『TIGER&BUNNY2』を完走しての考察・感想(※ネタバレあり)

待ちに待った『TIGER&BUNNY 2』、通称タイバニ2の後半パートが10月7日に配信されました。
私が人生で最もハマったアニメの11年ぶりの続編。配信されてすぐ視聴し、翌日の深夜に最終話を見届けました。しかし、自分が思い描いていた結末とはだいぶ異なる形で、タイガー&バーナビーの物語は締めくくられました。

結論から言うと、私はこのタイバニ2のに関して、続編がまだあるとも、これでタイガー&バーナビーの物語は完結したとも、どちらにも捉えられる結末だなと思っています。
そしてどちらにしても、私は2期の結末を受け入れています。正確に言うと、「受け入れられるようになった」ですが。
かつ、私はタイバニという作品がそしてタイガー&バーナビーというヒーローが大好きなんだと改めて感じさせてくれた2期でした。

大好きだからこそ、タイバニ2について感じたことや受け取ったものを形にしたいと思い、拙い文面ながら、待望の続編に対して、自分なりの考察・感想をまとめてみました。
章分けした上にかなり長いですが、ざっくりパートで分けると

1周目の感想(『褒めちぎった前半パート』~『2周目で少し冷静になれた』)
②考察(『虎徹とバーナビーの結末について』~『色々考えたけどやっぱりモヤモヤするところ』)
③考察を踏まえた上での現在の心境(『考察を踏まえた上での感想・願望』~『最後に』)

の順番になっています。
書いておいて何ですが、全部読んで頂くのは大変だと思います。重ねて言いますが、かなり長いです。
目次で読みたい部分を選んで読んで頂くのが、一番手っ取り早いかなと思います。

本題に入る前に、ここでワンクッションです。

考察に関しては、あくまで個人の感情とは切り離した状態で、「どうしてその描写をしたのか」を、なるべく客観的に書いています。

そのため、タイバニ2を完走した方で「絶対に続編がある」「タイガー&バニーの物語は終わらない」と考えている方にとっては、あまりお勧めできる内容ではないかもしれません。
また、あくまで個人のいち考察であり、根拠が弱かったり、想像でしかない部分もあります。全くの的外れなことを書いている可能性も大いにあります。
そのことを踏まえた上で、この先をお読みください。

読んでくださる方にもワンクッションです。

タイバニ2のネタバレ全開です。また、1期や劇場版、少しだけ舞台版(THE LIVE)にも触れますので、未視聴の方はご注意ください。


褒めちぎった前半パート

11年ぶりの続編の幕が開いた前半パート(1~13話)は、もう最高でした。
前半は前半で感想をまとめているので詳しくは読んで頂ければと思いますが、とにかく虎徹とバーナビーのバディ感が最高だったんですよね。

1期と劇場版2作品(『Beginning』,『Rising』)を経た虎徹とバーナビーのバディとしての結束力。2期前半は、まさにこの描写が自分の中で百点満点でした。

1話から喧嘩している二人ですが、バーナビーが怒っている理由は、虎徹に栄養補給ドリンクを勝手に飲まれたから。一見ギャグのような話ですが、1期から二人を見ている視聴者にとっては、虎徹が現場に遅れたことには怒っていない=現場に遅れた理由がある(たぶん人助けしてるから)という、バーナビーが虎徹のことを信頼していることがわかる描写になっているんですね。
そこからの口をきかなくても阿吽の呼吸で犯人確保です。1話にして、二人の絆が確固たるものになっているということが非常にわかりやすく伝わってきました。

2期の前半では、虎徹とバーナビー以外にも、各バディそれぞれにメイン回が用意され、しっかりとキャラクターの個性を視聴者に伝えた上で、前半のボスであるフガンムガン戦に進んでいきます。「敵もバディ」というのもまた上手い脚本だなと思いました。

2話で虎徹がユーリに「一人の時より頑張れるんですよ。二人になると」と話していた言葉通り、バディになっての困難と、それを乗り越えた時に得られるバディとしての絆を虎徹とバーナビー以外のメンバーにも描いたのが、2期前半でした。
本当に1期以上にヒーロー全員に見せ場があり、毎回毎回楽しく見ていました。後半の配信日まで、数えきれないくらいリピートして見ていました。

配信前の後半予想

さて、前半配信日から後半配信日まで約半年。何度も前半パート、1期や劇場版を見返しながら、自分なりに後半の内容を予想していました。

配信前に予想していた展開は、ざっと箇条書きですがこんな感じです。

  • グレゴリーを止めるために、マッティアの開発した新薬(NEXT能力を増幅させる)を虎徹が使う→身体に負担がかかり、虎徹が倒れるor一時的に1分だった発動時間が5分に戻る

  • リトル・アウロラはウロボロスのボスもしくは幹部。洗脳系のNEXT。

  • ラスボス戦では成長した新人ヒーロー3人(トーマス、ブラック、キャット)がラスボスを倒す

  • マッティアは味方であってほしい(これは願望)

後半の配信を見た直後の感想

衝撃の結末

ついに迎えた10月7日、16時。後半パート(14~25話)を駆け抜けた結果、マッティアが味方だったという願望以外、予想はことごとく外れました。
そして、予想が外れたこと以上に、結末にショックを受けました。
25話まで見終えた深夜1時。私はパソコンの前でタオルを握りしめながら、「どうして…どうして…?」と嘆いていました。
以下、完走後約2時間後に投下したふせったーの全文です。

間違いなく完璧なタイバニの続編だった。
だけど、たとえ能力が無くなっても、T&Bはヒーローであり続けてほしかった。二人でもがいてほしかった。
※追記でモヤモヤ書き殴ってます。
でもタイバニ大好きです…!涙

(ここから追記)
あのラストじゃ、虎徹さんもバーナビーさんもあまりにも辛すぎるじゃんか。
虎徹さん、ヒーローとしてしがみついてやるって1期ラストで言ってたじゃないか。友恵さんとの「あなたはどんな時でもヒーローでいて」って約束は…?

バーナビーの足、あれじゃ毎回痛みとの戦いだよ…。
能力使う度に痛みが増すんじゃ、実質使えないようなものなのでは…?

1分しか持たなくなってもワイヤーの使い方工夫したり見えない所でヒーローとして踏ん張ろうとした虎徹さんだよ。
身体能力だけじゃなく、冷静な状況判断や臨機応変な対応ができるバーナビーさんだよ。
何より、二人でなら連携プレーができる。
たとえ能力が無くたって、二人でならヒーローを続けていけるはずだ!そんな二人が見たかった。
認可が必要かもしれない、ルールごと変えなくちゃいけなくなるかもしれない、それは遠く厳しい道のりかもしれない。
でも諦めねえぞ!なぁバニー!
ええ。キングオブバディヒーロー獲りましょう、虎徹さん!
みたいな未来は、もう無いんですか…??

書き殴ってすみません…。
素晴らしい2期だったのは間違いないんです。
2期を作ってくださった公式様には感謝の気持ちでいっぱいです。
結末がそうなるのはわかる。
ただ、あまりにもそのラストだと辛くて寂しくて。
T&Bとお別れさせられてしまったような気持ちになってしまって。
ライジングや2期前半で絆を固くした二人が見られて嬉しかった分、余計にそう感じてしまったのだと思います。

なので最後に贅沢を言わせてください。

ココデオワルハズガナイノニ

劇場版でも3期でも、虎徹さんとバーナビーさんのその後の物語が見たいです。お願いします…!

