共テ流出から考える、共テの必要性

2022/01/15、全国の大学受験生が共通テストの1日目を過ごしていた。その際にあってはならない、事件が発生した。いわゆるカンニングのようなものだ。漏洩者はSNSを使って問題文を撮影し、それを外部の大学生に解いてもらい、その答えを自身のテストに記入していた疑いがあるという。いわゆるカンニングである。このような事件は過去にもいろいろな形で発生していて、それは今後もなくなることはないだろう。

どうしてこのような事件が起きるのかやはり、考えられることとして、

①大学全入時代であること

②共通テストはマークシート形式であること

③テクノロジーが発達していること

が挙げられると思う。

テクノロジーの発達は悪いことではない。それによって大きな恩恵を皆受けているし、そもそもズルをしようとしてできたものではない。ただ、その技術を不正に使用することが悪いことであるというのは誰もが思うだろう。

私は、大学全入時代、大学に入るのが当たり前になって、大学そのものの価値が非常に低下しているのが問題だと考える。もともとは最高の学問研究機関としてあるものが、今では就職するための学歴フィルター対策になりさがっているのだ。学問を追求する時代は終わったのだろうか。とはいえど、工業学校や商業学校などに行かなかった場合、大学入学しか道がないのも現実である。価値を感じれば、このようなズルを起こそうという気は起こらないはずなのだ。

「価値を感じない」のに「大学に行かないといけない」といった心理的矛盾がこの事件を物語っているのではないだろうか。

そして、もう一つ扱わなければならないのは、共通テストは本当に必要なのかという根本的な問題だ。1979年から始まったこの制度は、もともと大学入試(現在で言う二次試験)が難問が多く脱落者が多いことが問題となって、この制度ができたようだ。それから、高校の学習レベルの確認にも使われているのだろう。その結果、大学に入ることが軟化し続け、大学の価値が下がってしまっているのだ。もちろん意味がないとは思わないが、かえってたくさんの問題を孕んでしまっていることを考え直すべきである。

私のまとめとしては、

「今現在の共通テストはほとんど意味がない」

ということだ。

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