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神様のメモ帳に書かれている2,3のこと

私は影響されやすい質だ。

これまでの人生を振り返ってもプロ・アマ問わず誰かの創った創作に感銘を受けてはほだされ、真似事をし、すぐ限界に気づいて放り投げてしまう。きっと、神様のメモ帳の私についてのページには「飽きっぽくて自堕落」と記されているからだ。

だから、今書いているこれも、もしかしたらお蔵入りになっているかもしれない。そして、誰にも読まれないまま電子の海の端っこで、砂浜の一粒となって沈んでいるかもしれない。波にもさらわれず、誰の足跡も刻まぬまま。そうならず、あなたに読まれていたとしたら奇跡だろう。だけども、奇跡というのは案外簡単に起こるものかもしれない。

私がnoteに出会ったことは奇跡であるし、書ききったことも奇跡だ。2度あることは3度ある。もう1つぐらいは起きていいかもしれない。そして、もし、あなたが暇つぶしにでもこの記事を読んでくれいたら、それはきっと素敵な奇跡だろう。これが、【神様のメモ帳】に書かれている1つ目のこと。奇跡は案外、簡単に起きてしまうものなのだ。誰も気づかないだけで。

ここからが本題。私の好きなライトノベル(ティーン向け小説)に【神様のメモ帳】(著:杉井光)というものがある。

かんたんにあらすじを紹介すると、ニート予備軍の高校生が、パチプロ、ヒモ、ミリタリーオタクで構成されるニート探偵団、天才クラッカーのニート探偵(表紙の女の子)たちと様々な事件に首を突っ込んだり、巻き込まれたりする探偵物語だ。

さて、この小説では次のような言葉がニート探偵から発せられている。

「(前略)ぼくらニートが苦しむ理由というのは突き詰めれば一つしかない。なにをすればいいのか、わからないのだよ」

大学3回生時に〇〇〇〇や〇〇〇〇の方が就活についてアレコレとお話してくださっているとき、この言葉がイヤに耳をふさいだ。なにをすればいいのかわからない。まさにその通りだ。5年後、10年後、どう生きていたいかもわからないのに最初の一歩の踏み出し方を決めなくちゃいけない。残して後で使うこともできない。流れゆくベルトコンベアがもうすぐ終わるから、どうにかしろよと。そんな風に背中をつつかれている気分だった。

で、結局、私はまた【神様のメモ帳】に頼るのである。影響されやすい私は彼らの生き方を思い出す。なにをしていいのかわからない。けれど、彼らは日々を無為に過ごしているわけでもない。4つの塩基配列に紛れ込んだそれぞれの欲求をライフワークとし、ときには熱くなりながら生きている。

幸いなことにそれはすぐに見つかった。さらに幸いなことに今はその状況に身を浸して居られているし、オマケまで手に入りそうだ(手に入れるためにやらなくちゃいけないことを端っこに追いやってこれを書いているのだから我ながら救いがない)。

私は影響されやすい。だけど、ニートの素質は生まれた時から持っていたのだろう。神様のメモ帳に出会わなくたって、いや、出会っていなかったらもっとろくでなしであったかもしれない。

もしかしたら、これを読んでいただいている方にも私と同じような人がいるかもしれない。漠然となにかしなくちゃいけない義務感を肩に感じながらも、なにをどうしていいかわからずに途方に暮れかけている人が。

あなたなら大丈夫、とは言えない。だけど、どうにかなるのではないかとは思う。1つ目の奇跡はいつの間にか起きているし、2つ目もすぐに起きるかもしれない。踏み出した一歩目で躓いた石が、実はダイヤモンドじゃないとは誰も言い切れない。

信じたくない真実も、起きてほしい未来も、きっと神様のメモ帳に記されている。すてきなくらい無責任な言葉だけど、他に責任をかぶせるにはちょうどいい的だ。

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