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インスタントな解答が玉砂利のように敷き詰められた時代に。

おはようございます。
しめじです。
多分、お久しぶりです。

今日で私の年末年始の休暇も最終日。
この年末年始は、ずっとポケモンをやっていました。
ソウルシルバー以来なので、10年ぶり、くらいですかね。
知らんのばっかり出てきて、とても新鮮な気持ちで楽しめました。
図鑑を埋めていくのが楽しいこと楽しいこと。
昔見たポケモンがさらに進化しているのを見かけて、お前も大きくなったなあ!みたいなね。言ってることがおじいちゃんおばあちゃんですね。

名前と見た目でタイプがわからないのが増えた。

一方、かれこれもう1000種を超えるポケモンだそうですが、
金銀くらいまでの知識で止まっている私からすると、見た目や名前ではタイプが何か全く判断できないのが多くなったな、というのが率直な感想でした。
ネタが尽きてきている、ということなんでしょうかね。

最初に出てくる、「パモ」はなんか黄色いから電気かな、くらいでどうにかなるんですんが。
「キリキザン」あたりから怪しい。名前は切り刻むが語源だろうから悪っぽいな。でフェアリー当てたら等倍。なるほど。切り刻む→刀→鋼とセットなのね。みたいな。
対戦で出会った「サーフゴー」がどーしてもタイプわからないから意を決して調べたら、鋼+ゴースト。鋼はわかる。見た目金色だし。見た目サーファーだから水かと思っていたら、なんでゴースト。
「オーロンゲ」に至っては、「ロン毛」以外の情報が無いじゃない。「ロン毛」って何タイプになるんだ。化石化しつつある生徒指導的発想であるならば悪っぽいけどって思ったら本当に悪で笑いました。(あとフェアリーらしいけど)

こんな感じで、出てくるの出てくるの、タイプがわからない。
クエスパトラが飛行じゃないのは意外でしたが、見た目がダチョウだからそりゃ飛ばないか、と納得してみたり。
あれこれ技を試したり、捕まえてタイプを確認するのが楽しいですね。

ネットを使わずにやりたい。

という感じですので、インターネットは使わずに一旦シナリオクリアまで行きました。
図鑑埋めは、インターネットも使いながらやっています。
金銀の時から、特定のアイテムを持たせて交換みたいな、教えてもらわないと気付きようがない進化条件があることは知っていたので。
でも、可能な限り自分で探索するのを楽しむようにしました。
なんか弱そうなドラゴンタイプが出てきたら、多分今回のカイリューバンギラスポジションだから、レベル60くらいまで最後の進化はしなさそうだな、とか。
なんか見た目悪そうだから、夜レベルアップかな、とか。
(〇〇歩一緒に歩いてからレベルアップは気付きようがなかったけど)

対戦で勝てない

というわけで、ネットで手軽に対戦ができるようになったので、ランクマッチに挑んで見ましたが、勝率4割くらいで中々先に進まない。
というか、しらんのばっかり出てくる。
しかも、ほぼ全員同じのが1、2匹混ざってる。
これに勝てない。
あれこれ試行錯誤したけど、勝てない(今のポケモンは、育てるの楽ですね。金さえあれば概ね解決します)。
あまりにも同じような相手が続くので、業を煮やして攻略サイトみたいなものを開いたところ、なんと今は強い人のパーティをレンタルまでできてしまう、とのこと。
どんなものかとレンタルしてみたら、あっさり勝ててしまって拍子抜け。
と同時に、一気に冷めてしまって多分私のポケモン熱は終わりを迎えたのでした。
気が向いたら、そういうのを分析して自分なりのパーティを考えてみようかなとは思いますが。しばらくは、まあいいかなという感じです。

過程を楽しむには、解答が出回り過ぎている。

話は変わりますが、学生の頃からあるカードゲームをやっていました。
はるばる大会に泊まりで出かけては、何回か旅費が浮くくらいの賞金を貰う程度には熱中していました。
まだまだネットの情報も乏しく、あるのは雑誌の記事くらい。
公式サイトに世界大会の結果記事が出ていたりすると、強いデッキ、最先端の流行とは知れるけど、そもそもそれを買い集める手段も乏しければお金もそんなに使っていられないですし。
一緒に大会にも行っていた友達と、お酒を飲みながらあれこれ試して、これで行ってみよう、みたいな。
それが、数年前にアプリで出たので嬉々として始めたものの、やっぱりランクマッチは似たようなのとばっかり当たる。
あー、これね、知ってる。と思いながらどんどんそれへの対策に尖っていったデッキを作って勝ちを重ねていく感じは、勝てるけど、全然面白くなくてやめてしまいました。
言い方は悪いですが、自分で考えて作ったんじゃないなっていう使い方は、すぐにバレますよ。
楽しいのは、勝つことよりも、どうすれば勝てるかを探す過程だと感じる性質の私としては、ネットで簡単に勝てるものが転がっていて、それに食いついて勝とうとしている人がうようよしている状況が、あんまり面白くない。そういう人と対戦しても、あんまり面白くはないですね。

多分、教育も同じこと。

多分、学校教育とかもその辺もやっぱり一緒で。
過程を楽しむには、情報も解答も出回り過ぎてるよね、とは思います。
もちろん、受験みたいな、明確な目標が存在しているものに対して、情報がある以上、それを集めて、計画を立てて、実行するというプロセスを踏むのは大切なことであって、それを経験するのは、そしてそれが出来るようになるのは大事なことなんですが。

そういう情報を得ようとすると、「◯◯しろ」「◯◯するな」っていう言葉遣いのものによく出くわします。
そういう、「解答」のフリしたみたいな情報が多いと、やっぱりインスタントな解答があると勘違いして求めがちになるんだろうな、とは思います。

だからなんですかね。普通の授業とかでも「答え」だけを知りたがる生徒が、年々増えているように思います。
古典の授業も、ネットで見つけた品詞分解や訳をプリントして持ってきて、それを見ながら私の話を聞いて、その授業中は「わからない」というストレス無しで過ごせるけど、試験で自分でやると全然できないとか。同じ助動詞が使われている、全然違う出典の文をパッと黒板に書いて、当ててみると、すぐ「わかりません」って言う生徒とか。
「答え」だけ知ったって、あなたが「出来る」ようになったわけではないからね、って思います。
別に、授業にそういうものを持ってきてもらうのは別に構いません。ただ、使い方が勿体無いなとは思います。それを自分で出来るようになるための道具として使う気はなさそうというか。気づけば一対一でそういう話をするようにはしていますが。私も目玉は二個で体は一個で一日は24時間ですから、全員には無理ですね。

ネットを悪いと言っているわけではありません。
ある以上、敵視してもしょうがないですし、ある以上、それはちゃんと使えば素晴らしいものなんですが。
私を含め、それを教えられる大人が少ない状況のような気がします。

ネットの情報の簡便さに特化していく速度に、私たちの情報を扱う能力が多分追いついていないですね。
これは、今年、自分なりにちゃんと考えていきたいことだなと思います。

では、今日はこの辺で。

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