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いろいろなことをして生きていく

自分は午前7時半から10時までトレーニングをして午後12時半から17時半前後まで中堅レベルの中小企業のバックオフィスで働くといった生活をしている。就業後はジムにいったり銭湯に行ったり夕食を作ったり家族と話したりと割と自由な時間を過ごして、だいたい22時半には寝る。アスリートとして7時間睡眠は確保する算段で、起床は5時半前後、遅くて6時前といったところ。


あなたはなにをしている人なの?というシンプルな質問に一言で返せない。競技のことを話せは、それってプロってこと?と追加の質問に対して、うーん競技で飯を食っているわけではないからプロではないなあ、などという答えを伝えると、だいたい相手の頭の上にクエッションマークが浮かんだまま自然とこの話題が終わる。会社で働いていることを伝えれば、一般的なサラリーマンとして相手に認知されることは間違いないけれども、これじゃ自分のしていることの半分も相手に通じていないのだよなあ、と思う。かといって競技のことを持ち出すと話しが容易ではなくなるし...ぶつぶつ。ステレオタイプ通りに、夢を追うために就職はせずにバイトをしながら競技を続けている、という生活を送っていれば分かりやすいのかもしれないけれど、自分は競技も企業で働く上でのキャリアも両方追いながら生活をしているので、何かを犠牲にしながら夢を追う、という意識は微塵もない。結局のところ、自分が望むコトを全て追求しているのだと思う。

 

大学は文系だったけれど、活発に活動しているゼミに所属していた。いわゆる「がちゼミ」に所属していたのだった。当時のゼミ仲間や大学時代に仲良くしていた仲間はみんな、聞けば皆が知っているような優良企業に就職して一定以上の社会的ステータスを保持しながら暮らしていくことを第一に考える人が多かったと思う。そして就職活動で希望する企業の内定を獲得することから逆算して学生時代に何をするべきか?を考えて、将来的に優位な状況を作れるように自身の行動に布石を打っていく。そんな意識の高い人たちとつるんでいた。目論見通り、彼ら彼女らは、就活偏差値の高い企業に次々と就職していった。

いま振り返ると、極めて同一性の高いコミュニティに所属をしていたのだな、と思う。反対に今は競技を行うという共通の目的のもとで、外国人・学生・個人事業主・社長・旧帝大卒理系・高卒など多様な人間に囲まれている。まあどれをとってもラベルの付け方の問題に過ぎないけれども、感覚として、競技なくして出会わなかったタイプの人間たちだ。面白いね。日々、退屈することがない。感謝である。

 

大学卒業から数年たって、周りを見渡すと、自身の価値観に沿って柔軟にキャリア選択をする人が増えたのではないか?と感じる。自分のように、競技をしながら企業で働くパターンもあれば、思い切って仕事を辞めて東海道五十三次を歩く旅に出る猛者もいる。企業の被雇用者として普通に働いているとみせかけて、実は趣味に関する技術を高めるために専門学校に通っていたり、大都市で働くのではなく地元である地方に帰る者も出てきた。またリモートワークが可能になったことを利用して、地方と東京の2拠点生活を始めた者もいるくらいだ。いずれも、世の中の王道とされている働き方から降りて、自身の価値観に従って判断を下した結果だと思う。実に多様な働き方が可能になった。戦後、企業で働くことが一般的になった時代から、戦前の個人事業主がメインな働き方だった時代に戻りつつあるのではないかな。企業と個人のパワーバランスが変わった結果だろう。いまや個人が大企業をSNSで叩く、といった構図が普通に成立する時代だ。

 

どこかで「世界はリキット化する」という表現をみたけれど、床に水をこぼしたときに島のような水の塊が点在する構造が現れるように、個人においても、経済と私的生活が密接になった状態で「島」が点在する社会に変容していくのであろう。そして個人はどの「島」で生活をするか選ぶことができる。というか、その人の特性に見合う「島」に自然と吸い寄せられるといった方がよいかも。

 

変容する社会にしたがって、個人が望む生き方を加味した生存戦略が必要になる。自分としては、各人が何かしらの「技」を身につけることの重要性が相対的に上昇してきたように感じている。

 

いろいろなことをして生きていける時代になった。それは自由だけど孤独、そして尊いものだと思う。

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