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幸せの種拾い

どんな会社に入って頑張るかは、今後の人生の転換期ともいえる。

そんな転換期に向けて、人生で初めての面接を経験した。


高校・大学・大学院での自分の経験や、これまで感じたこと考えたことを、2人の面接官に向けて力の限り、加工なしで生のままを伝えた。聞かれたことに対して、頭をフル回転させて、答えた。前のめりになって、汗だくになって、放出した。


面接途中と終了間際、1人の面接官の方がこんな風に言ってくれた。

「あなた、あんまり敵はいないでしょ?なんていうか…良い人っていうのが伝わってくるよ。」

「あなたみたいな人と一緒に仕事できたら楽しそうだなと思いました。クリアに説明できていたし、馬力もありそう。かつ繊細に物事を考えているというのが伝ってきたので。良い面接の時間でした。」

ひねくれ謙虚野郎の僕は、前者に関しては「ん?これは社会に出てからは敵ができないようなお人好しではやっていけないよ、というお達しなのか?」と、後者を聞いた時には、「おいおいどこまでが社交辞令なんだよ。面接の後裏であれこれ言い出すんだろうに…」なんて思いながら、その反面やはり嬉しかったので、「ありがとうございます。」と答えた。



40分の面接はあっという間に終了した。



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大事な面接など、重要な局面で神経を研ぎ澄ませて人と話した後は、しばらく興奮が収まらない。帰りの電車の中でも、興奮しっぱなしで鼻息が荒いままだった。そんな状態で面接を思い出していると、さっき言ってもらった言葉がグイグイ蘇ってきた。

言葉の裏に込められているかもしれない別の意味や、真偽のほどは別にして、僕なんかよりもよほど多くの人生経験を持っている大人が、この40分で僕のこれまでの24年間から染み出た上澄みを見て、さっきのように褒めてくれたのはめっちゃ嬉しい。何だか例えようのないくらい幸せだ。ここまで生きてきて良かった。それなりに色々乗り越えて、それなりに頑張ってきて、そういうものを凝縮して絞り出した一滴が、僕よりも人生を知る人間に評価されたことが本当に嬉しい。

その凝縮の素を作ってくれた両親に感謝したい。その一滴を見逃さず、僕に言葉をプレゼントしてくれる人にも感謝したい。



凝縮、一滴、というのは、他の言い方はできないかな。

思うに、何か一生懸命頑張っている人は、知らず知らずのうちに身の回りに幸せの種をまいている。それは自分の頑張りから自然と出てくるものだけど、自分では何故かそれに気付けない。

その種を拾って自分まで届けてくれるのが、きっと周りの人なんだ。

種が届けられて初めて、自分の頑張りが、人生が、思わぬ形で種を落としていたことに気付く。色も形もバラバラだけれど、1つ1つの種の中にはいろんな経験や努力が詰まっている。まじまじとそれを見返して、あぁ、ここまでやってきてよかったなぁと思う。

そのお届け人を果たしてくれるのが、他人というわけだ。


幸せのためには、両方欠かせないんだね。