2022年10月8日 ふせったーより

ご覧の通り、結末が受け入れられていない私がいました。

タイガー&バーナビーと熱い共闘を果たしたルナティックは自死を選び、
虎徹はグレゴリーの暴走によって能力を使い果たし、ヒーロー引退。
バーナビーは脚の激痛を抱えたまま一人でヒーローを続ける決意をする。
"Are you happy?” “Maybe…”
月日が経ち、ヒーローミュージアムにはタイガー&バーナビーの肖像画が置かれ、二人は伝説のバディヒーローとして語り継がれたのであった…。

これが、11年待ったヒーローアニメの結末です。

つらいって!!!
そんな結末、あんまりじゃないか!!!
もうタイガー&バーナビーは見られないってこと!?

と、外が明るくなるまで大いに取り乱していました。「いや~2期後半も最高だったなぁ」と楽しく余韻に浸るはずが、前向きな気持ちがすっかり消失してしまいました。Twitterを見ても阿鼻叫喚の嵐。私自身も、朝になってもまさかの結末を飲み込めませんでした。

大前提だと思っていた理由

予想するまでもなく、私はタイガー&バーナビーのバディヒーローは終わらない、という大前提で2期を観ていました
そこが最終話にして崩れたため、ショックが大きかったのです。
2期が終わっても二人はバディヒーローとして続けていくのだろうと、勝手に確信していました。

私がそう確信していたのには、大きく分けて二つの理由があります。
一つ目は、2期後半のキービジュアル。
虎徹とバーナビーがメットオフ状態で、お互い目配せしながら微笑んでいるものです。

二人とも晴れ晴れとした表情で、とてもさわやかな印象を受けました。
私は、これが25話後の戦闘を終え、再び街を守るために歩み出す二人の姿なのだと勝手に思ってしまったのです。

でも一つ不可解な点があったんですよね。
ヒーロースーツを着ているのに、虎徹がアイパッチをしていない。
今思えば、これも「虎徹がヒーローを引退する」という暗示だったのかもしれません。

二つ目は、2期後期のエンディングテーマ『Pilot』の歌詞。
本編の配信に先駆けて、楽曲の配信がスタートしました。

向井太一、アニメ『TIGER マ「Pilot」の配信リリ スが決定 - ライブドアニュース (livedoor.com)

さっそく私もダウンロードし、本編が配信されるまで何度も何度も聴き込んでいました。

曲としてももちろん素晴らしいのですが、エンディングということで、やはりタイバニのキャラクターや世界観を投影して聴いてしまいます。
この曲の最後の歌詞で、

凍えそうな夜でも
追い続ける夢よ
確かにこの場所で
生きている僕がいる
いつでも隣に変わらず君がいる
どこまでも行けるさ
何度でも誓うよ

と書かれています。

「いつでも隣に変わらず君がいる」
このフレーズを、タイガー&バーナビーに投影していました。
だから、何度強敵が現れ、困難にぶつかろうともタイガー&バーナビーがバディヒーローを続けていくのだろうと。

でも、結末はそうではなかった。隣に変わらず君がいるとしても、それはヒーローとしてではなかった。この歌詞は、「最高の相棒として、バーナビーの心の中に虎徹がいる」という意味だったのかもしれません。

虎徹の能力消失&ヒーロー引退、残されたバーナビーは虎徹の意志を継いで一人でヒーローを続ける。タイガー&バーナビーは伝説となって語り継がれる…。
24話までは本当に毎回ワクワクしながら見ていたのですが、ラストで公式から思いもしない方向にボディブローを食らって、私のメンタルは一発KOされてしまいました。


2周目で少し冷静になれた

しかし、他の方の考察や感想を読んで内容を思い返していくうちに、「この結末は、やはり最高にタイバニらしい終わり方だったのではないか」と思えるようになってきました。

それに、25話の結末を知るまでは、前半パートと変わらず、めちゃくちゃ楽しんで見ていたのです。後半パートだって、間違いなく私の大好きなタイバニでした。特に虎徹とバーナビーは毎回二人の絆を感じられるシーンがありました。

やっぱりこれは私の大好きなタイバニなんだ。ならば、あの結末になった理由も、落ち着いて見れば理解できるのではないか。そう思えてきました。
ひとまず翌朝の午前から2周目を視聴開始し、1周目で気付けなかった伏線やキャラクターの言動をじっくり見ていきました。
問題の25話も、やはり情緒的にはかき乱されますが、「どうしてこの結末になったのか」を少し冷静になって考察する余裕が出てきました。

結果として、今この文章を書いている時点で3周したのですが、ようやく25話をタイバニの着地点として受け入れられるようになってきました。
同時に、各キャラクターや脚本についても考察したいという気力が湧いたので、ここから考察をまとめていきたいと思います。(前振りが長くなってしまい申し訳ありません)

虎徹とバーナビーの結末について

①バーナビーの脚の不調

2期では、虎徹ではなくバーナビーの身体にアクシデントが起きました。
これは、1期の虎徹の能力減退と対比させつつ、バーナビー自身の成長を描くための装置だったのではないのかと考えています。

1期も2期も、14話でそれぞれの身体に異変が起き、15話16話で異変が確信に変わります。そして、最後の最後までハンデとなって苦しめられることになりました。
ただし、1期では虎徹が能力減退を仲間たちに打ち明けずに抱え込んだのに対し、2期ではバーナビーは真っ先に虎徹に脚の診断結果を虎徹に報告しています。さらに、虎徹がうっかり言ってしまったことがきっかけとはいえ、他のヒーロー達もバーナビーの脚の不調を知ることになりました。

「(脚は)心配ないんです」と強がるバーナビーに対し、「いやダメでしょ」「聞いといてよかった」「ハンサムに何かあったら一生後悔するところだった」と次々に口にする仲間達。そしてそんな仲間の言葉に驚きつつも、安堵の表情を浮かべるバーナビー。

このシーンでは、ヒーロー達がバーナビーを仲間だと認めていること、そしてバーナビーと他のヒーロー達が確固たる「仲間」であることを、改めてバーナビーが確信しています。
身体の不調を共有した上で、共に戦おうとしてくれている心強い仲間たちに囲まれているというのは、1期で孤独に戦っていたバーナビー自身と、彼を取り巻く環境がここまで変化したことを物語っています。

とはいえ、物語の装置としては役割を果たしているといえても、バーナビー本人にとっては厳しい状況です。結局、脚の不調は最後まで治ることはありませんでした。この脚の不調の原因と治療法についてほとんど触れられなかったことは疑問です。

原因は作中では明言されていませんが、14話で病院の検査の後に虎徹が「でもその脚…」と心配していたことと、15話でマッティアが「リハビリ大変そうだったもんね」と右足をさするバーナビーに話していたことから、フガンムガン戦でのダメージが根本にあるのは間違いないと思います。13話で入院した時も右足に包帯がぐるぐる巻きでしたし、復帰に8カ月以上かかっている所を見ても(フガンムガン戦が12月24日、復帰したファンミーティングが9月初旬)、相当な重傷だったことが伺えます。

さらに14話で、楓と電話でサプライズ計画の練習をした後に、虎徹はポロっとこぼすように言います。「ほんと良かったよ。バニーが復帰できて」と。
虎徹自身もケガを乗り越え検査漬けの毎日だったにもかかわらず、ひどくバーナビーの方を心配しているように見えます。ということは、ひょっとするとそもそも復帰が困難な可能性があるほどの大怪我だった可能性が考えられるのです。

