久々にお題箱返し、ゴワゴワの犬、愛すること、ぺし

こんばんいぬ、もやしのでございやす。

最近書くことが続いていておるなあなどと思っているうちに、気づいたら1か月くらい経っておりやした。お題箱めちゃスルーしちゃっててすいやせん!おそなりましたが書きまうす。上から順番にいきますね。

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40回くらい洗ったタオルのようなゴワゴワの犬

石川の金沢に住んでいた頃、道端で出会ったでかいゴールデンを撫でさせてもらったとき、なんか白いのがめちゃくちゃ舞ってウケたのを思い出しました。めちゃかゆかったです。でも犬はめっちゃ笑顔でした。かわいいね。

ゴールデンってなんか毛が長くて、幼い子はふわふわな感じしますが、大きい子だとモップとまではいかないけどかなりモファっとした子もいて、好きです。

ゴワゴワの犬も、ゴワゴワなりに「今、ゴワゴワねんわ(笑)」みたいな顔してるのが楽しそうで好きです。自分がゴワゴワなのに気づいていなさそうな犬も好きです。そういうやつに限ってめちゃくちゃ笑顔で向かってきます。おーよしよし。

40回くらい洗ったタオルのようなゴワゴワの犬で寝たいし、ゴワゴワの犬を洗ってふわふわにしたり、それがまたゴワゴワになっていくのを笑ってみて居たいなあと思い、犬がやっぱりかわいいなあと思います。

人間をきちんと愛せるような情緒

このお題の難しいところは、誰にとって「きちんと」しているかということですよね~。僕はわりと偉そうに愛の話をよく書きますが、客観的に見てきちんと人を愛しているかどうかなんて、全然考えていません。まじで僕を参考にしないでください。

僕が考えているのは、僕が好きな人のことについて、その人が死んだ後に「好きだったよ」とか言いたくないなあというだけです。いつか僕が死んだり、好きな人が死んだりすることを知っているので、僕は僕が生きているうちに愛されたいし、好きな人が生きているうちに好きな人を愛したいなあと思っています。そのうえでもし僕がまだ生きていたなら、「好きだったよ」ができたら、いいなあと思っています。あ、この愛は、いわゆる「恋人」の話じゃなくて、もっと広い人間関係の話ですよ。

あと思うのは、これはめちゃくちゃよく言われることなので面白くないかもしれませんが、僕たちはある程度自分のことを大事にできるようになってから、人を大事にする方法がわかってくるんだろうなあと僕も思っています。

例えば「僕の想いを僕自身が言葉に変えて表に出してあげること」は僕が僕を大事にすることだとわかりました。それがわかるようになって初めて、誰かが自分の感情を言葉にしたとき、それを慈しむことができることを学びました。僕以外のすべての人が、僕と同じように何かを考える「僕」や「私」であると知ったのは多分ほかの人より結構遅かったと思います。それまでの僕にとって、誰かの言葉は情報としての「セリフ」でしかなかったのです。

あるいは面白いことに、「想ったことも言葉にしない」ことで自分を幸せにできる人は、誰かの「言葉にならなかった想い」を、きっと大事にできるようになります。自分を大事にする方法でさえ、何が正しいかとかないのです。

ちなみに僕のこのスタンスには、「僕らの見ているものはいわゆる映画のようなものかもしれないよね」という哲学的なカウンターができます。それに関してはまたみんなでお酒飲みながら話したいので割愛しますが、しょうもない結論を先に言ってしまうと、これはまじで何かロジックがあってこのスタンスに決めたわけでなくて、目の前の誰かが「僕」と同じであると信じたほうが僕が幸せだと僕が信じることにしただけです。多分その論点は議論にはならないので先に逃げておきます。そのうえで、どう?という話ならできます。

そういうわけで、正しいも間違いもなくて、あるにしたって正しいことだけがすべてじゃなくて、僕には僕の幸せや正義や価値観があって、そしてこの世界のみんながそういった「僕」や「私」であるというこんな世界観で、「きちんと」愛することに今の「僕」の世界観で答えを出したって、全然そんなの、死ぬほど意味ないと思っています。「きちんと」していることに自分が納得したってしょうがないんです。

正しければ「愛せている」とかそういうことじゃないのです。誰もそれを判定できないし。僕とあなたが何を感じるかでしかないと思っています。それに、少なくともそういう意味で「自分を愛するために人を愛する」とき、人を愛することは「きちんと」どころではないレベルで僕にはできませんでした。まじで今でも申し訳ないと思っています(すまん)。

人間関係ってまじで「うまくやる」とか、「間違えない」とか、まじで本当にそういうことじゃないと僕は思っています。すべてが、本当にすべてが目の前にいるその人のことを想って、言葉選ぶことしかないみたいです。僕は目の前の人間を見てるふりして実は全然見れていなくって、自分の思う正しさとかにこだわって死ぬほど失敗してきました。今もそうです。だから多分これを読んでいる誰かが「いやお前……」と思いながらこれを読んでいます。これはまじで恥ずかしいことですが……。

そんで、あなたの「なりたいのですが……」に対して、僕は「こうしたらいいよ!」とも言えないし、「わからなすぎ!オンオンw」とかいって流せないし、まじで申し訳ないのですが、「オーケー、僕も今生きているよ」をやります。この「オーケー、僕も今生きているよ」の意味が、本当は伝わると嬉しいのですが、この意味が僕のニュアンスと合ってなくてもいいから、わかる気がするよ、と思ってくれた人は、僕にそれを伝えてくれたら嬉しいです。こうやって書く僕を誰かがバカにするかもしれないし、怖いと思うかもしれないし、意味不明だと思うかもしれませんが、それでいいのです。

もしよかったら、僕が悩んでごちゃごちゃ書いているのを楽しんでくれればいいなあと思います。僕の無様な姿を楽しんでください。そして、このお題を投げてきた人は多分あなた自身のことを実は大好きな人だと思うので、「もやしのとかいうやつが悩んでいることより、僕が悩んでいることのほうがおもしろいし、僕のほうがもっと表現できるわ」ってなると思うので、一緒に地獄を観ましょう。同じ時間を生きて人間をやってくれて、ありがとう。

愛と感謝のぺし

ぺし。ありがとうございます。

ぺしは、相手の顔面を「ぺしっ」てやる挨拶なのですが、僕はこれが大好きです。VRCで友達とやり始めた挨拶なんですが、ほかの友達もやってくれるので嬉しいです。ぺしぺし。

VRCで「触れる」の動作をやるのが好きです。ぺしぺし。オーケー、僕はここにいます。そして君が、そこに居るんだね。ぺしぺし。嬉しいね。

友達が書いてくれた漫画が好きなので、これを貼って終わりにします。
描いてくれたのは榎森ねこさんです。

ではまた。

2021.07.02 靄篠


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