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世界を広く見る先生になる

来週から社会人復帰をする。
母校である専門学校の先生になると決めて気づいたら半年経っていた。
前職での経験をこれから医療スタッフになる学生に伝えるのがミッション(だと思う)。

皆さんは「学校の先生」と聞くとどんな思い出があるだろうか?
恩師を思い浮かべる人もいるだろうし、嫌だった先生のことを思い出させてしまうかもしれない。
今考えればどうってことないことが、学校という小さな世界で生きていると先生が絶対的な存在で従わないとダメだと思っていた。

学生時代ヤンキーとかでもなかったので先生に反抗した記憶はないけれど、指導される内容に全て賛同した記憶もない。
校則を守っていたのもその後先生と対峙する指導が面倒くさいからという理由だったので派手なこともしなかった。
そう考えたら「従わなければならない」よりもその後のコスパが悪いってだけで色々諦めていたかもしれない。

絶対的な存在だけど心の底ではそう思っていなかった先生という職業は、学生にある程度影響を与えるものだとも思っている。
熱血漢とかではなくて「大人」というモデルケースの1つになるからだ。
社会に出ればいろんな大人がいるから、先生なんてその1つでしかない。
しかし学生だと出会う大人が少なすぎるので、良くも悪くも大人の意見に左右されがちになる。
もちろん自分より長く生きている人の意見だから正しいこともあるけれど、その大人だって狭くて偏った世界しか見てなかったらその意見は世界のちっぽけな部分を切り取った結果でしかない。
そんな先生という仕事を、私は選んだ。

大人のモデルケースというだけではなく、先生は評価者になる。
学生の成果に対して成績をつけることになる。
前職で部下がいたわけではないので、経験上初めてになる。
評価された歴20年越えの経験として記憶に新しいのは前職での期末評価だ。
大きな組織の評価というのはどうも複雑で、評価のアルファベットを言われるたびに良くも悪くも納得できた経験があまりない。
ファクトベースだったのだろうけど、自分のやったことがうまく書けずに後輩育成を「お姉さん風」だの「ボス」だの言われたのは苦い経験だ。

このnoteは完全自戒だ。
これから先生として人の上に立つ者として、いろんな経験を胸に大人のモデルケースにもなるし評価者にもなる。
先日Twitterにつぶやいたことがある。


先生だって先輩だって上司だって上長だって結局みんなは同じだと思っている。
立場が下になる人が見ている姿によって言葉の受け取られ方は大きく変化する。
その結果ナイフにも優しく包む器にもなる。
立場が上の人に言われる言葉は何倍かになって傷つくことだってある。
自信がなかったり自己肯定感が低いと特にしんどい。
これは心の中に刻んでおくべき。

これからいろんな学生に出会うことになる。
自分の辞書にはないような人もきっといるだろう。
だけど自分の辞書にある「当たり前」は自分の人生の半径1mでしかない。
「当たり前」を更新しながら、半径1mを広げていきたいと思う。

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