「能力を発動した時に痛みが走る」症状についてですが、最初に違和感を感じた14話のビルでは、能力を発動していない状態だったように見えました。着地して脚に負荷がかかった瞬間に違和感を覚えています。
また、20話のルナティック戦で能力を発動した時も、発動してだいぶ時間が経ったであろう病院で、検査後も若干痛そうに太股を抑えている様子が見られたからです。
明言されていないのであくまで推測するしかないですが、フガンムガン戦の怪我が実は完治できるものではなく、能力を発動することで筋肉に負荷がかかり、ダメージを受けている脚ではその負荷を受け止めきれない…といったものなのかもしれません。
発動時の激痛だけでなく、発動して脚を酷使すればするほど、戦いが長引けば長引くほど、痛みが残る時間も長くなる可能性も考えられます。
となると、何かしらの治療法が見つからない限り、今後バーナビーがヒーローを続けていくのは難しくなりそうです。

それでも、ハンデを背負ったバーナビーは「ヒーローを続ける」と自分の意志で決断しました。
1期では自身は特に何も問題がない状態でも、虎徹がヒーローを辞めると言った時、「じゃあ僕も辞めます」と言って一線から退きました。
本人も言っていた通り、その時のバーナビーにとってヒーローとは、マーベリックよって仕組まれたものでしかなく、復帰した理由も虎徹がヒーローを続けると決めたからです。つまり、自分の意志でやりたかったのはあくまで「虎徹とのバディヒーロー」。この時のバーナビーには、一人になってまで続ける理由や信念がまだ無かったのです。

一方2期では、バーナビーにとってヒーローそのものが「自分のやりたいこと」になっています。
最後の最後まで戦い抜いた虎徹を見て、全力のキックを放てた自分自身を信じて、自分の意志でヒーローを続けると決めました。
たとえ脚を痛めても、基準値を下回っても、それでもヒーローを続けたいという信念があることが、脚の不調に悩まされることによって伝わってくるのです。

不調を知ってもサポートし、一緒に戦ってくれる仲間がいること。
自らの意志で、ヒーローを続けたいと思えるようになったこと。

激痛に耐えながらもヒーローとしてもがくバーナビーを見れば見るほど、この脚の不調は、彼自身の成長と変化を描くための装置だったのだと思えてならないのです。

②虎徹の能力減退

一方の虎徹は、25話にして突然の能力消失。
しかも1期のように数秒ずつ徐々に失われていく減退ではなく、故意に暴走させられた状態での消失です。最後の能力発動が暴走なんて…と初回はそれはもう、打ちのめされました。

しかし、実はこの能力喪失の一連のシーンこそ、最高に虎徹がヒーローとしての生き様を見せており、さらに虎徹自身の理想のヒーロー像を全うできた瞬間といえるのではないでしょうか。

グレゴリーの能力で暴走させられた虎徹はバーナビーに向かって叫びます。

「俺を止めてくれ!誰かを傷つける前に!

「苦しいから助けてくれ」ではなく、「誰かを傷つけないでほしい」と懇願する虎徹。これこそ、1期から貫いてきた「この力は誰かを助けるために使う」というポリシーと、2期で楓とバーナビーに語った、「困っている誰かを見た時、自分を顧みず前に立っていけるかどうか」というヒーロー像そのものでした。

結果的に、「市民を絶対に傷つけたくない」という虎徹の願いは成就します。
目の前には自分を止めようと必死に名前を呼ぶ相棒の姿があり、バーナビーが盾となっているおかげで、暴走状態の虎徹はアウロラと秘書から注意が反れました。
そして、奇しくも「能力が消える」形で暴走が止まったことにより、ワイルドタイガーが能力で市民を傷つけることはなかったのです。

つまり、虎徹は「なりたかったヒーロー」を全うして、ヒーローを終えたと言えるのです。

仲間達からすればあまりにも突然の能力消失とヒーロー引退でしたが、虎徹本人はこうなる覚悟はできていたのだと思います。

2期で明確にされたヒーローの基準。それは、大前提として『NEXTであること』。つまり能力が消えた瞬間、虎徹はヒーローではいられなくなる訳です。

1期のラストでは一度ヒーローを引退してからの再復帰。ライジングではクビを宣告されてからの再々復帰。ヒーロー業において、「能力が減退して消えるかもしれない状況」がどれほどのハンデになっているか、これらの出来事で実感していたのだと思います。
それとは別に、2期でのユーリとの会話が虎徹にとって気持ちを整理する大事な場面になっていたのですが、それはこの後の章で詳しく書きます。

そして何より、最後まで相棒が隣にいてくれたことは大きかったはずです。能力を失い、ヒーローを辞めざるを得なくなっても虎徹が取り乱さなかったのは、苦楽を共にしたバーナビーと気持ちを一つにして戦っていられたから。相棒がいたことで、能力が消えるその瞬間まで市民を傷つけることなくヒーローとして街を守ることができたから。
そして、自分のようにもがきながらでもヒーローを続けると誓ったバーナビーの言葉を聞いて、自分の想いは最高の相棒が引き継いでくれると確信できたからだったのではないでしょうか。

③受け継がれた力と覚悟

虎徹の能力消失と地続きになるのですが、オードゥンとの最後の戦いで、スーツが破損したバーナビーに、虎徹は自らのストレージバングルを投げ、バーナビーに装着させます。そしてバーナビーはワイルドタイガーのスーツを身に纏い、オードゥンを倒すことに成功しました。

このシーンに込められた製作スタッフの想いは、相当大きかったのではないでしょうか。このラストバトルに、TIGER&BUNNY の全てが詰まっているといっても過言ではないかもしれません。

私は、タイバニ2は「継承の物語」だったのではないかと考えています。

虎徹は、「ヒーロとは何なのか」という問いに答えを出します。
ヒーローとは、「困っている誰かを見た時、自分を顧みず前に立っていけるかどうか」なのだと。
そして、その答えを楓とバーナビーに伝えます。
その答えを受け取って、虎徹の最後の戦いを見届けた楓とバーナビーが継承者なのです。

虎徹が最後まで守り抜いたヒーロー像ですが、虎徹だけがそう思っていればいい訳ではありません。これからも街を守っていくためには、誰かに「ヒーローとは何なのか」を伝えていかなくてはならないのです。
しかしそれは誰にでも継承できる訳ではありません。本気で誰かの役に立ちたいと思い、なおかつその想いで戦ってきた人を誰よりも近くで見てきた人でなくてはならない。
それは娘として父親の背中を見てきた楓と、相棒として隣で共に戦い続けてきたバーナビーだったと言えるのではないでしょうか。

「継承」を最も強く感じられたのが、25話のバングルのシーンでした。

虎徹に「俺のを使え!」と言われた瞬間、バーナビーはすぐに虎徹の意図を理解し、腕を伸ばしました。2期1話でも見られた、「言わなくてもお互いの考えがわかる」ほどの二人の積み上げてきた信頼。それを最後の戦いでも見せてくれました。
タイガーのバングルを装着し、スイッチを起動する瞬間、バーナビーは目を閉じていました。虎徹が最も大切にしていたヒーロースーツを、つまりは虎徹のヒーローとしての生き様を受け継ぐ覚悟を決めたように見えました。

