見出し画像

ベルベルの心を備えよ③芸術の街、動物愛護に関する一考察、すべての情緒を吹っ飛ばすW杯【エッサウィラ】

 12月10日。マラケシュ3日目。すでにマラケシュという街の喧騒に疲弊していた私は、モロッコに住んでいたことがある知人におすすめされた街ーー「エッサウィラ」にいくため、タクシーでメディナからバスターミナルに向かった。
 エッサウィラは、マラケシュから3〜4時間くらい離れた海沿いの街である。モロッコ人にも大変人気で、「ああ、エッサウィラは、とてもいいところだよね」という反応が得られる街だ。芸術の街ともいわれ、白を基調とした建物のあちらこちらに絵画が描かれているという。私はまだ見ぬ海沿いの街に期待で胸が高まった。
 エッサウィラに向かうには、バスが最も効率的だ。モロッコに来て初めてのバス移動である。なお、モロッコは鉄道以外に、バスでの移動が主流である。特に砂漠の方面は鉄道がないので、バスで向かうしかない。バス会社は大きく鉄道会社の子会社である「supratours」と民間大手の「CTM」がある。どちらもバスターミナルは観光の中心部となるメディナから少し距離があることが多く、また都市によっては、supratoursのバスターミナルの方がメディナに近いとか、CTMの方が所要時間が短いだとか、細かな違いがある。
 私がモロッコに行った当時は、CTMしかチケットのネット予約ができず、supratoursは現地のチケットセンターで直接聞かないと時間や路線がわからなかった(ネットで事前に調べた時は、発着地でしかチケットを購入できないと言う噂があったのだが、私が行った時は特段そういったことはなかった)ため、ほとんどのチケットをCTMで事前購入していた。
 ちなみに、チケットの変更は窓口で5dhsでできる(webサイトでもできそうな雰囲気なのだが、最終的に決済ができないと言う謎の仕様)。supratoursは無料でできる、らしい。「らしい」というのは、今回の旅の中でバスチケットを幾度となく変更したのだが、宿のスタッフにお願いしてやってもらったケースがほとんどで自力で変更はしていないので、モロッコ人限定の可能性もあるからだ。
 バスターミナルには、ネットの情報によると「早く出る場合もあるので30分前に着いた方がいい」などと書かれていたため、生真面目に30分前に到着した。実際は正味10分前で十分である。モロッコのバスは、海外とは思えないほど定刻通り出発する。逆に言えば、海外だからとなめてかかってのんびり行くと痛い目を見るので注意したほうがいい。

 かくして無事にバスは時刻通り出発した(ちなみに、モロッコのドライバーはすべからくシートベルトをしないので、もちろん乗客も誰もしない)。順調に運行していたのだが、2時間ほどして、突然畑に囲まれた道のど真ん中でバスが停車。休憩する場合、カフェや売店などがある街中が多いので、停車した理由がわからず私は隣の乗客と顔を見合わせた。隣客もさっぱりわからぬという顔をしていた。ドライバーは手慣れた様子でバスを降り、畑の方まで歩いて行って、何かを抱えて戻って来た。両手に抱えていたのはなんとサヤエンドウのような形の野菜だった。畑仕事をしている人からもらってきたらしい。彼は緑の物体をりぽりとつまみながら運転を再開した。なんと自由な。
 一つ勧められたが、反射で断ってしまった。せっかくなら食べておけばよかったとうっすら後悔。

停車した畑

 次にバスが停車したのは、またも道のど真ん中だった。全く予期せぬ2度目の停車に、日記を夢中で書いていた私は状況がつかめず窓の外をカーテンの隙間から見た。
 そこにあったのは、「ヤギのなる木」だった。
 「ヤギのなる木」と聞いて、みなさんはどんな絵を想像しただろうか。おそらく、信じがたいほどファンタジーな絵を思い描いたのではないかと推察する。そしてなかなか信じていただけないと思うが、その絵面は、おそらく私が見たものと同じだ。要するに、絵に描いたような綺麗な形の木に、無数のヤギが乗っていたのだ。

