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八月納涼歌舞伎 第三部「狐花」感想



歌舞伎座はたぶん6年ぶりのにわかオタクです。
京極さんの作品は読んだことがなく。
新作歌舞伎楽しそ~のノリで行きました。



奇妙な縁、深い業の中で、簡単に人を殺し、人が殺される。そして怨念による復讐はカタルシスとなる。けれど今作は、洲齋がその歌舞伎の枠組みの”外側”に居続けたことにより、異質な物語になっていた。監物に「恨むなら殺してみよ」と刀を差し出されても屈することはなく、言葉で、会話で相対し、殺した者の幽霊が見えるならそれは人の心がある証だと説き伏せ、”供養”を促した。誰がどう見ても極悪人であった男が、最後は憑き物落としの洲齋によって、まさに憑き物が落ちたように涙を浮かべる。洲齋の「お前の幽霊は、私が見よう」という締め台詞と、監物の幕が降りるまでの表情は、胸に迫るものがあり、納得のいく結末だと肌で感じるものだった。途中までは、監物を殺さないのなら一体どうオチをつけるのかと不思議に思っていた。派手な立ち回りも、見得もない。刺激的な勧善懲悪はそこにはない。でも目の前で繰り広げられたのは間違いなく”歌舞伎”であり、その歌舞伎において濃密な会話劇を味わえたことに新鮮な嬉しさがあった。



ミステリーということで見る前は少し構えていたけど(難しいかなと思って)、終わってみれば、犯人を推理することやトリックを解明することよりも、それをとりまく環境・因果に面白さを感じて、最後まで楽しむことが出来た。

七之助さんの男女の演じ分けがあるのは確定だったとして(配役表が一番のネタバレだった)、女が男装していたのではなく、男が女装して女と幽霊の男を演じていたという捻りが面白かった。男が演じる女役(女方)を観客が”女”だと認識してる劇世界の中で、実はあの女は男なのだと言葉にした結果、メタ的な笑いが起きていた。登場人物達にとっては”ありえない”ようなトリックでも、観客にとっては”現にありえている”トリック。女方が女装する男を演じる役は古典にもあれど、設定の昇華の仕方が面白かった。(メタ要素だけでなく、演出上の伏線もあった)

萩之介が人外であるかどうかは、最初の洲齋と狐の会話の中で、狐を法で罰することができない理由を、”人間でないから”ではなく”直接法に触れるようなことはしていないから”と答えていたので、最初からネタばらしされていたようなものだった(※2回目の観劇追記・小説とは違ってシーンが分割されており、2幕目の最初に話していた内容だったので、最初の内はそこまで触れてなかった。スッポンを使わないとかはあったけど。)観劇前に「七之助さんの人外姿良い!」って感想を見てしまい、ネタバレ!?ってショック受けたのが全然ネタバレじゃなくて笑った。なのでトリックとしての重要性というよりは、洲齋の信念に通ずる要素である、なぜ”萩之介の幽霊に怯えるのか”という視点へのアプローチになるのが面白かったし、「この世のものとは思えぬ美しさ」を体現してしまう七之助さんの美貌を楽しむ要素とも(オタクは勝手に)思った。

そしてその演じ分けと幽霊のような動きが”一般人”になぜできたかは、萩之介から雪乃へ直接明かされ、筋が通るようになっていた。軽業を仕込まれ、その後男娼として売られた、と。この部分、小説では男娼だけど、舞台では”陰間茶屋”と言っていた。でも、いやトリックっていうか、もう、え?ってなった。構図がえぐい…。



