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キャリアブレイクという温かい考え方

最近知った言葉で素敵だなと思ったことがあります。
それは「キャリアブレイク」という言葉と考え方です。


キャリアブレイクを知ったきっかけ

キャリアブレイクというのは「自分に合わない会社から一時的に離職し、感性を回復させ、人生を立て直す」という意味です。
「休職」や「離職」というのは今までの日本にある制度ですが、こんなに感性を大切にしてくれる言葉があるのか!と感銘を受けました。
はじめて知ったのは合同会社「パチクリ」の北野さんのnoteを拝見したときでした。北野さんが語りかけてくれているようなnoteに優しい気持ちになりました。
読んだときに素直に思ったのは、「これわたしやりたいやつじゃん」という気持ちでした。今まで押し殺していた「仕事を辞めたい」というマイナスな気持ちを肯定してくれたようで、自分の辞めたい理由もこれだ!とクリアになりました。


キャリアブレイクの理由はなんだっていい


「離職」や「休職」となれば病気やけがをして休むというイメージがあります。近年は精神疾患のイメージが強い方も多いのではないのでしょうか?厚生労働省によると、「精神疾患を有する総患者数は約419.3万人おり、増加傾向である。」とのことだそうです。自分自身や身近に適応障害やうつになったという方もいるかもしれません。
私も実は適応障害と診断され1年が経ちました。薬を飲みながら現在も仕事を変えずに働いています。
正直、病院に行けば休めるんじゃないか、と思っていました。逃げたかったんです。でも自分自身で決めることができなかったから、お医者さんに止めてもらおうと思っていたんです。
結果、休職のきの字も出てこず、今に至ります。私はお医者さんからしたら軽いのかもしれません。でも、休めないのはなんだか自分の苦しみを認めてもらえなかった気がして落ち込みました。
漠然と休んで気持ちを整理したいという気持ちを押し殺していた中で「キャリアブレイク」という考え方を知りました。
私が休みたい理由は「一度立ち止まりたい」と思ったからだったんだと気づきました。一旦自分の人生についてゆっくり自分と対話して答えを出したかったんです。自分の人生に嘘をつきたくありませんでした。

こう思っている方、実は少なくはないんじゃないでしょうか?病気を患っていなくても、漠然と休みたいと思っている人。今のままでいいのかわからないから、一度立ち止まりたいと思っている人。
病気したから、けがをしたからというわかりやすい理由じゃなくても、漠然と立ち止まれる時間を肯定してもらえる世界であってほしいと思うんです。


家族がいる、それでも自分の人生は自分のものです


最近わたしの職場でも、仕事を退職した先輩がいました。その人は家族がいます。今年小学生になったお子さんもいます。それでも、自分が限界だと思って退職されました。
例えばこれを友人から聞いたとき、どう思いますか?
「いいんじゃない?」「頑張ったね」と肯定する言葉をかけるかもしれません。
しかし同じことをあなたの家族から、パートナーから言われたらどう思いますか?
「生活はどうするの?」「子供もこれから教育にお金がかかるんだよ」という思いが一瞬よぎるかもしれません。
もちろん愛する家族だったら肯定する言葉をかける人がきっと多いかもしれませんが、経済的な大黒柱になっている人であれば経済的な不安に駆られるかもしれません。
退職した先輩が、退職を別の先輩に報告したとき、「私も辞めたいけど家族に止められた」と言われたそうです。
家族がいると、自分の人生が自分のものだけではなくなるんだと思います。

私の父も、私が中学生の時に「キャリアブレイク」をしていました。私の父はずっと家にいて、母と喧嘩もしていて、家庭環境崩壊も経験しました。
その時は「なぜ父は働かないんだろう」「私進学できるのかな」と思っていました。母は専業主婦だったので、経済的不安を余計に覚えたのかもしれません。
でも今ならわかります。あれは立派な「キャリアブレイク」でした。

家族がいると、キャリアブレイクしづらいというのはあながち事実だと思います。でも、いくら家族がいても、自分の人生は自分のものです。自分のものだけではないとしても、一番大切なのは自分自身。
といっても、経済的不安は拭えないと思うので、心理的支援はもちろん精神的支援もあってほしいと思いました。


「キャリアブレイク」をもっとカジュアルに


「休む」という概念自体、あまり良くないものとされている風潮もあると思います。それは幼少期から感じていました。
小さい頃私は病気がちで、しょっちゅう熱を出したり、インフルエンザが流行れば必ずもらうくらい休みがちでした。
そんな私が学校でもらえる賞の中で最も縁遠いのが「皆勤賞」です。休まずに学校に行ければもらえる。私は取れないものだな、と思いました。
頑張って学校に行く、会社に行くことが美徳とされている気がします。昨今は感染症の流行で体調が悪ければ休みなさい、とやっと社会が許してくれたような気がしました。
有給休暇を取るのさえもなんだか窮屈だなとも思います。
「お休みをいただきありがとうございました」なんて私も休んだ次の日行っていますが、有給って権利なのになあなんて思ったりもします。
身体が弱いのが、心が弱いのが悪いわけではありません。権利だし、休む時間があれば生産性も上がると思います。
「キャリアブレイク」に期間はありません。その人が思うまで、キャリアブレイクは続きます。自分に納得するまで、自分らしい働き方、生き方を見つけるまで、旅は続きます。
なので、もっとカジュアルでいいと思います。表現が適切かはわかりませんが、アクセサリーくらいカジュアルでいいと思っています。つける日もあればつけない日もある。大ぶりのもの、小ぶりのもの、きらきらしているもの、控えめなもの。個性があっていいと思います。
アクセサリーはお守りのような存在の人もいると思います。キャリアブレイクもお守りであっていいです。不安な時にぎゅっと握り締めてもいい、願いが叶ったら神社に奉納してもいい。どうか「逃げ道」とかネガティブな思いばかりは持たないてほしいです。


もっと優しく、温かく、社会がありますように

このnoteを使って、「キャリアブレイクを文化に」と会社を立ち上げた北野さんとお仕事したいと宣言します。
もっと考え方を認知してもらい、カジュアルになってもらいたい。会社が制度として作ってもらえるくらいに、自治体が支援してくれるくらいに。
毎日忙しない駅でこそイベントすると面白いかも。こっそりとした隠れ家をオンラインで作ってみたい。

夢が膨らみます。いい未来になるといいなあ。

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