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嫌だけどやる

時間がとても早く過ぎていく。

最近「やらなければいけないと考えていること」が想像以上に自分の心身に緊張を強いていたのだと気がついた。そして「やらなければいけないこと」の背後には「やりたくないけど...」という枕詞が付随することも発見した。それは限りなく「嫌い」に近い感情を帯びている。つまり「嫌いなことをやらなければいけない」状況に自らを追い込むことでストレスを自ら生み出しているという構図。なんてことだろう...。


「やらなければいけないと考えていること」は日常に点在する。たとえば「朝7時の電車に乗らなければいけない」「皿を洗わなければいけない」「服を畳んで収納しなければいけない」など。当然のことながら、生活そのものがやらなければいけないことのカタマリである以上「やらなければいけないこと」を避けて生きることはできない。というか、避けないで生きるのが当たり前という感覚かな。「やらなければいけないこと」は、あまりに日常に溶け込んでいるということだ。


したがって「やらなければいけないこと」が原因で自分の心身が疲弊していることに極めて気づきにくい。やらなければいけないことをすることはあまりに当たり前のことであるからだ。思い込みに捕らわれて生きている、とも言えそう。思い込みに捕らわれて生きている状態は、心身に緊張を強いる。エネルギーの浪費が続いてしまう。


「やらなければいけないこと」を避けることはできない。しかし「やらなければいけないこと」が原因で生じるストレスは軽減することができる。それは「嫌だけどやる」と自覚をすることだ。大切なのは、自分の中に選択肢がある、という状態を維持することになるのかな。


なるほど。自分は、嫌だけどやる、と意識をする手前の段階で、これは嫌いなことだ、と感じるためのセンサの感度を上げる必要があるな、などと考えた。

まだまだこれからだね。

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