶやきも見かけますが、言われなくても教えています。スマホやSNSの使い方については何度も集会があったり、警察に協力してもらって講習を開いたりしています。でも、実際にトラブルを起こして生徒指導部で聞き取りを受けた生徒は、「自分とは関係ないと思っていた」と口をそろえて言います。

学校で教えられたら、人間その通りに必ずできるものなのかは、多分人間ならわかるかと思います。

「学校に与えられた時間と人員と予算でできる教育」の限界を痛感させられる報道でした。

最後が少し現場の愚痴っぽくなって申し訳ないですが、今夜はこの辺で。


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