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理系とは


ついさっき投稿した記事で、自分の好きなことなんやねん問題を解決したことについて書いた。その答えは

「僕は、理系の領域において、物事を考えることが好きです。」・・・(*)

であった。実はこの答え自体はずっと前に判明していのだけれど、一部モヤモヤが残っていたのでそれについて書けずにいた。それは、



「じゃあ理系って何?」



という問題。もっと言えば、(*)の中の「理系の領域において、物事」の部分をズバッと言い表す言葉は何なのかということ。

僕の場合、時間を忘れて没頭する感覚は、前記事で書いたように中学の数学の問題を起点として色濃くなり始めた。その感覚をもたらすものを、自分の好きなこととして認定したわけだ。

「じゃあ、あなたは数学が好きなんですね」となってしまうと、まぁ別に間違ってるわけじゃないけど、他だって外せない。機械系なわけだから、物理とか工学理論だって必要だし、そういうものたちを相手にしてる時だって時間はあっという間に過ぎる。じゃあ数学と物理理論だけでいいのか、というと、そんなガチガチ理学部っぽい決意は表明できない。コード書いて実行してバグと闘う時だって画面にへばりつけるし、試行錯誤して実験してデータ解析する時もあれこれ考えていられる。

こういう理系っぽいものを、一般的に何て表現したらいいか分からなくて、とりあえず「理系の領域」という風に置き換えていた。が、さっきふとこれらの一般表現が思い付いたので、書き残しておこう。

僕にとって理系っていうのは、


人外のものの挙動を考える。・・・(1)

最適解が求まる。・・・(2)


という領域のこと。この2つは同義のつもり。だからどちらか一方だけで解釈してもいい。まず(1)について解説しよう。

さっき例に挙げた、数学、物理、プログラミング、実験とかっていうのは、全部人間行動に依存しない物事だ。数学は人類が発展させた規則に乗っ取って広がる世界ではあるけれど、そこに人間の意思は介在しない。物理理論は自然界の物体や現象を記述したものだから、やっぱり人間がどうしようと関係ない。プログラミングとか情報科学とかは人間が見事に捻り出したものではあるけれど、頭の外に出て実現されてしまえばもう人間の意向には左右されない。実験をして観察する現象も、今僕が考えている範囲では人間が祈ったからってどうこうなるものではない。これらの理由から(1)と言えるのではないかと思った。

そして、生物としての人間の不確かさに依存しないからこそ、最適解が求まる領域だとも思う。求まる、もしくは最適解が予測可能な領域だ。解ではなく最適解と言うのは、不確かさを持つ人間が導いたり判断したりして他にベターなものはないと言い切れないのが普通の解、それに対して人間の意思に左右されない何かの基準や規則に従ってベストだと判断されるのが最適解、という区別をしているから。だから、(2)の言い方も思いついた。


よって、僕の好きなことを言い換えると、


「僕は、人外のものの挙動を考える領域において、物事を考えることが好きです。」・・・(*)’

「僕は、最適解が求まる領域において、物事を考えることが好きです。」・・・(*)’’


となる。んん…なんか気持ち悪い…(笑)

しっくりきたようなこなかったようなだが、とりあえず「理系」という言葉に色々背負わせていたところからは脱却した気がするから、今日はよしとしよう。


理系の方々、コメントお待ちしております。