④奇跡と11年越しのタイトル回収

また、この時のバングルの音声はWILD TIGERではなく、装着者のBARNABYでもなく、”TIGER&BUNNY Hero mode”でした。
タイガーのワイヤーで動きを止め、緑色のスーツがピンク色に発光し、バーナビーの動きでキックを決める。
斎藤さんの隠しギミックの可能性もありますが、バングルの音声とバーナビー色の光は、二人の力と覚悟が一つになって起こした奇跡なのではないかと勝手に思っています(ここは特に何の根拠もない願望です。すみません)。

それを見た虎徹が涙ぐみながら「タイガー&バニー って感じだな」と言って、静かに頷くバーナビー。

初めて口に出されたタイガー&バニーという言葉(グッドラックモードのギミック音声ではありましたが、誰かの口から言われるのは初めて)。言わずもがな、11年越しのタイトル回収という訳です。非常に鮮やかで、これ以上ない見事な展開だったと思います。

⑤越えられない白線

ここで気になったことが一つ。
オードゥンをノックアウトした後、バーナビーのもとに歩み寄る虎徹。この時、スーツを纏ったバーナビーと虎徹の間には白線が引かれています。虎徹はこの白線を越えようとはしませんでした。

これは初見ではヒーローを続けるバーナビーと、ヒーローでなくなった虎徹が、ここから違う道を歩むことを示唆しているのかと思いました。しかし、もしかすると「NEXTと非NEXTとなった二人」を示しているのかもしれません。

2期で大きくフューチャーされた、NEXTと非NEXTの差別問題。これまでは同じNEXT同士だった虎徹とバーナビーの間も、虎徹が非NEXTになったことで人種が異なる二人になったわけです。
もちろんこの二人の関係が差別問題で崩れることはないでしょうが、この白線は、「今は越えられないけど、いつか人種の壁を越えて手を取り合える時が来るかもしれない」というメタファーなのかもしれないな、と思いました。

⑥TIGER&BUNNY の完成

自らのヒーローの証を迷わず相棒に投げ渡した虎徹。
ワイルドタイガーのスーツを身に纏って戦うバーナビー。
「不思議な感覚でした。一人なのに、二人のような…」
というバーナビーの言葉通り、二人は一心同体と言える形で戦いました。タイガー&バニーという、バディヒーローとして戦い抜いた二人が、真の完成を見た瞬間だったのではないでしょうか。

虎徹はヒーローでなくなった自分が人のためにできることを探しに。
バーナビーは、虎徹から受け継いだ力と覚悟を胸に、ハンデを抱えてもヒーローとして市民を守るために。

互いを理解し、信頼し、想いを継承し、それぞれの道へ進んでいく。タイガー&バーナビーというバディヒーローとって、これ以上の美しい終焉はなかったのかもしれません。

予想以上に掘り下げられたユーリ・ペトロフ

①主人公級の扱い

2期前半からかなり出番の多かったユーリですが、後半ではさらに彼の内面が掘り下げられました。

2期後半は実質『タイガー&バーナビー&ルナティック』と言ってもいいくらい、主人公級の扱いだったと思います。
オードゥン戦ではまさかの共闘。本当にタイガー&バーナビー&ルナティックで並び立っていましたからね。

ユーリとしての物語も決着させることにしたのは、前述したようにタイガー&バーナビー、特に虎徹の物語に一度終止符を打ったからなのではないでしょうか。

②ユーリと虎徹

2期では、1期やライジング以上に、ユーリと虎徹が会話するシーンが多く、二人のそれぞれの正義がさらに深堀りされていました。
それぞれの正義が対立することもあれば、実は同じ考え方をしている時もある。ユーリと虎徹の正義が近づいては離れ、離れては近づく印象を受けました。

2期後半で特に印象的だったのが、20話の警察病院での対話シーンです。

一度虎徹の話になるのですが、2期では1期に比べて、かなり大人になったと言えます。1期の時の虎徹はがむしゃらというより無謀な行動が多く、周りを見ずに突っ走っては怒られたり失敗するような場面が目立ちました。
お節介も全開で、ぐいぐい人のテリトリーに踏み込むので、傍目から見ても「それはイラッとするよな」と感じることもありました。

ところが2期では、相変わらずお節介は焼くものの、「非常に落ち着いた大人」になっていました。それは2期2話での司法局でのシーンが特に顕著で、ユーリの問いに対し言葉を探すバーナビーを気遣って、自身は席を外して外で待っている。1期の虎徹だったらこういった気遣いはできなかったのではないかと思います。

出動中も周りの状況をよく見て行動しています。キャットに、犯人に対して水の能力で攻撃できるか予め確認したり(キャットの返答がないことで「できない」と判断し、すぐに作戦を変更する)、2期後半でもトーマスに「一人で勝手に動くな」と冷静に諫めたりと、一人で突っ走っていた1期に比べ、2期では「みんなで協力して助ける」ことを意識していることが伺えます。

そんな虎徹が唯一焦って突っ走りそうになったのが、20話の警察病院のシーンです。
ヒーローの資格をはく奪され、勝手に行動しないようサインを書きながらも、悔しさが隠し切れない虎徹。他のヒーロー達もサインしたことを聞き、隣でバーナビーもサインしているにもかかわらず、「レジェンドも言ってくれたんだ。『君のこの力は人を助けるためにあるんだ』って。だから俺、やっぱりヒーローとして、最後までこの街を…」と、野良ヒーローとして個人で動こうとしました。

そんな虎徹に忠告したのは、バーナビーではなくユーリでした。
そして、虎徹はユーリの忠告(レジェンドの話)を聞いて、思い留まったのです。

ここは、ユーリ(ルナティック)と虎徹が積み上げてきた、バーナビーとは違う形での絆を象徴しているように見えました。
このシーンでは、ユーリにとって虎徹が大きな存在になっていたことが象徴されていると思うのです。

二人は、「正義への価値観は違えど、根本的な部分は同じ」キャラクター。
相対するようで、実は似た者同士だともいえます。これは、1期後半からRisingにかけて特に顕著に描かれてきました。

ユーリと虎徹は、二人とも人を助けたいと思っています。
そして二人がそう思ったのは、かつてレジェンドに憧れたから。

そんなユーリと虎徹が道を違えた要因は、大きく分けて二つあると言えます。
一つは、レジェンドの末路を知っているか、知らなかったか。
そしてもう一つは、孤独に戦っていたのか、仲間の存在があったのか。

一つ目に関しては、1期の後半から描かれていました。レジェンドの能力減退と八百長、そして家庭内DVについてです。1期の虎徹は能力減退のことまでしか知りませんでしたが、2期では虎徹もレジェンドの八百長やDVの事実に加え、ユーリがレジェンドの息子だと知って驚くことになります。しかし、それらの真実を知った虎徹が大きく取り乱すことはありませんでした。
その理由は、虎徹が立ち去ろうとするユーリに言った、「俺みたいに、バーナビーみたいな存在が、仲間がいてくれたらって」という台詞が物語っています。言葉はユーリに向けて、目線はバーナビーに向けているのが印象的なカットでした。

この台詞は「もしレジェンドに仲間がいればこんなことにはならなかった」という意味で虎徹は言っていますが、これはユーリにも虎徹にも突き刺さる言葉です。

前述したとおり、虎徹にもヒーローとしては、実はかなり危なっかしい面があります。それをバーナビーや仲間たちのフォローで助けられているからこそ、ヒーローとしてここまで続けられているのです。

ここでTHE LIVE(舞台版)の話になるのですが(1期13~14話の間のエピソード)、この時の虎徹は楓を誘拐されてしまい、かなり焦った状態が顕著に見られていました。誘拐された女の子が虎徹の娘だと知っているのはバーナビーだけ。楓だと知った理由も、虎徹の様子がおかしいと勘付いたバーナビーが問いただしたからです。

