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若狭真司「よあけのおと Sound of DAWN」を鑑賞する。

 先月、音楽家、若狭真司の個展作品を銀座のSONY PARK MINIにて鑑賞した。(昨年の個展「薄明」以来の現地、生の空間での音楽作品鑑賞。)

https://www.sonypark.com/mini-program/list/053/

 あおとみどりに発光するライトが部屋の隅に置かれている。それほど広くはない部屋だが、おおきなベンチが置かれていて、そこに腰掛けて音楽を聴く。(ベンチはハプティクスと呼ばれる振動の触性があるらしい。つまり震える。)音楽作品が始まる。夜が明ける。ライトの色合いは音楽と共に移り変わっていく。様々な夜明けの瞬間、場面が曲、シークエンスごとに音像として立ち現れる。鑑賞する自分の過去の記憶の中の、とある夜明け、あるいは見たこともない風景、光景が心象の中に立ち上がってくる。音楽を聴きながら、また椅子からの律動・震えを感じながら、目を瞑り心象の空を見上げる、あるいは光景を聴く。


 例えば。画家の友人が、広島の海の夜明けの海の青さ、群青を絵画作品として描いているのだが、その海景を観た時の彼の目へと僕の目が移される。そうか、あの作品の夜明けの海の青さとはこういう色だったのかと、彼の絵の作品を観た時とは視点の異なるある生々しい不思議な体験をする。または最近、WIM WENDERS監督のPERFECT DAYSを鑑賞したのだが、その主人公のトイレ掃除夫、平山の夜明けを観る眼。彼は劇中、陽の光と木漏れ日に深い安堵と幸福を感じていた。彼はLou Reed, Nina Simoneなどの洋楽の「歌」を聞いていたのだが、若狭真司のこの「よあけのおと」には光の祝福を感じて、きっと気に入るような気がする。その平山の目に自分が成るかのような心地がした。彼が古ぼけたアパートのドアを開け、仕事に出る時に微笑んで見上げる空の色合い。あるいは鳥に自分が成り変わったのか。樹木かどうかはわからぬが、あたかも音の木立と言うような林立した音楽の群れの中に自分がいて、光が発し、その希望の質感を囀(さえず)りと共に聴いていた。

 ある人々やいきものたちが、夜明けに安堵を、幸福を、祝福を確かに感じた瞬間がある。その目に、身体に私が成り変わる。この音楽作品の夜明けに、人々(あるいは、いきもの)は安堵・安息するだろう。最近知った、ある美しいフレーズがある。それは「朽ち葉色のマントをまとった夜明け(Dawn in russet mantle clad)」というシェイクスピアの特異で独創的な美しい表現。(出典:イメージと詩の精神, 浅野 紀予 / Noriyo Asano, ÉKRITS  https://ekrits.jp/2023/11/8147/)

 これは言葉上でしか表現し得ない夜明けの姿である。そして、つまりこの、言語表現でしかあり得ないシェイクスピアの夜明けと同様に、若狭真司の夜明けは、まさに音楽でしか表象し得ない豊穣な意味(言葉の意味でなく)や像、また夥しい気配を胚胎していた。ここに彼の音楽表現の豊かさと不思議を強く感じた。

 それから作品の中で音楽が転調した際、前回の薄明という展示作品の、おそらく主題の一つとも言えるだろう、メメント・モリ(死を想え)を、またこの作品でも言われた気がした。あるシークエンスで、座っているベンチから、臀(でん)部で音の振動が強く持続的に繰り返され、それはなんというか、生きることを強く励まされているかのようだった。これは太陽か、または照らされた地上のいきものたちからの応援か、なんというか自分にはそんな生を肯定される音波として、音楽が耳と臀部から、内蔵へと深く鳴り響いたのだった。

 ーそして、彼の音には思念が込められている。というより思念が音楽、音響となって身体に肉迫する。それは作為とか彼のコンセプトがというようなことではなく、なんと言ったらいいか、若狭真司の自己の内奥で通じている何者かに、うつくしく念じられた音楽である。つまり言語以前の言語的な音楽として鑑賞者に、無声の何者かの声、無声の歌のように迫ってくる。だから、通常の音楽でイメージされる、耳を喜ばせるという体験ではなく、音の波が思念を帯びた物質として身体に触り、切り込んでくるかのようなのだ。(といって誤解なきよう言っておくと、今回の作品は強いが、優しさと慈愛で出来ている。)音楽が芸術として、ひとつのある物質的な量塊(波の性質のはずの音楽が)を構築しているというか。あるいは音楽として詩が建築されているかのような。それは耳と身体を揺すり、内臓と精神を賦活する。

 観賞後、帰りの電車を降りて、駅で階段を昇る身体がやけに重く感じられた。一体これはなんなのだろうと思った。そして気がついたことは、そうか、あの音楽体験、作品鑑賞時、自分は彼の音楽によって重力の拘束から解かれていたのだということ。(大袈裟のようで、どうも身体がそのように強烈に反応していたらしい。つまり離陸していたのだ。)そして、現実に戻った時、普段気づくことのないような、自分の自重の重さに気づかされたのだ。どうやら強い音楽は、芸術は重力を解(ほど)く、らしい。音楽と芸術の不可思議を強く感じた、非常に稀有な音楽体験となった。

若狭真司 / Shinji Wakasa

https://open.spotify.com/intl-ja/album/3pE9sIJJFqRGPsPk1XzOM4?si=8Qotc4z2QJup3BMcpTc9RA

『よあけのおと』
会期:6/15(土)〜6/30(日)  11:00-19:00
会場: Sony Park Mini
https://www.sonypark.com/mini-program/list/053/


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