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不満があっても直接言わないならそれは存在していない~天気の子を観て~

①なぜ刺さったか
②自分と重なったこと
③今後どうするか

ちゃんと観たのは二回目、四年ぶり。初めて観たときの気持ちを大切に残しておきたくて、上書きされるのがなんか嫌で、好きな映画のひとつやけど全然観てこんかった。

初めて観たのは公開日、東京で。渋谷のTOHOシネマズで一人で観た。

その時は東京で就職した好きな人に会いに行った日。遊べるかなーとか思ってたら仕事って言われて、することもなくて一人寂しく映画を観た。そのときのいろんな孤独感と映画の内容が重なる部分があったのかも。

公開された時は社会人一年目の年で、地元の同級生や大学の友達、「みんな東京へ行ってしまった」ってゆう感覚やった。寂しかった。

地元で就職したわたしは、留学経験とか大学で得たものを何も生かしきれてないし何になりたいのかもよくわかってなくて、そんな自分とみんなを比べて置いていかれているような気持ちやった。

みんな「何か」を求めて東京に行くけど、地方に残ってる者からすると自分の知ってる友達じゃなくなってしまったり、変わってしまうこと、自分より進んでいくことが怖くて寂しくなるのかも。

初めて観たときも今回もいちばん泣いたのは同じシーンやった。後半で主人公が警察に銃口を向けるところ。ひなさんを助けに行こうとするところ。

このシーンがなんで刺さるのか、初めて観たときもたぶん同じようなこと考えてたんやろうけど、今はこうやった。

銃口を向けるという行為は、許されている警察以外がしたらただの悪いこと。でも、表向きに悪く見えることでも、見方を少し変えるとその人だけが「悪者」じゃない場合もある。メディアの取り上げ方によって被害者や加害者が変わるみたいな感じ。

見えていることだけが真実じゃない。それを、なんでみんなもっとわかろうとしないんだろうってよく思うことがあるから刺さったんかな。

あと、目上の人や権力がある人に反抗することって日本ではタブーやけど、それに従って何も文句を言わない、従う人を「大人」って言うのかな、なんて考えてた。穂高は「子供」やからこそ、そんなこと気にせずに反抗して自分の意思を貫こうとできたのかもな。

反抗しても、それがどんなに「正しい」ようでも、世の中は容赦なくその芽を摘もうとしてくる。まるで今のワーホリの職場みたいや。不満があってそれをマネージャーに伝えても、反抗してくることを煩わしく思ってクビ切られるのがオチ。そして自分は職を失うだけ。

わたしはワーホリのバイト先、特に上司に対して不満はたまりまくってるけど、直接伝えたことはほぼない。仕事を失うリスクを考えれば今はそこまでしなくてもいいか、と思ってる。

でもほんまは、心の底では銃口を向けてやりたいと思ってる気がする。だからどんな結果になるかなんて気にせず、自分が信じるものを貫く穂高の姿勢がわたしには刺さるのかもな。

だからと言って、これからはなんでもかんでも不満を伝えていくかって聞かれたら別にそうしようとは思わない。後先考えず行動できる怖いものしらずなところは子供の良さ、学習して的確に時が来たらいつでも行動するために、準備しておこうと思えるのが今のわたしの良さと思いたい。

ちょうど最近上司が、「みんな不満がたまってるって話は聞くけどその不満が直接俺の耳に届いたことない。だからそれは存在しないのと同じ。」って言っていたらしい。それも一理ある。

でもそれは「あえて」言ってないんやけどな。なんでも吠えればいいってもんじゃない。口は災いの元やし。

伝えないことは別に、何も感じていないのと同じじゃない。ちゃんと見てるし感じてる、ただ今は息を潜めてその時を待っているだけ。むしろ伝えてあげないことの方が時に冷酷よな。


「東京は元々海だった。それを人間と天気が少しずつ変えていった。元に戻っただけ。」

①自然には敵わない、自然をコントロールする権利なんか人間にはないって思ったことがあるから、その考えと重なった。

②きれいな景色、壮大な自然を目の当たりにする度に、人間が自然をどうにかしようとする権利なんかない、地球という場所に住まわせてもらってるんだなといつも感じる。やからこそ環境保護のためにできることはなんでもしたいし、それに気づく人が増えてほしい。


③自然の壮大さとそれをなぜ大切にしたいのかを発信する。ゴミの分別とか個人レベルでできることもする。登山とか自然に触れることをやりきる。

「この世界は最初から狂ってる。」

①たまに、例えば精神疾患を持っている人、頭がおかしいとか狂ってるっていわれる人って本当にそうなんか?って考える。その世界に順応して、「普通」という定義に収まろうとしている大衆の方が実は狂ってるんじゃないかなって。

②最初から普通なんて基準はない、勝手に作ったそれに当てはまらないと「狂ってる」って言われるだけ。そんな視点をまた教えてくれた気がする。

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