 ここは10分だ、ドライバーが声をあげるとともに、私を含む乗客たちは恐る恐る車外に出た。木の下には男たちが退屈そうに座っていたが、私たちが降りてくるのを見ると、ヤギを抱えて近づいてきた。
 なるほど、よく見れば木の上にはヤギが乗るための小さな板切れが縛り付けられている。このヤギ達はおそらく、チップのために男達によって乗せられたものだ。見た当初は物珍しさで興奮し、しっかり写真は撮ったものの、近づいて見たときのヤギたちの足がぷるぷると震えている様は、あまり愉快なものではなかった。私はしっかり写真をとりつつ、チップをあげることはしなかった。

 観光バスさながらの寄り道を連発したものの、バスはそれほど遅れることなくエッサウィラに到着した。到着してわかったことだが、CTMのバスターミナルはメディナからかなり離れているので、タクシーに乗る必要がある(supratoursだったら歩ける距離に着くらしい。「地球の歩き方」には、「supratoursがおすすめ」としか書いていなかったのでわからなかった。悔しい)。
 そのへんのひとり旅らしき旅人に声をかけ、タクシーをシェアしてメディナに向かった。タクシーの相乗りは、節約旅の基本である(ただし、シェアする相手の都合も考えると運賃交渉であまり強気に出られないことが多く、結局一人で値切って乗るのと同じくらいの金額になってしまうことも多い)。
 ちなみに、エッサウィラのタクシーの車体は青色だ。マラケシュは薄い黄色だった。海沿いだからだろうか。

 かくしてメディナに到着した。前評判通り、白を基調にした壁に、青の扉や屋根が眩しく日差しに光っていた。スークにある服や土産物も、どことなくマラケシュより落ち着いている雰囲気で、なるほど確かに居心地がよいなと思った。

少し薄めの青に白が綺麗なバランス

 お腹はぺこぺこだったが、入りたいと思えるお店になかなか出会えず、ウロウロしているとメディナの端っこに行き着いた。エッサウィラはマラケシュと違ってかなり小規模なメディナなので、地図もなくウロウロしてもそれほど迷わないのがいいところだ。メディナをぐるりと取り囲む城壁によじ登ると、モロッコに来て初めて浴びる海風が、汗ばんだ髪の毛を心地よく撫でた。


 エッサウィラはマラケシュよりかなり暑く、空腹も相まって、急激にビール欲が高まった。モロッコはイスラム国なので、とりわけメディナではなかなか飲酒のできるお店を見つけることが難しい。グーグルマップを駆使し、なんとかビールの飲めそうなお店を探し当てた。エッサウィラは港町なので、本当は魚市場が結構有名なのだが、その時の私のビール欲は一刻を争うものであり、のんびり魚市場を散策している余裕はなかった。
 探し当てたお店は結構おしゃれな雰囲気で多少尻込みしたが、ええい金ならあるぞと踏み込んだ。雰囲気こそ気取っていたがウェイターはなかなかに親切で、フランス語のメニューを英語で丁寧に説明してくれた。オクトパスタジンなるものが気になったが、当時はまだタジンに手を出しておらず、「これからいくらでも食べられるだろう」と何やらおしゃれなエビのプレートとビールを注文した(「オクトパスタジン」は後にも先にもこの店でしか見なかったので、食べておくべきだったと後悔している)。
 ビールはモロッコの都市の名前である「カサブランカ」を注文した。これがまたすっきりしていてたまらなく飲みやすく、港町の暑さにすっかりやられた体の隅々に染み渡る美味しさであった。

 モロッコでは大抵かなりのボリュームでお皿が出てくるので、警戒して一皿しか頼まなかったのだが、さすがは高級店と言うべきか、一皿のボリュームもいささかおしゃれすぎるボリュームだった。追加注文をするような雰囲気でもなかったので、私は腹八分目程度で再び町歩きを始めた。

