見出し画像

『犬王』についてのネタバレ愚痴感想

画『犬王』についての愚痴感想です。
なので、好きな人や反対意見も読んでみたい人以外は読まないでください。

まず、湯浅監督については『映像研』は大好きだけど他は合わないと感じてる。
けど見るべき監督だなと思ってるし、犬王のモチーフは好みだしアヴちゃんも森山未來もファンなので元々配信で見ようと決めていた。
映画公開時に観た似た感覚の友人の評がどれも「あぁ、合わないタイプの湯浅監督作品だな」と感じるものだったからだ。
けど、今までは合わないからと何か言いたくなることもなかった。

けど今回は、テーマが異形だったり河原者だったり贄だったり平家だったり。
虐げられた者たちの話だ。
自分にとってとても大事なテーマだ。
だから、スルーすることができなかった。

最初の部分はとても良かった。
友魚の海のシーンから、草薙の剣を海から引き上げた船の上での悲劇の描写は圧巻だ。
アニメーションの動きも美しさも、室町文化の描き方も全編通して本当に素晴らしいと思う。
魅せられた。

素晴らしいからこそ、言いたい。

友魚が橋の上で歌い出してからが辛かった。
とにかく歌が長かった。
しかも琵琶が大事なモチーフなのに、え?ギターにしちゃうの?ロックなの?と。
室町にロックを持ってくることで、今までにない革新的な音楽を彼らはやったんだ、ということを表現したいことはよくわかる。
けれど、大友良英さんのお仕事で、あれ?と思ったのは初めてで、せっかくなので歯に衣着せず言うが音楽がダサかった。
正確に言うなら合わなかった。だけど正直に言うならダサい。
そして森山未來の歌を長時間聴いているのがとてもつらかった。
倍速ボタンを探したが、アマプラにはその機能がなかった。
いやもう、ダメ視聴者なのは承知の上ですが、最初にこの映画が好きな人は読まないでと書いたので、この調子で書いていきます。
森山未來は役者としてダンサーとしてファンで。二度ほどダンス舞台も観に行った『モテキ』も武田鉄矢との刑事ドラマの演技も素晴らしかった。イスラエルにダンス留学したドキュメンタリーもとても良かった。
出てるだけで楽しみになる役者さん。
でも歌い手じゃない。歌のプロじゃない。
短かったり、ポエトリー・リーディングなら大丈夫だったと思う。
がなる歌声と、そして演出上わざとだとは思うが(河原者を描きたいのだから)汚らしい口元を長々とリフレインして映し出して聴かせるのがキツかった。
その後も長々とした友魚の歌シーンは全部ずっと辛かった。
アヴちゃんという天才と、プロでない歌い手をどうして歌で一緒にさせたんだろうか謎なのだ。どう考えてもバランスが悪すぎる。
声の演技は悪くもなかったけど良くもなかったように思う。
ここで、森山未來とはもしかしてかなり役を選ぶタイプの役者なのではと思えてきた。『シン・仮面ライダー』でもいまいちだったからだ。

アヴちゃんは最高だった。
演技も歌も素晴らしかった。
インタビューなどは読んでないので憶測に過ぎないが、この作品は『どろろ』とかなり酷似していて、少し前にアニメ化したOPを女王蜂が担当し、そのイメージで最初から犬王のキャラも、アヴちゃんありきで作られたように感じた。
だからアヴちゃんが歌うシーンは倍速ボタンなど探さなかった。
けど、ダンスや舞台演出もしんどかった。
なぜ、せっかく犬王を「異形のもの」にしたのに、人間ではない「規格外」のキャラにしたのに、現代的な「型」にはまりきったダンスから振付を持ってきたのだろう?
バレエも新体操もエアリアルなそれもストリートも、全部アリモノだ。
演出もサーカス的で、どこかで見た現実にあるエンタメ舞台演出の域を出ない。
実際のシルク・ド・ソレイユの方が現実離れしてるくらいだ。
もちろんコレも室町にロックを持ってきた意味と同じく、現代舞台を持ってくる革新さを現したいのだとは思う。
けど、アニメなのに。
怨霊とか現世や来世も出てくるファンタジーとしてるのに。
犬王は異形なのに。
異形とは人間の枠からはみ出し疎外されている代わりに、自由を持つというのに。
しかも犬王の性格も動きも、舞台に入るまでは自由闊達だったじゃないか。
なぜ。
なぜだ。
森山未來が出てるのに。
彼がイスラエルでやってきた自由なダンスやコンテンポラリーでもいいじゃないか。
なんで自由を感じさせないんだ。

そして、これは手塚治虫も『どろろ』で陥ったことでもあるけど。
百鬼丸は父親の祈願の贄とされたせいで、身体中の部位を鬼神に取られてしまっている。どろろの主軸はそれを取り戻していく物語だ。
百鬼丸はカッコいい。
すごぶるカッコいい。
けれど、相反することに百鬼丸のカッコよさは欠けた身体であることに付随する。
百鬼丸はどんどん自分の身体を取り戻し、人間になっていく。
そうすると、異形ではなくなっていく。
読者が興奮する「人間ではない」こと由縁のカッコよさが失われていくのだ。
『どろろ』は尻つぼみで終わってしまった。
その本当の理由はわからないけど、前述した百鬼丸の魅力が消えていくことは大きかったと思う。

