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意味分節理論と空海(その十)

今週は何だかとても気持ちが悪い気分です。宝塚の事件や、八王子の事件が世間を騒がせていますが、「自身の心の中」にもその影響が現れている様です。久しぶりにネガティブな感情が沸き上がってきて、性癖を刺激して来るのです。最近では、自然界の明るさとのコントラストが激しくて、船酔いしそうな気分なのです。何だか仕事も手に付かず、色々なトラブルもあり困った状況です。漠然とした不安感と、気持ちのざわめきが、際立ってしまいます。「自身の不摂生」が先なのか、「世間の空気」が先なのか、混乱に拍車がかかって、判然としないのです。まあ、この「ネガティブな空気感」を調整して行くには、「自らの不摂生」を正すのが、先に違いありません。。。
この「場の意識」と言うものには「普遍性」があります。「自らの心の中」に、程度の差こそあれ、「世間」が詰まっています。こういった「自他不二」の感覚が「場の意識」にはあります。これは「合気道」と呼ばれる護身の技にも、流れている様です。「天龍寺」の管長である「佐々木容道」老大師がご講話の中で話された、「六粗慧能禅師」の「袈裟(禅の跡継ぎの印)」にまつわる伝説にも、この護身の技が垣間見えるのです。詳しくは、別な機会に書きますが、この護身の技に付きまとう、「自他不二」と呼ばれる感覚には、「禅」のエッセンスが流れています。私は、京都御所の近くにある「合気道の道場(合心館道場)」で、実際にこの技を見たことがあります。それはまるで「スターウォーズ」に出てくる「フォース」の様です。直接物は動かしませんが、「小柄な老人(谷本館長)」が、屈強な大男を軽々と投げ飛ばすその姿は、まるで魔法です。ある時には、指一本で、相手の動きを封じてしまうのです。まあ、ここまでの超一流の技の持ち主は、そうは居ないと思いますが、実際に目の前で見て、本物であると納得がいった次第です。これはまさに、「思想や学問」だけでは取りこぼされてしまう、「神秘の現実」だろうと思います。
この道場にはHPがありますので、興味のある方は、訪ねて見られては如何でしょうか。

「合心館道場」
https://www.aishinkankyoto.jp/


それでは引き続き、「井筒俊彦」先生の著作である「意味の深みへ」から、「意味分節理論と空海」の章のつづきです。

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『先ずイスラームの場合。イスラームの特徴的な思想の一局面として、「文字神秘主義」または「文字象徴主義」の名称で世に知られた言語・存在論がある。英語では、よくletter symbolismなどというが、原語ではhurufiyahという。前半のhurufはharfの複数形で、「文字」とか「アルファベット」の意。後半のiyahは何々「主義」という意味。
合わせてhurufiyahは、大体、「文字主義」、あるいは「文字絶対主義」とでも訳すのが適当だと思う。とにかく、これは西暦十四世紀、イスラームの歴史としては比較的初期、イランの北方に現われた一人のきわめて独創的な思想家、ファズル・ッ・ラー(Fadlullah 1339/40-1394)が興した学派である。時、あたかも蒙古侵入時代に当り、始祖ファズル・ッ・ラーは、モンゴル朝の支配者、帖木児(チムール)の息子ミーラーンシャーに捕らえられ、異端者として処刑された。胴体は猛犬どもに岐み裂かれ、首はドブに投げこまれるという悲惨な最期だったが、彼の思想は強力な思想潮流となって、その後も長くイスラーム思想界を騒然たらしめた。彼を信奉する人々は、彼を神として崇めたのであった。』

宗教の伝統には、凄惨な歴史が付きまといます。これは世界中の宗教文化に言えることで、ここ日本も例外ではありません。イスラームの場合は「文字神秘主義」と呼ばれる伝統が、あるようです。これは、人類にとっての「文化的な個性」の一つであり、他の文化からは理解も及ばない、突出した才能です。


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『ファズル・ッ・ラーの所説は、およそ次のとおりである。万物が存在し、我々自身が現に存在しているこの世界、我々が物質界と呼んでいる世界、は四つの元素から構成されている。四つの物質的元素とは、地・水・火・風であって、真言の「四大」に当る。
もっとも、空海はこれに空を加えて「五大」とし、それにさらに識を加えて「六大」とするが、視野を四大に限っても、普通、顕教が物質的な要素とする地・水・火・風を空海は法身の「徳」、すなわちそれぞれ法身大日如来の特殊な存在エネルギーの表われと考え、決して純粋に物質的世界の純粋に物質的な構成要素とは考えない。それと同じくファズル・ッ・ラーにとっても、地・水・火・風は「神の声」であって、純物質的な元素ではなかった。』

