名前
昔々、ある村に一人の男がいた。
彼は、財産も、能力も、全てを持っていた。
ただ1つだけ、彼には、名前がなかった。
村の人々は、彼を「彼」と呼んだ。
「あの家の人」
「あのお金持ちの人」
「あの優秀な人」
そんなふうに呼んだ。
誰も、彼の名前を気にしなかった。
彼は、名前が欲しくなった。
村中の人々に、名前を売ってはいないかと聞いた。
しかし、誰に聞いても、名前を売ってはいなかった。
彼は、名前を買うことができなかった。
彼は、名前を探して旅に出た。
森を抜け、山を越え、ある丘に辿り着いた。
その丘の頂上に、1本の木が立っていた。
目を凝らすと、風にざわめく葉っぱにまぎれ、名前が1つぶら下がっている。
彼は夢中で、その名前を木からつかみ取った。
彼は、名前を手に入れた。
村に帰ると、みんなが彼をその名前で呼んだ。
彼は満足した。
得意になった。
自分の名前が呼ばれるたびに、彼は自分を証明した。
だけどそのうち、彼はその名前に飽きてしまった。
違う名前が欲しくなった。
たくさん名前が欲しくなった。
彼はまた、旅に出た。
名前のなる森に入り、名前をちぎった。
名前が埋まる洞窟に侵入し、名前を奪った。
名前が捨てられた海に潜り、名前をあさった。
彼は、多くの名前を手に入れた。
飽きた名前は、すぐに捨てた。
新しい名前を、すぐに飲み込んだ。
彼はすべてを手に入れた。
ある日、いつものように森に入ると、1人の少女に出会った。
彼女も、名前を探していた。
彼は、ポケットから名前を1つ取り出し、彼女にプレゼントした。
彼女は、
「ありがとう。あなたは、優しい人ですね。」
そう言った。
彼は、もう名前を探さなくなった。