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どこから自分を見ていますか

今日は穏やかな1日だった。

正月ってこともあるだろうけど、窓から見える道行く人の歩みと、雲の流れがゆったりしていた。
それに呼応するように、僕の気持ちも穏やかだった。ひとしきり涙を流すと、心のくすみがとれて、見るもの全てが愛おしく感じられるような感覚は誰しも経験したことがあると思うけど、今日はそれだった。

まぁ実際、ちょっと泣いちゃったからなんだけど。


noteを書き始めて、まだ2ヶ月もしてない。以前は、自分の中にしまい込んで冷凍保存しようとしていた思いの丈を、ちょっと時間をかけて料理して、ここに並べるようになった。数をそんなに書いたわけでもないのに、料理を並べることに味をしめた僕は、「自分ほんとはこんなこと思ってますねん!」を他の人にも知ってほしくなった。とばっちりもいいとこだが、僕の文章を他人に送りつけた。

元々、「書きたい!」って思う内容が、あんまり他人に話せない家族事情や、自分の性格上ネガティブなことになりがちだった。自分のダークサイドに焦点を当てて、暗いことを吐き出していた。

それに反旗を翻し、こんな感想を寄せてくれた人がいる。

「人って自分の悪い部分にばかり目が行きがちで、他人と比べて無いものを羨ましがる傾向にあると思う。だけどそれは、自分の良い所が自分で見えにくいから。他人からしたら、あなたを羨ましく思っている人だって沢山いるし、悩む必要なんてないくらい優秀な才能や性格とか沢山(自分では気付いてないのかな?)持ってると思う」

正直、目のまわりが熱くなった。

僕の父は、自己反省が好きだった。彼は仕事で何かあると、周囲に原因をなすりつけるのではなく、いつも自分の言動に原因を探していた。
僕もそれに似て、自分を謙虚でいさせたいがために、自分を変わらせたいがために、自分のあら探しをする癖がついていた。高校時代からその傾向は顕著になりだした気がする。だから、自分の良いところ・好きなところっていうお題に関しては、めっぽう弱かった。自分を褒めることよりも、他人と比べてできない部分をつついたり、自分を謙虚にいさせるために、褒められても素直に受け取れないことが多かった。それで謙虚でだけいられればいいんだけれど、あれこれ考える癖がついていた。

だからこのコメントを読んだ時、うれしかった。他の人からしたら、良いなって思うところ、羨ましいなと思うところを僕は持っているんだな、そう気づいた。

ふと、以前富士山を見た時のことを思い出す。

「富士山は、自分の美しさ、知ってるのかな。」

自分のいいところは見えにくい。
水面に映る自分の姿は、よどんで見えることのほうが多いだろう。
他人の目に映る自分の姿は、見えること自体少ない。
だけどそこに、考えもしなかった「自分」が映っているかもしれない。


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これからも、しょうもないことで必要以上にヘコむんだろうな。自分何にもできないじゃんって思って、泣き出す3秒前みたいな顔で家に帰ってくることもあると思う。でもこれからは、そんな時に使える必殺技がある。「他人の自己評価」を聞いてみること。「おれのいいとこって何だと思う?」って聞くこと。教えてくれたら、「ありがとう」って言うこと。そんなこと聞けるかなって人が、頭に何人か浮かんだら、幸せなことだと思う。

そして、そんな言葉をガシっと掴んで、ゴクっと飲み込む。
それくらいの素直さは、おっさんになっても持っていたい。