 エッサウィラは、これといった目玉となるような場所はないものの、あちらこちらに鮮やかな青色が混ざった街並みを眺めるだけで楽しい街だ。そして商売っ気のないお店も多く、ゆっくりと商品を見ることができる。マラケシュでは考えられないが、散々試着しているのに一言も声をかけられないようなおじじのお店すらあった。

 ウロウロしていると、ようやく港についた。港にはとんでもない数のカモメととんでもない数のネコがいて、空気に鱗が生えていそうなくらい、強い魚の香りがした。帰って来た漁船が窮屈そうに海に浮かんでいた。船体は全て青色で統一され、魚の載せられたコンテナは色とりどりで、何気ない日常のものがどうしてこんなにフォトジェニックになるのか、そのへんの漁師のおじさんを捕まえて聞きたいくらいだった(もちろん本人は何も考えていないのだろうけれど)。

 港には、とれたての魚を焼いてくれる「魚屋台」が所狭しと並んでいた。私は興味深くそれらを観察した。そして好奇心から、どんな魚がいるのかを店員に聞いてみた(店先には名前はわからないが大小様々な魚と、イカ、タコ、ウニなんかもいて、これらを適当に選んでお皿に盛り合わせ、炭火で焼いてくれるシステムである)。そして案の定というべきか、あれよあれよというまに価格交渉が始まり、気づいたら席に座って魚を待っていた。あれ、ちょっと見に来ただけだったんだけど。かくして、本日2回目のランチが始まった。
 炭火でしっかりと焼かれた魚介類はシンプルにとんでもなくおいしく、そして安かった(お皿いっぱい食べて70dhs)。絶対にビールが欲しい味だなと悔しい気持ちになりながら水とパンでちまちまと食べた。

ごちゃごちゃした盛り付け
魚屋台が並ぶ

 夕方16時。バスは17時に出発で、ターミナルまでは10分程度。タクシーをスムーズに捕まえられるかわからないので、16時30分には向かいたい、実に中途半端な時間だった。この日、実は16時からモロッコ全国民待望のイベントがあった。W杯である。私は普段スポーツ観戦に全く興味がないのだが、モロッコ国民は老若男女サッカーが大好きなのである。特にアフリカからW杯をこれだけ勝ち上がっているのは実に稀有なこと。エッサウィラの広場には、どでかいスクリーンが設置され、赤い国旗をまとった人々が詰め掛けていた。
 バスの時間までのいい暇つぶしかと思い、少し後ろで見ていたが、観客の一喜一憂は実に興味深かった。画面の中の一挙一動に歓喜し、落胆し、手を握る。こんなに全員が盛り上がれるスポーツがあるってすごいなと、素直に感心した。そして見ているうちに、だんだん雰囲気に飲まれてきて、気づくと周りと一緒になって画面に釘付けになっていた。

 このままではバスの時間に間に合わなくなってしまいそうだ。数時間前と比べると嘘のように閑散としたスークを抜け、タクシーを捕まえてバスターミナルに向かった。着いたのは16:30。バスはまだまだだれも乗車していなかった。
 近場のカフェでは耳慣れた盛り上がり。モロッコではこうした試合をカフェに集まってみんなで見るのが主流である(後から聞いた話だが、無料で見られる環境がないらしい)。私はギリギリバスターミナルまですぐにいける距離と判断し、カフェの一番後ろの席にするりと座り込んだ。カフェといっても、本来の店の前にテントが張られ、少し大きめの液晶の前に椅子を詰め込んだ、簡易スポーツカフェといった感じである。テント内はものすごい熱気だった。

