インポリティカルコレクトな少子化分析
なぜ、フェミニズムが台頭と必ず移民に頼ることになるか。それはフェミニズムの性質が出生率と相性が悪いからだ。
世界共通のフェミニズムのオーソドックスな言説「女性の社会進出が進めば、一時的に出生率は下がるが、働きながら産みやすい社会に福祉を投資すれば、出生率は回復する。」その例として挙げられるのが日本ではフランスとスウェーデン、米国ではスウェーデンだ(フランスは近すぎて美化できず実情がばれやすいため、少子化対策成功例に出てこない)。これはネットで読んだオーストラリアの記事においてもフェミニストによる少子化対策の提言が全く日本と同じであるため、国際的な戦略かもしれない。
しかし、結局現在までフランスもスウェーデンも出生率は下がり続け、移民なしでは成り立たない。日本も同じルートだろう。
そもそもなぜこのフェミニストの少子化対策はうまくいかず、ほとんど全ての先進国が移民政策を余儀なくされてしまうのだろうか。
フェミニズムのイデオロギーそのものが、そもそも出生率と相性が悪いものが多いという点がある。女性が子育て支援を企業がやっていようがいまいが、女性の高学歴化による晩婚が出生率を下げ、さらに結婚の自由化や、自由恋愛(性交を結婚の枠の外に出す行為)は出生率を下げる。これらはよく耳にする議論だが、もう一つ新たな論点を加えたい。
それは「女性の社会進出(働きながら子育て)は、極めて財政的にコストがかかる」ということだ。税金を非常に使うのである。税収入は人口に依存している。つまり、単純化すれば、女性が子供を3人産めば、その子供が定年を迎えるまで何千万円のお金が国に入り、その中から福祉に配分し、さらに福祉の一部として女性の働きながら子育て (という名の妊娠、育児中に金を出すという政策)に税金を使う。この女性一人に使われる福祉がその女性が産む子供3人から創出される税金を超えることはできない。しかし、実際は越えてしまうため、足りない分は移民で補って女性の社会進出や働きながら子育て支援に税金を使うという本末転倒な状態が、今のスウェーデンやフランスである。そもそも税金使いすぎであり、仮にフランスの白人女性が3人産んでも実際は移民を入れなければペイできない。3人産んでも、女性が働きながら産むという福祉に使った税金を取り戻せないのに、そもそも3人産んでないからね。ましてやLGBTの結婚など、実際は女の出生率ノルマが上がるだけの政策である。それをフェミニズムは進める。出生率と相性が悪いのである。
にも関わらず、異様に税金頼みである。正直女の社会進出は社会にもたらす税金的な利益よりもそれによって使われる税金の方が多いので徐々に財政的にマイナスになっていく。それを先進国は移民を入れることによってフェミニズムに税金をどばどば使う政策を可能にしてきたのである。結局フェミニズムが少子化に対してやってきたことは一人あたり子供を産むのに使われる税金を、赤字になるレベルで多くしてしまい、移民を入れて赤字を補うはめになる。(例えば、女性が大学・大学院まで行き、企業に勤めて、3人子供を産む場合、まず、出産・育児休暇における国と企業の金銭的負担、晩婚化における出産コスト、大学院までの教育費、企業の出産サポート体制のコストなどがかかる。社会進出せず短大・高卒で結婚すれば、国や企業のコストはゼロである。夫が支えるわけだが、これは税金を非合理に使う訳でない、企業や国は夫側の給料を家庭を支えれるくらいの水準に上げる努力をするだけだ。これは無駄なお金が出ていかない。しかもこの体制だと子供を3人より多く産めるかもしれない。よって移民をいれずにすむ。
実は女性支援政策で、子供3人産まれたとしても(結局3人を産めてないが仮にできたとしても)、移民入れなきゃ赤字になるのだ。結局女性が産むための支援の税金を確保するために移民を入れるというジョークのような状態になる。ところがこれが北欧の現状なのだ。フェミニズムの弱点として、出生率を減らすという点は指摘されてきていたが、最近気付いたのは金使い過ぎというところだ。これフェミニズム側は気付いているのだろうか?
ここまではフェミニズムの少子化対策の機能不全を書いてきたが、これはあくまで、社会道徳としての善悪の話ではない。
だから、昔の形に戻せという流れになるのがマスキュリズムも警戒している。それは元の木阿弥であり、マトリアキー的な権力と男性差別も残ってしまう。警戒すべきことは少子化対策を名目に男女両者が納めている税金がリプロダクティブライツが男性が弱いために、いや独占されているために少子化対策=女性支援にすり替えられ女性に女性が権力と富を得るかたちで税金を使われることだ。貧しくて結婚したくても結婚できない男性に福祉支援が使われるのではなく。そういう意味ではフェミニズムの政策よりは保守派の伝統的性役割の政策の方が、短期的には男性には良く思えるだろう。しかしそれは、男性が5:95で不利な社会を30:70に戻すというだけでしかない。あくまでも50:50の社会は未来にしかなく過去にはない。そして仮に過去に一時的に戻ったとしても女の被害者として、被保護者としての特権的地位がある限りまたフェミニズムに好き放題やられるし、そもそも保守派はフェミニズムを止められない。常に負けているイメージしかない。なぜなら保守派も実際は女に甘いので、決定的な攻撃打を与えられないからだ。
女と対等に戦えるのはマスキュリズムだけだ。少子化の問題点は、結局持続可能な社会でないと男性の人権を守る社会も存在しえないということである。
出生率における現時点での解決法は、やや急進的な社会進出は抑えて、その一方その中で最大限に男女平等な部分を戻さないように妥協していく。例えばLGBTの結婚などは人口が確保できない現時点ではやるべきではない。結婚は現状は異性愛者のカップルの保護にしとくべきだ。こんなのは、出生率を確保する策が見えてからやればいい。そうでなければ今まで進めてきた全てを失いかねない。
もう一点は移民を全く入れないといことを諦めること。所詮移民はフェミニズムの政策と引き換えなのだ。女性に3人子供を産まない自由を与えるなら移民を入れなければならないし、女に3人産まないライフスタイルの自由を与えないならば移民は一人もいれないですむだろう。その綱引きのバランスだ。
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