で、犬王である。
犬王の設定はほとんど『どろろ』だ。
異形であること、怨霊を成仏させれば身体部位を取り戻せること、父親に差し出された贄であることまで同じだ。
身体を取り戻すに従い、犬王のダンスはもうほとんど人間のそれになっていく。
先に書いたが、既に現在誰かが踊っている現代的な動きだ。
犬王の魅力は、前半に友魚と出会った頃の、腕がいくらでも伸びたり超人的な異形の動きが出来たことではなかったか?
もちろん、人間のいうのはこんなふうに型にハマっていくつまらない生きものなんですよ、元の犬王とどっちが魅力的ですかね?という問い構造にもなってるとは思う。
けれど、その魅力が失われていくのを見てることに、どんどん残念な気もちになっていくことに、どこに映画作品を観るカタルシスがあるというのだろう。
しかも、最後は顔まで披露してしまった。
メイクをしてるとはいえ、その当時だと「奇抜」だと演出してるとはいえ、ごく普通の顔。
がっかりとしか言いようがない。
このがっかりは『美女と野獣』を見ていて「結局、美しい王子になってしまうんかい!」と思う人にしかわからないかもしれない。
異形は異形のままで愛されるのがいいんじゃないか。
それこそが、異形をテーマとして扱う作品の意味じゃないだろうかと思うのだ。

しかもそのメイク、完全にジョーカーだし。
最後に友魚を助けるためと犬王が自分の自由を諦め、足利義満の言いなりになることに「イエス」というシーンの、自分の大事なものを捨てた時の笑顔。
まんまジョーカーじゃん。
パクりもリスペクト表現も継承も否定しない。
けどこれは、あまりにも。
物語の要となるシーンで丸まんま同じことをするのはどうなのか。

結果、熱狂を生み出したものの友魚は殺され、犬王は魂を抜かれたように生きる。
いやその熱狂の舞台がもっと説得力があれば、まだそのオチも納得がいったかもしれない。
群衆が暴れて踊りだすくらいのパワフルなものだったなら(好みではないが『夜明け告げるルーのうた』のクライマックスにはそれがあったのに)よかった。
でも実際は、観客は観客としてただ普通に観て感動しているだけの、ゆるフェスや舞台みたいな、距離感。
音楽で現してるその頃のロックスターが短命に終わったように。
パッと開いて、パッと散る。
たとえ残酷な運命が待っていても、一瞬でも華を開かせたからいいんだよ。
たぶん、それを描きたかったのかもしれない。
けれどパッと華開いた感が心に来ず、それなのに二人はそんな運命に持っていかれてしまい、もやもや感しか残らない。
来世なのか、魂になってからなのか、最後の描写で二人が再会して救われても、実際の二人の行く末に対する暗澹たる思いは上書きはしてくれない。
不完全燃焼で悲しい人生にしか受け取れない。

一人は殺され、一人は型に押し込められる人生を強要されたが、その前に二人の命は爆発する表現をしたから良いのだ、あとは魂になって再会して、二人は人生と運命に納得しているのだ。
ということなんだろうけど、まるで納得がいかず置いてけぼりだ。

魅力的で自由な異形の犬王が、普通の人間になり。
せっかくの顔も得たのに作り笑いのみを浮かべ、自分の表現を奪われ、型通りの表現をし、後世に名も残りませんでした。
お互いの表現を高めあった親友は殺されました。
けれど魂レベルでは救われました。

それで、どんな気もちになったらいいかわからない。

あと、異形や贄というモチーフを軽く扱われると、かなり怒りの炎が上がってしまう。
そこは大切に扱おうよ。
別媒体で『すずめの涙』でも愚痴ったのだけど、生贄に対しての扱いに敬いと救いがなさすぎる。
悲しい。
異形や犠牲になったものが浮かばれることこそ、救済こそ、物語の意味なんじゃないだろうか。

もちろん、舞台という華を咲かせたことが犬王では弔いになっているんだと思う。
平家の怨霊も犬王も友魚も含めて。

その表現が、どうしても個人的に合わなかった、胸に響かなかっただけというのは百も承知です。

これは愚痴ったことへのフォローではなく、結局、力のある素晴らしい作品であることは確かで。だからこそ、自分と合わない部分について強く浮き彫りにならざるを得なかった。
どっちでもいい作品なら、こんなに合わない作品に向き合い長々と書くこともない。
こき下ろしたいわけではない。
極上のアニメーションとアヴちゃんの天才性に触れたことだけ取っても、観て良かったと思う。

大好きな作品を絶賛するのも大切だが、合わなかったり怒りを覚える作品について、どこでそういう感情を掻き立てられたかを言語化するのは、自分にとってとても大事な行為なので書きました。
そういう衝動と考える機会を与えてくれた作品でした。

この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いします!いただいたサポートは、創作物の購入に使わせていただき、感想を書いていくのに役立てます。