このエピソードでは、「焦って周りが見えなくなった虎徹を、バーナビーが殴って止める」という場面が出てきます。

20話での虎徹の言葉を聞いた瞬間、真っ先にこのシーンが頭に浮かびました。

THE LIVEでは、バーナビーが虎徹を平手打ちでパシーン!と叩いた後、驚く虎徹に向かって、「熱くなりすぎです。熱くなった相棒をクールダウンさせるのも、僕の役目です」とバーナビーが静かに言うことで、虎徹は周りが見えなくなっていたことに気が付いたのです。

周りが見えなくなった自分を、止めてくれる仲間がいる。これは、虎徹本人の実体験でもあるんですよね。
もしも人を殺める道に進みそうになった時、殴ってでも止めてくれる相棒がいたら…。ユーリはルナティックの仮面を付けずに、もしくはヒーローとしてその仮面を付けている未来があり得たかもしれません。

ですが、このように虎徹が仲間の存在をユーリに説けたのは、ユーリの忠告があったからでした。

ユーリは、自身がレジェンドの息子であることを明かしたうえで、レジェンドの八百長やDVについて虎徹に語りました。これまで虎徹がベンから聞いた「噂話」だったものが、実の息子から語られることによって「真実」となり、虎徹を止めるだけの説得力に成り得たのです。

おそらく、ユーリは本来は自分がレジェンドの息子であるとを明かすつもりはなかったと思います。虎徹がレジェンドに憧れていると知っていますし、明かしたところでユーリにとって得になることはありません。

ただ、虎徹がレジェンドと同じようにヒーローにしがみつこうとしているのを見て、「虎徹には父親のようになってほしくない」という気持ちがユーリには芽生えていたのだと思います。

何度もルナティックとワイルドタイガーとしてぶつかり、ユーリと鏑木虎徹として接していくうちに、虎徹の正義に共感できる部分があると思い始めている描写が見られました(11話で滅茶苦茶に破壊されたトレーニングルームを見て「これでもまだ動くなと?」と虎徹に言われて自身の考えを改めたり、19話で資格が停止しているにも関わらず強盗犯を追いかけようとするタイガー&バーナビーを見て微笑んだり)。

しかしユーリの母親が殺されたことで彼は再び仮面を被り、復讐の道を選びます。
そしてワイルドタイガーとルナティックは対峙し、タイガーはルナティックのやり方に対し声を荒げました。
ここで、やはり虎徹の正義とは相対する面があることは決定的となります。それでも警察病院の場面では、数刻前に対峙した虎徹に対し、レジェンドの話を打ち明けることで、彼を破滅の道から救おうとしているように見えました。

この状況で、焦りでヒーローにしがみつこうとする虎徹に忠告したのが、憧れのレジェンドの息子・ユーリであったこと。
そして虎徹はその忠告を聞くことで一度考え直し、契約書にサインを書いたうえで、自分には仲間がいるからレジェンドのようにはならないとハッキリ言うことができたのだと思います。

そして、ユーリもまた、虎徹が焦って前のめりになったのをここで止めています。
ユーリは自身の正義を貫く虎徹に対して、やり方は違えど仲間意識に近い感情を抱いているように見えました。

個人的にはRisingのジャスティスデー事件でぶつかり合ったことで、ユーリの虎徹への想いが宿敵から仲間に近いものになったのではないかと考えています。その後半年以上(2期後半の時系列も考えるとおそらく1年以上)、ルナティックの仮面を被らずにヒーロー達のサポートに徹していたところを見ると、実際にシュナイダーを殺させず、ヴィルギルの野望も止めてみせた虎徹とバーナビーを見て、心境が変わったのではないでしょうか。

20話のユーリと虎徹の会話シーンは、何か歯車が違えば、ユーリと虎徹も志を共にするバディに成り得たのではないか、と感じさせられたシーンでした。

しかし、現実はそう優しくはない。
母の死で、再び復讐の炎を燃やしたルナティック。霊安室の扉を開けるシーンが虎徹が妻(友恵)を亡くしたシーンと意図的に被るように作られているのも、またこの二人が似て非なる者なのだと痛感させられました。
ユーリの場合はここで彼を止める者はなく、仲間のいないユーリは「復讐」の道を選ぶしかなかった。
罪を憎んで人を憎まずの虎徹と、罪人には容赦なく刃を向けるルナティック。2期でも、ここで決定的に正義の在り方が分かれています。

しかし、2期の最後で、この二人に新たなる共通点が生まれます。ユーリも虎徹も、亡くなった愛する者の言葉が原動力となったことです。

ユーリの母は、「あなたにはヒーローの血が流れている」と説き、これまで呪いでしかなかった父も、「お前の信じる正義を貫け」と、初めてユーリにとって前向きな言葉を発します。
そして両親の言葉を胸に、最後にタイガー&バーナビーと共闘することを決意するのです。

虎徹とバーナビーの章で、「タイバニ2は継承の物語である」と書きましたが、ユーリに対しても言えることなのではないかと思います。
虎徹が楓にヒーローとは何かを伝えたように、ユーリもまた、レジェンドから「見て見ぬふりをしてはだめだ」という教えを父の死後も守り続けてきました。2期ではさらに「自身の正義を貫け」と言われ、24話では殺すためではなく、悪を「止める」ためにタイガー&バーナビーと共闘します。

虎徹もまた、能力は誰かを助けるためにあるというレジェンドの言葉を守り抜き、最後までヒーローを全うしました。

それぞれが同じ人間の意志を受け継ぎ、自分自身の正義を貫くことができたユーリと虎徹は、タイバニ2の継承者と言えるのではないでしょうか。

③最期について

「最後」と書くか、「最期」と書くか。正直悩みました。
生きているか死んでいるか、どちらとも取れる描写だったと思います。

ですが、レジェンドの幻影、父親殺しのトラウマという呪縛から解き放たれ、自らの意志でタイガー&バーナビーと並び立った時、彼は言うのです。
「こやつを止めるぞ」と。
アウロラを助けるために炎を放ち、罪人を殺すためではなく、街を守るために罪人を「止める」という決意。
これが、呪縛から解き放たれたユーリ・ペトロフの出した答えだったのだと思います。先述したように、「見て見ぬふりをしない」「お前の信じる正義を貫け」という父の言葉を自らの行動で示しました。その姿は、ユーリ=ルナティック=レジェンドの息子だと知らない虎徹とバーナビーから見ても、まごう事無き「ヒーロー」だったのです。

自らの正義を貫いたことで、呪いの象徴でもあったルナティックという死神の仮面は割れました。同時にユーリは、殺人を絶対に認めない彼にとって、最後に処されるべきは自分であると、1期の時から考えていたと思います。だから、自らの罪(人殺し)を償うために、自身が死ぬときはあの形を取ろうと、あの結末を選んだのだと思います。

父の呪縛と己の正義に悩みもがきながら、最後にヒーローになることができたユーリ。虎徹とバーナビーと並行し、時折交わりながら掘り下げられたユーリは、TIGER&BUNNY2のもう一人の主人公だったと言えると思います。

そんな彼が死を選んだ、と考えるのは悲しいですが、彼にとってはこれ以上ない幕引きだったのではないでしょうか。

NEXTと非NEXTの溝

2期後半で特に焦点が当てられた「NEXT差別問題」ですが、ここは「タイバニの続編」であることを特に強く意識させられた部分でした。

①人の役に立たねばならないというプレッシャー

1期の序盤から、NEXTと非NEXTには溝があることは明確にされていました。
1期2話で、触れたものを操れるNEXT能力を持つトニーという少年が、自身の能力に苦しんでいることを明かします。

