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『誘惑者』高橋たか子

高橋たか子の『誘惑者』を再読している。

前回2011年に読んでいるみたいなので、11年ぶりの再読になる。

前回読んだときの感想は下記。

無意識という無限の黒い波に脅かされ、生きていたくない女学生、鳥居哲代。死にたい友人、砂川宮子と2度の自殺未遂の経験のある友人、織田薫。この2人の友人に頼まれて哲代は別々に、京都から大島の三原山火口での自殺につきそう。何故哲代は2人の自殺のお膳立てをするのか。それは「死の構造」を知りたいという欲求。2人の自殺行を経験し、哲代は自分のわからなさ、不可解さ、どうしても釈明出来ないもの、何をしでかすかわからないもの、あらゆる制止を超えて何でも出来るというものが悪魔の領域だという事に思い当たる。途中に出てくる悪魔学の泰斗、鎌倉に住む松沢龍介はあの人がモデルの様です。

今回再読していて、登場人物の中で特に惹かれた砂川宮子について、また「悪魔学の泰斗、鎌倉に住む松沢龍介」のモデルの澁澤龍彦の描写について書きたいと思う。

初めに死ぬ砂川宮子は死ぬ理由を当初は鳥居哲代にこんな風に言う。

「あなた、わかる?何かが私を追ってくる。もうこれ以上逃げ切れないほど、それが追ってくる」
(中略)
「それが私の命をじりじり犯してくる。だんだん憂鬱になっていくのは、命が犯されていくからだわ」
(中略)
「私はすこしも死にたい気持ちなんてなかったのよ。その、おいかけてくるものが、もう死ぬ他ないところまで、私を死なせてしまった」

死ぬ死ぬ詐欺みたいな砂川宮子の台詞から。

「死にたい死にたいって、私は昔、沢山の人に言ったわ。今に始まったことじゃないものね、子供の頃から死にたかったのよ。そんな時、誰もが大真面目な顔になって、死んじゃいけないって説得したわ」

砂川宮子と母親との関係から死にたいのかな?と思わされる。

「(中略)でも私は大きくなるにつれて、私をとりまいている世界そのものが母の足音を借りて、私を責め苛んでいるのだと思うようになったの。どこに行っても落ち着けない。私は安らぎというもののない世界に生まれてしまった。私自身はこんなにおっとりしてるのに、私のまわりで、いつも何かが私をいらいらばたばた追いかけてくる。そうすると、私は不安な鼓動そのものとなる。どこへ逃げればいいのかしら。(中略)」
「言ったでしょ、世界が母という姿を借りて、私を追いかけてくるのだって」

だがしかし。
最後に「あなた、なぜ、死ぬの?」と聞いた鳥居哲代に放つ長口舌。

「私はね、あなたのせいで死ぬのよ」
(中略)
「いいえ、それだけじゃない。それまでも何もかもがそう。あなたという人は、何でも私の話を聞いてくれる。相槌打って、一つ一つ私の言葉を飲み込んでくれる。あの理解力。まるで底なしの沼みたい。あなた自身が死にたいみたいに、私のなかの死を抱擁してくれる。あなたはすこしもそうとすすめはしなかったけど、私を死ぬ方へ死ぬ方へ仕向けてきた。あなたが誘惑したんだわ。そうじゃない?あなたにむけて死にたいなどと言ったが最後、私はもう死なないわけにはいかないところまで追いつめられた。あなたがここまで追いつめたのよ。私自身、どうでもいいものだった死を、あなたがここまで煮つめたのよ。そうよ、あなたといっしょにいると死にたくなってくる。ああ、もうよして。放っといて。私は勝手に死ぬから。あなたとは関係なしに、私自身で死ぬから。もうこりごりよ、あなたって、しつこい人。なぜ、ここまでついてきたの?」

呆然とした鳥居哲代は帰途鎌倉により悪魔学の泰斗、鎌倉に住む松沢龍介を訪ねる。(四十近い年齢で、一度も職業についたことがなく、珍書奇書に埋もれて暮らしている男)

最初は電話をかけてお伺いを立てるのだが(ひどくかすれた声)、実際に会った描写。

想像したように和服姿である。だが、四十に近い年齢と聞いてきたが、少年のような繊細さと色白さで、松澤龍介はそこに立っているのであった。
額の上に降りかかった黒々とした長髪を、白い指で掻きあげながら言った。そのために、広い額と通った鼻筋とが見てとれた。
愉しそうな、無垢な、子供のような笑顔なのだが、子供のようである故に、子供のような酷薄さも仄見えている。

室内の様子。

そのガラスケースには、珍妙なものが一杯に入っていた。甲虫のようでもありエビのようでもある巨大な虫の、化石ふうの模型とか。さまざまな形をした貝とか、髪に変質するほど乾いてしまった薔薇の花とか、怪鳥が生みおとしたと思えるような、巨大な卵の模型とか。博物館のガラス・ケースのなかのように、そこには生命的なものの一切を拒否する嗜好がうかがわれるのである。また部屋は、壁面の三方に書棚が置かれていて、鳥居哲代の見たことがないような表紙の書物がびっしり並び、それでも場所が足りないらしく、畳の上に本や雑誌の山がいくつも出来ていた。

夫人の様子(矢川澄子)も。

その人が鳥ほどに軽い、少女のような女であるのを、(中略)
夫人は時々台所へ立ったりする他は、道案内をしてくれた時と同じ、言葉を呑みこんだような寡黙さで、みなの話を聞いている。話をしない代わりとでもいうように、ひっきりなしにキャメルという外国煙草を喫っていた。オカッパの髪型や軀の細さのせいか、夫人の手にかかると煙草はハッカ・パイプのような無害さに変わるとみえる。

私は矢川澄子ファンなので嬉しくなってしまった。


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