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【パラダイムシフト】

ちょっと暗い話をする。独り言だ。読みたい人は、勝手に読んでくれ。

20歳そこそこの時に体を壊してしまい危うく死にそうになり、同時に人生どこに向かって走って行けばいいのかわからなくなり絶望した。説明が面倒なので詳細は控えるが、何故か一年にも満たない短期間の間にいくつもの怪我と病気に見舞われ、何度も手術を余儀なくされ、心身共に弱り切ってしまった。実際は勿論違ったが、人生袋小路に入りすべてを失ったと勝手に思い込んでいた時期でもあった。本当に苦い思い出だが、同時にとても貴重な経験にもなった。

手術する前に40.5°Cの熱が出て、8月の蒸し暑い真夏だったにも関わらず裸で雪山にいる様な悪寒がして、羽毛布団を2枚被ってもまったく治らなかった。1番怖かったのは、手術するまでその原因がわからなかった事だ。一連の流れで体重も10キロ近く落ちてしまった。元々僕は痩せていたので、そこから更に10キロ減は相当なものだった。デブがダイエットするのとは訳が違う。元の体重に戻るまで数年かかったと思う。

体が弱り、同時に目的も失ってしまい、落ちるところまで落ちた様に感じた。今まで好きだった事もすべて興味を失ってしまった。体に踏ん張りが効かなく、力が全部抜けちゃった感覚だった。ヤケクソにもなり、人生が一時停止していながら時間だけが流れていて、何とも言えない独特の苦しさだった。あれはもう2度と味わいたくない。



若い時は普通は体力があり、体も思う存分動き、年配の人が抱える様な体の不自由やあちこちの痛みなど皆無で、将来的に時間もたっぷりある筈だ。人生の本番はまだこれから先、という錯覚に陥っている人も多いのではないか。だが、人生にリハーサルなんてない。一瞬一瞬のすべてが本番なのだ。当たり前の事なんてなく、すべてが得難い事なのだ。普通は歳取ってから最後に力尽きる前にその事に気づくらしいが、僕はそれを先取りして体感出来た。その事を理屈ではなく体感出来た事で、その後の生き方が根本的に変わった。生まれ変わった。

元々とっても丈夫な体で風邪なんて何年も引かない程健康そのものだった故に、体調を崩した時のショックは大きかった。「どうなってしまったんだオレの体は?」そんな疑問が付き纏った。意識が朦朧としていた時期でもあり、いつ頃からかはハッキリとは覚えていないのだが、あの辛い経験のおかげですべてがとても愛おしく感じた。走馬灯というか、今までのうれしい時も苦しい時も楽しい時も退屈でつまらない時でさえ、一瞬一瞬がかけがえのない人生だったと心の底から感じた。「え?もうこれで終わり?そうか、そういうものか。」みたいな事を思っていたと思う。現在はありがたい事にもうとっくに完全回復している。とても元気だ。

健康を害する事がどれほど辛くて生きていくのが不便になるか、僕は知っている。片手を封じられるだけで、ペットボトルすら自分で開けられなくなる。腰を痛めてしまうと、靴下を履くなどのあらゆる日常生活の動作の度に毎回激痛を伴う。夜眠れない日がずっと続くと疲れが取れず気が立って体が鉛の様に重くなる。普通こういう事は老後に初めて自分自身が経験してから気づくと思うが、二十代前半というとても早い時期に先取りして経験出来た。若者は健康を崩し、体が不自由になる事を普通は経験していないのでこういう事を甘く考えがちだ。僕も体を壊す前はそうだった。体にスペアは無い。

近年電車に乗っていると、お年寄りに席を譲らない若者や中年が殆どに見えるが、明日は我が身だと肝に銘じておいた方がいい。誰だって段々と歳を取り、体力は落ち、いずれは力尽きる。生き物である以上これは絶対に避けられない。



大人になると何かと打算が増えるが、つまらない見栄の張り合いが本当に無意味だと切実に思う。連絡したい人がいるならすればいい。会いたい人がいるなら会えばいい。好きだと素直に伝えればいい。一緒に居たいなら居ればいい。

本やマンガ、アニメやゲーム、映画やドラマ、媒体は何でも構わないが、好きな物語の連載がまだ終わっていないのに力尽きるのは嫌だな。続きがどうしても気になってしまう。すべて完結して最後まで見届けるまでは、意地でも生きてやろうと思ってる。

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