「僕の力はヒーローみたいにかっこいいパワーじゃないから」
「大丈夫!いつか必ずその力が役に立つ時が来る」

虎徹の説得によりトニーは石像を操るのをやめ、最終的には自らの力で街を救う大活躍を見せます。

しかし、2期を最後まで見た後だと、トニーにとっては救いになったこの説得が他のNEXTにとって救いになるかというと、否だということが判明するのです。

2期の後半で、ロシツキーはタイガー&バーナビーと、アウロラに訴えます。

「貴様らの存在が、『NEXTは人の役に立たなければならない』という価値観を植え付けていることを忘れるな!」

これが、タイバニ2が最も伝えたかったメッセージなのではないかと、私は思っています。

1期8話、ヒーローアカデミーに特別講師として呼ばれた際、学生たちのヒーロー向きではない能力を見た虎徹が、「あいつらの能力じゃヒーローは厳しいだろうな」とこぼすシーンがあります。
私はその時、それでもこの学生たちはTVで見るかっこいいヒーロー達に憧れて入学したんだろうな~と楽観的に捉えていました。
ところが、2期のサロジャ(楓の友達)の言葉で、ハッと気付かされたのです。
「私はただ、自分が気味悪がられない場所が見てみたかっただけ」
サロジャは、『差別や迫害を受けたくない』という理由で、NEXTしかいないヒーローアカデミーという安息の場所を求めたのです。

ロシツキーも、自分と同じNEXTだった旧友たちが惨めな扱いを受け、果ては自殺に追い込まれた過去を持ち、「役に立つ能力を持たないNEXTは、価値がないとされた」と言っていました。

優れた能力を持ったNEXTであるヒーローが活躍する=NEXT差別が減るという訳ではない。むしろ、ヒーローが活躍すればするほど、能力の低いNEXTは肩身が狭くなっていくという現実を、虎徹とバーナビーは初めて知ることになりました。
ヒーロー達がどんなに純粋に人を助けたいと思っていても、逆に差別を助長しかねない現実が、2期では浮き彫りになったと言えます。

これは現実世界に置き換られます。「マイノリティは人の役に立たないと世間に認めてもらえないのか?」ということです。
2期15話でも描写されたLGBTをはじめ、現実世界でも障がい者、人種など、マイノリティが話題になることがあります。
例えばスポーツで賞を取ったり、タレントとして名声を得たりすれば世間から賞賛の声で迎え入れられますが、そういった人はほんの一握りです。一方で、名声を持たないマイノリティの人達はそうはいかないことの方が多いのではないでしょうか。

個人的な話になりますが、私は前職で障がい者福祉施設の支援員をしていました。
具体的な話を書くとそれこそ誤解を招きかねないので避けますが、施設という「障がい者が当たり前にいる空間」から一歩外に出た瞬間、いかにこちらがマイノリティ側なのかを痛感することが多々ありました。
利用者さんが好奇の目で見られたり、車椅子が通れるスペースがなかったり。もちろん他にも色々と体感したことがありました。

マイノリティの方が並々ならぬ努力によって結果を残すことができた人を否定する訳ではありませんし、むしろそれは賞賛されて然りと思っています。

しかし、「マイノリティと共存する」という意識がまだまだ世間一般に浸透していないのは、タイバニの世界でも現実の世界でも同じです。

タイバニでも、「ヒーロー」は世間に認知され賞賛されていますが、「NEXT」という人種はまだまだ認められていないというのがシュテルンビルトの現実なのです。

結局、今回のX事件で浮き彫りになったNEXTと非NEXTの溝は埋まらないまま、タイバニ2は幕を閉じます。
グレゴリーを粛正し、ロシツキーも亡くなったとはいえ、ウロボロスが暗躍を続ける限り、この問題はシュテルンビルトの抱える大きな課題であり続けるでしょう。

これは現実世界でも、こういった簡単には解決できない差別の問題に対して、どう感じたか、自分ならどうしたいと思うのかを問いかけられているようにも感じました。

②差別と偏見が残ったままのシュテルンビルト

タイバニの話に戻りますが、「NEXTと非NEXTの差別」という1期から描かれてきた問題に加えて、2期では「NEXTは優れた能力でなければ価値がないとされる」という偏見についても提唱されました。しかも前述したとおり、どちらも解決には至っていません。

虎徹とバーナビーの章の最後に、タイガー&バーナビーのバディヒーローとしては終焉を迎えられたのではないかと書きました。
しかし一方で、シュテルンビルトとしては問題を抱えたまま物語を終えています。
これが、「続編があるかもしれない」と考えられる理由の一つです。

X事件で差別の溝が深まったシュテルンビルトにおいて、差別の溝を埋められる可能性があるとすれば、非NEXTがヒーローになることだと思うのです。
NEXTも非NEXTも関係なく、「この街を守りたい」「困っている人を助けたい」と思う人間が目指す職業がヒーローであることが証明できれば、ヒーローが差別を助長する可能性は大いに低くなるはずです。「NEXTだから」人の役に立たねばならないという偏見の目も少なくなるのではないのでしょうか。

そう思わせたのが、2期のラストシーンです。
ヒーローミュージアムに『レジェンド・オブ・バディヒーロー』として、タイガー&バーナビーの肖像画が飾られていました。
この時、額縁にあえて『NEXT』と書かれているのが引っ掛かりました。さらに、NEXTの文字の両側の<>のような模様が、私には矢印のように見えました。
ここからは根拠のない想像です。そう見えたのは私だけかもしれませんが、この額縁から私が勝手に想像したことを書いています。

NEXTの文字と矢印のような模様。これは、タイガー&バーナビーがNEXTのバディヒーローであると同時に、この絵が飾られている未来のシュテルンビルトでは、非NEXTとNEXTのバディヒーローが存在していることを示唆しているのではないかと思いました。

例えば、もし非NEXTとNEXTのバディヒーローが並んだ絵が飾られれば、額縁に<Non NEXT NEXT>と描かれているような。

非NEXTとNEXTのバディヒーロー。
そう考えて、真っ先に浮かんだのはやはりタイガー&バーナビーでした。
もし、虎徹とバーナビーによる史上初の非NEXTとNEXTのバディヒーローが認可されれば、差別問題に一石を投じることができるでしょう。

しかし、虎徹とバーナビーの章でも書いたように、タイガー&バーナビーの物語はこの2期をもって描き切ったともいえるのです。
仮に非NEXTのヒーローが誕生したとしても、もしかするとそれは虎徹ではない別の人間かもしれません。

さらに、ラストシーンのプレートには虎徹とバーナビーが組んでいた年月が、 "OCTOBER 1,NC1977~SEPTEMBER 18 ,NC1981"(1期1話コンビ結成~2期25話オードゥンを倒し、虎徹が能力を失った日)と書かれています。

2期の後の未来で、虎徹とバーナビーが非NEXTとNEXTのバディヒーローとなって、再び額縁に飾られる可能性もないとは言えません。
しかし、タイガー&バーナビーが『レジェンド・オブ・バディヒーロー』という称号でミュージアムに飾られていたとなると、非NEXTとNEXTのバディヒーローとなったタイガー&バーナビーを二人の額縁を配置するかは疑問です。
それこそ、ラストシーンの額縁が『<Non NEXT NEXT>』となっていたり、日付が見えないような演出になっていれば、いくらでもこの先の二人の物語の可能性を見出せたのですが。