 その瞬間だった。前半終了直前、モロッコが1点ゴールを決めた。私は思わず飛び上がったが、前方座席の盛り上がりは想像を絶するものだった。もう勝ったのか?といわんばかりの雄叫び、謎の笛を吹き鳴らし、ハイタッチし、誰もが踊った。忌憚なく楽しい時間だった。(一眼レフを構える余裕はなかったので、残念ながら写真はない)

 前半終了時点で、バスの出発時刻になった。わたしはこの時点ですっかり「先のデータ容量とかどうでもいいからゲームを最後まで見させろ」スイッチがオンになっていたのだが、悲しきかな、海外でW杯を見るのは至難の技であった(※ABEMAは海外では見られない)。ありとあらゆる検索ワードを試し、なんとかよくわからないアラビア語サイト(5分に1回くらい広告が出て来て死ぬほどうざい)で試合観賞に成功。モロッコ勝利の瞬間を無事見届けたのであった。

 勝利が決定した後のモロッコはすごかった。勝利の瞬間がちょうどトイレ休憩のためバスが停車していたのだが、そこら中のカフェから濁流のように人々が流れ出て来て、喜びにあふれ歌い踊っていた。バスのドライバーは、すれ違う全ての車に祝福のクラクションを鳴らし、対向車はそれに答えて巨大なモロッコの国旗を車の窓からはためかせた。道路交通法なんてあったものじゃなかった。バスはお祭り騒ぎのままマラケシュに突入した。

 マラケシュの騒ぎときたら、渋谷のハロウィンが町内会の盆踊り程度に思えるくらいだった。歩道も車道もかまわず人々が歓喜の円陣を組むので、そこら中の道路が封鎖されていた。サッカーでこんなに国中が熱くなれることなんてあるのか。私はすれ違う人とハイタッチをしながら、未知のカルチャーに対する驚きとワクワクで、すっかりモロッコの虜になっていた。

 バスターミナルからメディナまでは歩くと40分かかるので、当然にタクシーを使うつもりだった。私は同じバスに乗っていたひとり旅らしき青年に、タクシーをシェアしようと声をかけた。ところが、いざドライバーに聞いて見ると、道路が封鎖されているせいで、タクシーもひどく遠回りをしなければならないらしく、なんと行きの5倍近い値段を提示された。さすがにひどいぼったくりだと抗議したが、ドライバーは本気のようだった。確かに、目の前の道路はとうもろこしの粒みたいに車でパンパンになっていた。
 いっそ歩こうか、と駄目元で聞いてみると、青年は朗らかに了承した。この乱痴気騒ぎの中、一人で歩くのはなかなか勇気がいるが、男性と二人話しながら歩くのであれば、お祭りを眺めながら歩くのはなかなか悪くないアイディアに思えた。我々は束の間の同盟を結成し、40分の道のりを歩き出した。

 青年はアラスカに住んでおり、名前をBenといった。少し太っていて、色白で、ジョークをめっちゃくちゃ喋る、いかにも「アメリカ人」という感じの青年だった。私は正直いって彼のジョークを半分くらいしか理解していなかったと思うけれど(私は海外における大抵の会話を、相手の顔と話のトーンで盛り上げどころを掴み、適切に笑いと驚きを挟むことで乗り切っている)、彼は常にご機嫌に喋り続けていたので、あまり細かいことを気にしないタイプでよかったなあと思った。

 夜のマラケシュは、試合終了後4時間経っているにもかかわらず、今試合が終わったのだと言わんばかりのテンションだった。我々は、自分たちがこれまでしてきた旅の話をしながらひたすらに歩き、時折モロッコ人に混ざってハイタッチをし、歌い、踊って、どうにかこうにかメディナについた。
 メディナの入り口でBenと別れ、宿に戻った(3日目にしてようやく道を覚えることに成功した)。
 明日はやることのない1日。ふうとため息をつき、長い1日に思いを馳せながら私はゆっくりと目を閉じた。
 遠くでモロッコ人たちの叩く太鼓の音がいつまでも聞こえていた。

あなたが思ってる以上に励みになります!!!!