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「推し」という言葉への小さな違和感

ずっと違和感があった。それは自分の心がおばさん化しているせいだと思っていた。

年明け、大晦日の紅白歌合戦への感想がXのおすすめにたくさん流れてきた。YOASOBIのアイドルの演出や、伊藤蘭さんの親衛隊に言及したものが多かった。
やはりどうしても「推し」という言葉が気になる。
長年アイドルのファンをやってきた私は、実は「推し」という言葉をあまり使わない。それは私の時代には「担当」という言葉があったからなのだけれど、私は誰かの熱心なファンであったとき、そのタレントやアイドルを「推し」ている自覚がないからでもある。

ファンなのに推してない?と意味不明に感じる人も多いだろう。もう少し詳しく説明したい。
wikipediaによれば、推しとは「主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう」そうだ。

私は、アイドルに限らず、自分が好きなものを人に勧めたいとはあまり思わない。好きなものやおすすめのものを訊かれれば素直に話すし、オタクっぽい饒舌な語りを面白がって望まれればやってみせるが、それだけだ。

私がその人を好き。それでいいじゃないか。
その気持ちを知ってほしいのは、好きな人だけだ。だからファンレターも書いたしうちわも作った。あなたを大好きで応援している人間がここにいるよ、と伝えることが彼の支えになればと願った。
彼のことを周囲に勧めたりはしなかった。

そのころから十年以上が経ち、アイドル(や一部の芸能人)のあり方がどうやら少し変わってきているのを感じる。
何がきっかけかは知らないが、私個人の印象ではAKBをはじめとした選挙(や、選挙形式のオーディション)が大きく影響しているのではないかと思う。「誰を応援しているのか」の立場を明確にし、人に勧めて票を集めることで、アイドル本人だけでなく投票したファンも含めて「勝つ」ことができるようになった。

それは、私にとっては、アイドルのアイドルらしさを少なからず壊す動きだった。AKBも好きだったけれど選挙で一気に冷めた。
アイドルは皆、ファンにとっての唯一絶対の一番なのに、なんで順位なんてつけるんだ。同じグループの中で競い合わせて、そこにあったかもしれない友情にヒビを入れて、馬鹿みたいだ。
選挙で何位とか、誰より上とか、CDが何枚売れたとか、曲が何回ダウンロードされたとか、そんな数字に踊らされてないで純粋に、ただそこに存在している人に無償の愛を注ごうよ。それがファンってものだろう。子どもにお受験を強いる教育ママじゃあるまいし。
そう思ってしまった。

そんな思いがあったからだろうか。
「推し」という言葉に自己顕示欲や勝利への欲求の片鱗を見てしまう。
とくにSNS上での推し活を見ると、「推しを推している自分」を楽しんでいるだけにみえる時がある。もちろんそれはそれで良いのだろうけれど、私は心が狭いので、アイドルたちを「消費」しているように見えて切なくなる。

そういう意味で、伊藤蘭さんの親衛隊の皆さんはたぶん伊藤さんを「推し」てはいないんじゃないかと思った。ただただ伊藤さんが好きで、その気持ちを伝えるのがあの紙テープで、伊藤さんは自分を誰かと比較することなく彼らの想いを受け止めているように見えた。かつての様子を知らない私だけれど、その空間は美しかった。

うまくまとまらなかったけれど、私はやっぱり「推し」という言葉を使うことは今後も控えるだろう。

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