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コーヒーを淹れる

休業中にずっと家にいるのもなあ、家で仕事もしてたしかと言って実家だとお母ちゃんに負担かけてる感も気になるしなあと思って、都内のホテルに一泊籠りに来ました。おかげでコーヒー淹れるのが好きだったこととそのきっかけを思い出しました。

もとよりコーヒーがとても好きというよりは淹れる行為の方が好きなるのが早かったかなあと思う。初めてコーヒーが飲めるようになったのはたしか高校生の頃だった。おませながら塾の夏期講習に向かう途中、小田急新宿の地下にあるスタンドだけのスターバックスにハワイ土産のタンブラーを持ち込んで、アイスのアメリカンを淹れてもらっていた。ほぼほぼ毎日そうしていたので胃が荒れて、お陰で食を受け付けなくなり体重が落ちたのはいい思い出。

それから時間が経って普通のコーヒーを飲めるようになったのが大学生の頃。背伸びして古い喫茶店でコーヒーをもらったりもした。最近は胃の荒れが顕著なのでカフェラテとかマイルドめのものを頼みがちですが…

社会人になって1年目が終わりかけの頃、新型コロナが流行り出した。当時自分の拠点から遠く離れた都市のプロジェクトにアサインされていた私は、感染の広がりがまだ遅かった現地に、当面の間滞在し続けることを余儀なくされた。
見知らぬ土地での生活はあまりにも唐突で、開く気配のないショッピングセンターやカフェを尻目に、かろうじて押さえられたキッチン付きのマンスリーマンションで時間を過ごしていた。大概の飲食店は閉まっていたから、初めのうちは自分がまず食べるものをひたすら作って、食べて、働いて寝ての繰り返し。

繰り返しているうちには何度もスーパーに行くことがあって、初めは野菜、肉魚、調味料コーナーにしか立ち寄らなかったけれど、生活に慣れていくうちにドリップパックのコーヒーのコーナーがやっと視界に入った。それまでは視界に入りもしなければ思いつきもしないくらい、最低限の生きることに集中していたんだと思う。文字通り、コーヒーは嗜好品だなと思う。ちなみに酒はがんがん買ってた。

初めてドリップパックのコーヒーを買って帰って、注ぎ口が広すぎてコーヒー淹れには極めて不向きな電気ケトルからお湯を入れて、かろうじて知っていた「お湯を何回かに分けて淹れる」「お湯がなくなり切ってしまう前に次のお湯を投入する」を実践した。そうして淹れたコーヒーは、特段思い出せるほど美味しいものではなかったし、タイムスリップして飲んだとしてもまあまあな仕上がりだったと思うけれど、少なくともあの生活の中でコーヒーを淹れることを知れたのはなによりの出来事だった。
多分その時から、コーヒーを淹れることが好き。

それからしばらくして東京に戻って、今も住んでいる家で一人暮らしを始めた。
今度は注ぎ口の細い電気ケトルを買って、有田焼で真っ赤なのがお気に入りのドリッパーとイッタラの石のような色合いのマグカップも揃えて、カルディや立ち寄ったコーヒー屋、友達からのお裾分けや手土産の豆たちをコポコポと淹れている。
相変わらず胃が荒れやすいし、薬を飲んでいることもあって飲む頻度は高くないけれど、粉の中からぷっくりと空気が出てきて膨らんで、最後は円錐型に粉が落ち着いて、部屋にはコーヒーの香りが広がる瞬間が好き。

浅煎りよりは深煎りの方が好きだけど、この前たまたま浅煎りの粉をもらったので、浅煎りを美味しく淹れられる術を早いところ見つけたいなあと思いつつ、チェックアウトまでの時間の時間をぼんやりと過ごしています。

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