見出し画像

わたしのもやもや話-自己紹介編①-

こんにちは!メンバーの小野といいます。

もやもやnote第2弾です!今回は、「もやもやこどもの隠れ家」のメンバーの1人である私が、なぜこんな活動をしているのか、中の人はどんな人なのか、少しでもわかってもらえると嬉しいです。

〇自己紹介

「もやもやこどもの隠れ家」では、大学生から大人まで、いろいろな立場、年齢の人が活動していますが、今これを書いている私は大学3年生です。
大学では哲学を勉強していて、2300年も前の人の本だったり、今どきの新しい哲学者の本を読んだりして、心のこととか、言葉のこととか、社会のこととか、人のこととか、抽象的だけど私たちの生活にとても身近なことを考えています。
普段は読書とか映画鑑賞でだいたいの時間が過ぎていきます。映画は、短い作品やアニメとかも合わせると大体1日1~2本以上のペースで見ている映画オタクです🎬
あとは、よく散歩をしています!知らない街をただぶらぶらするのが大好きで、もやもやした時はひたすら歩いてストレスを解消しています!
普段はそんなに活動的でもなく、一般的な大学生をしているという感じですが、ここからは私がどうして「もやもやこどもの隠れ家」に加わろうと思ったのかをお話したいと思います。

〇もやもやはだれにでもある!


私は小学校の時に受験もして、中学、高校、大学と、たくさんお金をかけてもらったし、愛情もかけてもらったし、とても恵まれた子供時代だったと今でも思っています。
そんな人にもやもやした気持ちなんてわかるわけがない、と思われてしまうかもしれません。私自身も高校時代まで、ずっと「虐待」や「貧困」といった子供の問題や、「DV」などの家庭問題は、どこか遠い世界の話だと思って生きてきました。周りも社会的に恵まれた人ばかりで、この社会の中にそんな気配すら感じ取ったことはありませんでした。

そんな私が初めて家庭のことでつまずいたのは高校時代でした。どこまで具体的に書こうか、私自身も悩んでしまいますが、夜、家に帰ることができなかったり、暴言が飛び交ったり、家の中はかなりドタバタしてきました。そんな中、気が付けばなんだか起きる気力が湧かない、学校にも行けない、塾にも行けない…結局、学校も塾も部活もすべてお休みして、私はしばらく家で療養することになりました🤦‍♀️🤦‍♀️

そしてこの時初めて、自分の家庭がこれまでずっと抱えていた「虐待」という問題に気が付きました。今まで家族といて楽しかったこと、たくさんの思い出、日常生活、「普通」だと思っていたすべてのことが、「虐待」という言葉と共に急に目の前から崩れ去って、とてもショックだったのを覚えています。自分の家庭はニュースで見るような不幸な家庭なのだろうか? そうした疑問と、学校にも行けずにこれからどうなるんだろう、という不安の間に挟まって生きていました。

しかしそれと同時に、今まで見えなかったものが見え始めました。学校の友達だって、お金があって、幸せそうな家庭で、とてもキラキラして見えたけど、本当はこんな問題があるんじゃないか、平然と話しているけど何か悩みがあるんじゃないか、身近なところに苦しい思いを抱えて、それに気づかないで、なんでもないかのように振る舞っている人がたくさんいるんじゃないか。
私はそんなふうに思いながらも、ぎりぎりで高校を卒業し、運よく大学に受かることができました。しかし、こんな状態だった私が大学に受かったのは、私の努力だけではなくて、本当に運だと思うようになりました。そして運よく辛い高校時代を乗り越えた私は、「もし運悪く乗り越えられなかったら今頃何をしているのだろうか?」と考えるようになりました。それが今の活動のきっかけです。


〇これからやりたいこと


私は大学のサークルで知り合った宮本さんに声をかけてもらってこの活動に参加しました。そこで、私自身がこれから「もやもやこどもの隠れ家」でやれたらいいな、と思っていることを書いてみたいと思います。(もやもやこどもの隠れ家の理念ではなく、私個人の思いです。)

①「もやもや」に気づきたい
まずは、自分が抱えている「もやもや」に気づかない、ということの苦しさを少しでも減らすお手伝いをしたいです。家庭の閉鎖的な空間だと、ちょっともやもやしても、「家族ってこんなもんだろう」と通り過ぎてしまうことがあります。そんなこと、わざわざ思いもしないかもしれません。でも私の場合、気づかぬうちに「もやもや」がたまって、やっと気づいたときにはもう爆発していました。
そんな経験から、家庭という閉鎖的な空間でたまっていく「もやもや」を人に話して、自分の家庭を客観視できるといいな、と思いました。「虐待」「DV」という言葉に当てはまらなくても、「悲しい」「苦しい」という言葉に当てはまらなくても、ちょっとした「もやもや」を「もやもや」として整理できれば、つらい気持ちも少しは和らぐかもしれません。

②すぐに解決を求めない
その家庭が命に係わる深刻な問題を抱えている場合、放っておくと精神的にも肉体的にも危ない場合は、もちろん一刻も早く、外部からの支援が必要だと思います。でも、そうした支援の枠組みの中で、具体的に手を差し伸べることができないようなあいまいな「もやもや」は、どんどん取り残されているように感じます。話を聞いてほしい時、支援を目的としている所に相談しても、支援策がないから対応できない、ということもあるかもしれません。でも実際、日常にはあいまいな「もやもや」がたくさんあると思いますし、それを全部合わせたらやっぱり大きな問題だと思います。
私の個人的な思いですが、支援というよりも、生きていく中で「もやもや」を抱えている仲間としてお話して、みんなで生き延びられたらいいだろうな、と思っています。

③いろいろな人のことを想像したい
これを読んでいる方も、家族に関しては、良い思い出も悪い思い出も持っているかもしれません。一方で、悪い思い出しかない人、早く家族と縁を切りたい人だっているでしょう。
私は前者のタイプです。これまで家族で過ごした沢山の思い出は絶対に「虐待家庭」という言葉では表せないものですし、私にとって家族は何よりも大切なものです。「そんなことするなんてひどい親だね」と言われたら、なんと返していいかわかりません。
でも反対に、私が親を大切にしているからといって「家族は大事だ」「家族は大切にすべきだ」ということを人に言いたいとは思いません。家族と離れることが良いことなら、そしてそれを選ぶなら、それはその人の生き方だと思います。「家族が憎い」ということだって、その人の大事な感情だと思います。

友達の話を聞くと、本当に色んな人が色んな感情を持つんだなぁと、びっくりします。経験したことのない出来事や感情は、正直全然わからない、と思うことがたくさんあります。それに、同じ経験でも受け取り方や感情は違います。
皆がいろいろな経験をして、いろいろな感情を持って生きていて、他の人のことなんて結局わからないのかもしれません。でも、わからない相手の気持ちに思いを馳せられたら、それ自体がとても素敵なことだし、それが人間関係の第一歩だと思っています。


〇さいごに


 私は運よく辛い高校時代を乗り越えた大学生としてここまで文章を書いてきましたが、実はまだ全く乗り越えていません!現在進行形で辛いことは沢山あります!でも、今は「もやもや」のメンバーにも話を聞いてもらったりしながら、何とか生き延びています。そんな中で日々感じたことや、家族について考えてみたことも、今後このnoteで発信していければと思っているので、またお時間のある時に覗いてみてください。お待ちしています!

Twitter : @moyamoya_kodomo
HP : https://moyamoyakodomo.wixsite.com/website


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?