額縁に関してはあまり根拠のない想像ではありますが、2期でこのNEXT差別問題が深掘りにされ、かつ解決はせずに物語の幕を閉じたというのは間違いありません。
続編の有無はどちらとも捉えられると冒頭で書きましたが、この差別問題を残した点においては、たとえタイガー&バーナビーの物語の幕が閉じたとしても、シュテルンビルトの物語は終わらないということを示唆しているように感じられました。

続編について

ここで、もう少し詳しく続編の可能性についてまとめておこうと思います。ここも公式からのアナウンスがない状態で書いているので考察というより予想です。いち個人の予想です。それを踏まえてお読みください。

結論に関しては、冒頭でも書いた通り、続編の有無はどちらにも捉えられる結末だと思っています。
ただし、続編があったとしても「タイガー&バーナビー」というバディヒーローの物語ではないかもしれません。

続編があると考えられる理由


このタイバニ2は、かなりの伏線を張ったまま終わっています。

  • ウロボロスという組織の謎(社会に潜んでおり、ロシツキーよりランクの高い幹部が数名以上いる)

  • NEXT差別問題(このままだと「ヒーローがNEXTにプレッシャーをかける」という現実は変わらない)

  • バーナビーが、マーベリックの写真だけ反対向きに置いている(マーベリックへの憎悪と恩義に揺れているのではないかと考えられるが、結局それ以上触れられず)

  • 斎藤さんの「私も頑張ろ」(よりヒーローが活躍できるようなテクノロジーの開発?)

  • 楓はヒーローを目指すのか(虎徹の答えを聞いて何かしら決断したはず)

これだけの伏線が残されているとなると、続編のために残した可能性は大いにあると思います。
シュテルンビルトがその後どうなっていったのか、ウロボロスの暗躍にヒーローは気付けるのか。また、虎徹とバーナビー以外にも個性豊かな登場人物はたくさんいますし、ライアンやカリーナ、楓などはじめ、2期で深掘りされたキャラクターもたくさんいます。新人ヒーロー達のその後の活躍など、ここまで見届けたいち視聴者としては、シュテルンビルトの未来が気になる所です。

続編があったとしても『タイバニ3』ではない可能性について

しかし、たとえ続編があったとしても、それは『TIGER&BUNNY 』という番組名ではない可能性もあります。

前述したように、虎徹とバーナビーがバディヒーローとして完成してしまったからです。
虎徹もバーナビーも人間として成長し、バディとしてもこれ以上ないほど完璧な関係性を構築しました。
そんな二人が、最後の戦いを『TIGER&BUNNY 』という形で締めくくり、ミュージアムに二人の記録が残され、伝説として語り継がれた。
ここまできっちり「答え」を見せられた状態から、その先の物語を紡ぐことは難しいと思います。

時が経てば虎徹の能力が復活するのではないか。規則が改定されて非NEXTもヒーローになれればいいのではないか。そうすれば続編が作れるのではないか。
そうも考えました。しかし、今までのタイバニを振り返ると、やはりそういった展開は難しいと痛感させられました。

タイバニはヒーローアニメでありながら、ご都合展開を可能な限り排除しています。
ヒーローそれぞれが人として悩みを抱えている。失敗もする。市民も純粋にヒーローを応援できる人間ばかりではない。敵側にもドラマがありつつ、しかし殺される時は容赦なく殺される。親子でも、友人でも、人間同士の確執は簡単に解決できない。
虎徹の能力減退も、奇跡が起きて一時的に回復するような展開は一切起きませんでした。そして、消失する時は残酷な程にあっけないものでした。
自らの能力を、ある日突然失うこともある。そんな過酷な状況下でも、相棒を信じて最後までヒーローとして、市民のために戦い続けた虎徹の物語は、ここで一つのピリオドが打たれたと言えます。

虎徹とバーナビーが守ってきた街が、彼らが(バーナビーはまだヒーローとして存在していますが、脚のハンデがあるので今まで通り前線に立つのは難しいと思われる)退いたのち、ヒーローと市民はどうなっていくのか。
それがテレビ・サブスクなのか劇場版なのかOVAなのかはわかりませんが、何らかの形でシュテルンビルトのその後の物語が作られる可能性は大いにあり得るのと思います。

市民の描かれ方・人間のエゴ

①敵じゃないけどイラッとするキャラクター

タイバニ2では、「敵じゃないけど何かイラッとするなぁ」と感じるキャラクターが何人か出てきました。

意見をコロコロ変え、世間体を良く見せようとするアナウンサーのパメラ・ドーソン。
1期の頃からですが、優柔不断で周りの意見に流されてしまう市長。2期では支持率を上げたいといった自己中心的な発言も見られました。
2期後半で出てきた警察署長。警察の面子を保つことで頭がいっぱいで、その癖最後の最後で手のひら返し。アニエスさんがマイクを投げつける気持ちもわかります。

彼らは作中で何度も出てきては視聴者からするとイラッとする態度を繰り返し、さらにはその態度を反省する様子も見せません。

1期でも、ルナティックの登場で「ヒーローよりルナティックの方が正義の味方なのでは」と市民全体がヒーローに対して疑念を抱くシーンはありましたが、2期では個人で「自分さえ良ければいい」という人間のエゴが強く描写されていました。

これはある意味、「誰かを守るためなら自分を犠牲にする」虎徹たちヒーローと相対する考え方です。
ヒーローものの作品は、基本的に「善か悪」の二極を描くことが多いと思います。仮面ライダーしかり、ウルトラマンしかり。倒すべき悪がいて、それに立ち向かうヒーローと、ヒーローを応援する者たちが善。悪を倒せば一件落着、めでたしめでたし。

一方それはフィクションであり、現実世界ではそうはいかない。そこまで斬り込んだのがタイバニ2だったのではないでしょうか。1期以上にリアルに、皆が皆そういった自己犠牲ができる訳ではないということ。そして、「誰かを助ける」と決めたヒーローは、そういった人たちも含めて救わなければいけない。それが街を守るということなのだと。

これは、NEXTと非NEXTの章でも述べたように、視聴者への問いかけでもあるのかなと感じています。
もし自分がシュテルンビルトの市民で、このX事件が起きた時、果たしてどう思い、どう行動するか?と問われているような。

もし自分が非NEXTだったら、暴れまわるNEXT達を見てどう思うか。
もし自分がNEXTで見知らぬ土地に隔離されたら、自分達を迫害した非NEXTを見てどう思うのか。
どちらの立場であったとしても、純粋にヒーローを応援できるのか。

1期からヒーローを応援して来たんだから、そりゃヒーローの味方だよ!と視聴者目線では胸を張って言いたいところですが、2期のあまりにもリアルな描写を見ると、もしかしたら世間体に流されてしまうのではないか、自分だけを守ろうとしてしまうのではないかとも考えてしまいました。