人類の「関係の意識」は、「科学的合理性」を背景に、「純物質的な元素」を志向します。これは、「欧米文化の個性」であって、肯定されこそすれ否定されるものではありません。「場の意識」の文化的な潮流である「日本文化」は、かつてこの精神を、心の底では理解できず、否定しようとしてきました。これら「合理的」な物事の見方より、「神懸かりの精神論」を信頼していたのです。これらの「関係の意識」の思考の方が、次元が高かったとも言えそうです。つまり「場の意識」とは、「関係の意識」と対になった「方向性」であって、「場の意識」単独では、「力」を発揮できないのです。よって、「神の声」をいくら叫んでも、「力」はないのです。まだ「文永の役(元寇)」の頃は、「関係の意識」の理性も低く、「場の意識」の作用である「禅」の優位性が、あったとも言えます。


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『ファズル・ッ・ラーによれば、力動的に働いてやまぬ四元素が触れ合い、ぶつかり合うとき、その衝撃で響を発する。響は、すなわち、四元素の「声」であるという。四元素が、動いても互いにぶつかり合わなければ、「声」は発出しない。と、いうことは、ただ「声」が実際に我々の耳には聞えないということにすぎないのであって、実は元素間に衝突が起こらなくとも、「声」はいつでも現に起こっている。』

「関係の意識」は、人間どうしの精神のぶつかり合いを生み出します。ここで表現される「声」とは、「場の意識」に呼応する「声」であって、「関係の意識」によるものではないのです。人間が普段使用している声は、「関係の意識」の作用です。ですが、これらの「声」は、人の心(場の意識)を通して、響き渡るのです。


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『万物の響、万物の「声」こそ、ほかならぬ神のコトバなのである、と。前に引用した空海の「内外の風気、厳かに発すれば、必ず響くを名づけて声という」とか、同じく『声字実相義』で「四大相触れて音響必ず応ずるを名づけて声という」などの言葉を彷彿させる。この「声」の究極的源泉を、空海のように大日如来と呼んでも、ファズル・ッ・ラーのように神と呼んでも、もうここまで来れば、まったく同じことだ。とにかく、ファズル・ッ・ラーにとっては、いわゆる物質は、実はすべて神の声であり、神のコトバなのである。』

「ファズル・ッ・ラー」は、「場の意識」のコトバを体現します。これらは、「場の意識」の文化の流れであって、空海さんの「真言密教」とも「意味共鳴」しています。


実は本日、とても刺激的な「意味共鳴(シンクロ)」現象がありました。それは、以下の「∞9次元アルクテゥリアン評議会」からのメッセージです。

「皆さんの中にある新しいポータル」∞9次元アルクテゥリアン評議会
---「ダニエル・スクラントン」さん経由
https://www.youtube.com/watch?v=v3NB3mtwqEg

この「皆さんの中にある新しいポータル」とは、
空海さんが「真言の心柱」の明晰夢を通して伝えてきた、以下の内容にそっくりなのです。
① 真言をキーとして扉を開き、消えてしまった心柱を取り戻せ
② 漆黒と化した柱、つまり人間の心を、再び活性化し輝かせろ

さらに、このメッセージの中にある
「5次元のテンプレート/鋳型、ブループリント/設計図、アイデア」が、「場の意識」と「関係の意識」のコトバに思えてくるのです。メッセージの表現は抽象的なのですが、私の「場の意識」と共鳴して、「具体的な意味」に変換されて感じられるのです。
しつこいようですが、私は、「ダニエル・スクラントン」さんとも、この「ユーチューブの翻訳者」とも、ましてや「∞9次元アルクテゥリアン評議会」とも面識はありませんし、「関係の意識」による交流もありません。

さああなたも、この意味共鳴の感覚を体験してみませんか。

さて、話がだいぶ逸れましたが、次回も「井筒俊彦」先生の著作である「意味の深みへ」から、「意味分節理論と空海」の章のつづきです。

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