小説を読んで整理できたのが、冒頭の洲齋と萩之介の会話シーンは、”監物達に入れ替わりトリックを教えた後の、萩之介が雪乃の元へ行く直前”の時系列にあるということ。「仕掛けを解き暴き、大望を挫いた」と萩之介が言っていたのが気にはなっていたけど、時系列を動かせば辻褄が合う。見ている最中はそこまで考えが回らなくて、洲齋が萩之介の真意を知りながらも、監物側が優位に立ち回れるようにサポートしたように思え、それが結果的に萩之介を危険に晒し、死に至らしめたように感じていた。でも時系列を整理すると、最早監物を討つことができる可能性はかなり低い(という状況を洲齋が作り上げた)のだから、諦めて逃げろ、引き返しなさいと、洲齋が止めていたのがわかる(台詞的にもしっかりそうは言っていたけど実感として)。そして恐らくあの顔合わせ時点では、まだ洲齋は萩之介との関係に気づいていなかった?洲齋はあくまでも、的場からの依頼を受けて一連の状況から萩之介=お葉ということを推理し、つまびらかに話した。そしてその後、洲齋は萩之介の状況を推察して、萩之介と接触することにした。引き止めたことによって、萩之介と監物の詳細な関係性を調べるための時間稼ぎになればよかったのだが、萩之介は強行突破してしまい、洲齋は悲劇を防ぐことは出来なかった。というところだろうか。切ない。
(※2回目の観劇追記・冒頭と2幕頭を合わせた『死人花』のシーンでは洲齋の髪型は長髪の一つ結びで、監物の屋敷に呼ばれた以降のシーンでは肩まで短くなっている髪型だったので、時系列入れ替え説は違う気がした。。。髪型を変えていること自体に、何か意味があるのだろうか?でも冒頭から時系列通りだとすると、「仕掛けを解き暴き、大望を挫いた」がどのことを指しているのかがわからない。あとは「何が解る」と萩之介に言われ、「思うに、誰よりも」と返す洲齋を見ると、最初から全て知っているような気もしてきた。でもそれなら最初から兄弟であることを明かして引き止めればよかったのでは?とも思ってしまう。うーん。)



原作と舞台でキャラが異なる的場。舞台版の的場は(年齢設定はわからない)見事に染五郎さんの若さから滲む危うさ、疾走感、爆発力とマッチしていてとても面白かった。「信じられるのはそなただけ」と言う監物の(あからさまな)言葉に対して、射貫かれたように目を輝かせ、恍惚とした表情を浮かべたその姿にゾクゾクしてしまった(オワッタなこいつ、という意味で)。そこに至るまでは、的場の品格や威厳といった姿が前面に出ていて、染五郎さんの若さが特に気になることはなかったからこそ、その反転っぷりが面白かった。小説版の方が、”幽霊”に惑わされる監物の姿がそのままクライマックスの伏線になる部分はあるけれど、監物のために”監物のような魔物”になる覚悟を決めた的場が、その監物の心の内を見誤るというのも、それぞれの味わいがあって良いなと思った。
というか染五郎さんいくつよ、とか思ったら19て。嘘嘘。



米吉さんを初めて拝見して、いわゆる両声類みたいな声の出し方に驚いて、めっっっっちゃくちゃ可愛くて興奮した。もちろんビジュアルも所作も可愛いっていうか女子。なんで今まで見てこなかったんだろうってちょっと後悔もした。萩之介から真相を打ち明けられてパニックになった時も、声の上擦り方とかがまじで女子。いや~好きだった…。あとガンギマリヒステリック女子虎之介さんも、高圧皮肉お局気質女子新悟さんもそれぞれ素敵だった。役柄と役者さんの特徴と演じ分けとが噛みあって、全体的に見ても女方の面白さが光っていたなと思う。



オタク語り。あ~七之助さん綺麗だったな~。女の時は美女、男の時は美男って、あまりにも自然に言うけど、その理屈すごくないか。しかも化粧が変わらなくてもそうって。すごくないか。周りが萩之介やお葉のことを美しい美しいって評する度に、それなって頷いた。自分は七之助さんの、女方の時も立役の時も人間の時も人外の時も好きで(全部?)、そういういろいろなポジションを自由に行き来して揺蕩って掴めないような役所が好きで、だから今作も、好きだった…(語彙力)。 あとは散り際も好きだから(生きていてほしいけどいつだって)、洲齋に抱かれてた時の萩之介が、男にも見え女にも見え、弟として一緒に過ごすことのできなかった子供時代のようにも見え、いろいろな輝きが凝縮されていて好きだった。

個人的には、8年前に七之助さんの『葛の葉』を見たことがあり、これ本編中は聞き逃しててわかってなかったけど(おい)、小説読んだり調べたりして、がっつり葛の葉オマージュなことに気づいて悶えた(遅い)。狐か~七之助さんか~葛の葉思い出すな~ニコニコじゃないのよ。まぁあの時の記憶から導き出される思い出感想が「狐役えろくて綺麗だったな」だから、なんかもうほんと自分の素養のなさに呆れるし怖い。でもまたこれを経て『葛の葉』が見たいなと思った。改めて。



もう一回観に行くか悩み中。鳥肌が立つほどの衝撃を受けたラストシーンを伝説の思い出にするか、小説を読んで理解度が深まった上でもう一度隅々まで見るか。監物の過去の襲撃シーンが舞台オリジナルだったのもあり、そこら辺をちゃんと見直したい気持ちがある。
あとは写真入りの筋書とブロマイドも買いたい。欲!


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