②歪んだ世の中で輝く善意

一方で、そんな歪んだ世の中でこそ輝く善意というのも、2期では描かれていました。

少し話が反れるのですが、映画『チャーリーとチョコレート工場』で、私が一番好きなシーンがあります。
それは、夢のチョコレート工場に行ける世界でたった5枚の金のチケットの1枚を、チャーリー少年が手にした瞬間。
この時、金のチケットを手に入れようと、世界中で大人達がこぞってチョコレートを買い占めていました。
チャーリーが店でチョコレートの包みを開け、金のチケットを手にした瞬間、周りの大人たちが欲目を持ってチャーリーを囲むのです。「お金をあげるから、そのチケットを譲ってくれ」と。突然大人たちに囲まれ、まだ10歳にも満たないチャーリーは困惑してしまいます。
ここで、その店の店主が「もうよせ。その子にかまうな」と大人達に注意します。
そしてチャーリーに言います。「いいか、誰にも渡すんじゃないぞ。まっすぐ家に持って帰るんだ」と。
金のチケットを手に入れたという名誉を自分のものにしたい、と手段を選ばず歪んだ欲望にまみれる大人たちの中で、この店主の善意はとても温かく、じんわりと胸に響きました。

タイバニ2も、同じ温かさを感じた場面がありました。
それは2期19話、マッティアが操られていた証拠をつかむために、虎徹がカフェの店員に監視カメラのデータの入ったメモリをもらうシーンです。

虎徹にメモリを手渡した店員は、この状況下にあっても心からヒーローを応援している市民の一人でした。
本来ならば店の個人情報は教えられないですし、まして活動停止をさせられているヒーローに捜査資料となり得るデータを渡すというのは、ヒーローに対してよほど強い信頼がないとできないことです。
実際にそのデータのおかげで『ミッションA』の存在と、ロシツキーが左利きであることを突き止め、市長が操られていることに気付けたのですから、まさに善意ある市民に助けられたと言えます。

悪人ではなくても、ずる賢い手段で自分の面子を保とうとする人間もいる。そんな中だからこそ、誰かの役に立ちたいと純粋に思っている人の善意が輝いて見えるというのも、2期で伝えたいことだったのではないでしょうか。


色々考えたけどやっぱりモヤモヤするところ

考察のまとめとしてはここまでで終わりですが、考察を重ねても腑に落ちない点もあったので、まとめておきます。
以下は、なるべく個人の感情とは別に、物語の意味やメッセージを客観的に捉えようとしましたが、「う~んやっぱりモヤモヤする」と思った箇所です。

アウロラの役割

あれだけ2期前半から存在を匂わせていた割には、あまりにも活躍しなかったなと。
ウロボロスも脅威に思うほどの能力者であり、彼女がシュテルンビルトに降り立つだけで犯罪が減るという「効果」は確かにあったのだと思います。
しかし、土地を活性化させたり絶滅危惧種を救えるほどの能力を持ち、その能力を四六時中ずっと発動している割に、X事件の首謀者に気付けなかったり、市長が操られている可能性を考えないというのは甚だ疑問です。
市長に銃口を向けられて本当に驚いている彼女の姿に、見ているこちらが驚きました。

犯罪者の同窓会

終盤にアッパス刑務所から解き放たれる過去の囚人たち。
同窓会はライアンの言葉を借りたものですが、虎徹とバーナビーが捕まえた敵を総動員しているところから見ても、この同窓会で二人の物語の締めくくりにしようとしているのかなと思えました。

それはそれで良いとして、その囚人ほとんどが「出ただけ」だったのは勿体なかったなと。
暴走して出てきて、唸り声以外台詞もなくあっさり鎮圧されてしまったのが、彼らとの戦いを見てきたが故に、懐かしいけど何か寂しい。
Beginningのロビン・バクスターまで出てくるあたり本当に懐かしいのですが、タイバニで描かれるボスクラスの敵は、皆個性溢れるキャラクターでした。イワンの友人であるエドワードや、Risingのラスボス・ヴィルギル(アンドリュー)は特に、彼らが犯罪に走った経緯も描かれていたので、鎮圧された後、もしくは正気に戻った後にひと言でいいから彼らの言葉が欲しかったですね。「今まで何をしてたんだ」や「すまない」とか、これが最後の出演なら尚更ひと言だけでも欲しかったです。

Are you happy?

”…Maybe.”
ここで聞くか。このタイミングでそう答えさせるのか…!
私個人としては、ここはあまりにも残酷に感じました。

2期2話のユーリに言った「まだ自分の人生が幸せだとは思えていません」に対するアンサーなのはわかります。ハッピー君人形が出てきた時点でそういう伏線だったこともわかります。

しかし、虎徹は能力を失ってヒーローを辞め、自分は脚の痛みを抱えながらたった一人でヒーローを続けなくてはならない。もちろん、ヒーローを続けると決めたのは自分自身ですが、それでもこの状況を「たぶんでも幸せ」だと思えるかは、ここは何度見ても疑問に思ってしまいます。
もう少し時が経てば、過去を振り返ってMaybeもしくはYesと答えられる日が来るかもしれません。しかし、今のこの状況でそれをバーナビーに堪えさせるのはあまりにも辛すぎると思います。脚を痛めておらず、虎徹も隣にいる状態でも「僕の人生が幸せだとは思えていません」と言っていたバーナビーが、Maybeと言えるのか…。

タイバニは、虎徹とバーナビーの二人が主人公ですが、1期から特に丁寧に描かれてきたのがバーナビーの心情でした。
2期を観てから1期やBeginningを見ると、彼の目つきの鋭さに驚かされます。誰も信用せず、棘で自分を囲っているような厳しい目つき。そしてジェイク戦、マーベリック戦を経て、バーナビーの気持ちに少しずつ余裕が生まれ、表情豊かになっていきました。
Risingや2期前半では、利用され続けた自身の過去に苦しみ、もがきながらも前に進もうとしている気持ちが描かれました。
つまり「バーナビーの幸せ」というのは、タイバニのメインテーマの一つだったと思います。

しかし、2期後半の展開で、あの結末の直後にその答えを彼に出させる必要があったのでしょうか。

答えを出させたかったのであれば、脚の不調や虎徹のヒーロー引退という展開はなくても良かったように思えてしまいます。そして、Are you happy?に「Yes」と笑顔で言えるバーナビーを見せると。

TIGER&BUNNY の完成と終焉という結末を重視したかったのなら、ハッピー君人形は必要なかったのではないでしょうか。わざわざ言葉にして問いかけずとも、あの場面は虎徹と拳を合わせた表情のまま、虎徹の後を追うバーナビーの姿で十分だったと思います。幸せかどうかの答えはまだ出せないけど、これから時間をかけて自分なりに頑張っていくよ、と心の中に留めておけば良かったのではないかと。
あの状況で言葉で問いかけ答えさせたことが、自分としてはどうしても残酷に感じられてしまいました。

考察を踏まえた上での感想・願望

さて、考察はここまでです。
ここからは、考察をまとめた上での現在の心境や感想・願望を書きます。
ここからは私個人の思いを書き出しますので、虎徹さん・バニーちゃんって呼びます!

11年前にワイルドタイガーの虜になり、タイバニは私の支えになりました。辛い受験生の日々もタイバニと共に乗り越え、学生なけなしのお金でグッズを買って、可能な限りイベントに行きました。
なかなか2期の続報が出ず少し離れていた時期もあったのですが、2期の配信で再びタイバニに心救われ、11年前よりタイバニ沼にずぶずぶないちファンの、あくまで個人的な本音と感想です。

そうは言ってもタイガー&バーナビーに会いたい

そりゃあやっぱり、タイガー&バーナビーの活躍がまた見たいです。見たいですとも!

初見で結末が受け入れられなかった一番の要因。それは私が、ヒーローであり続けようとする虎徹さんに、そしてタイガー&バーナビーに勇気をもらっていたからです。

11年前の私は受験生で、周りの受験モードに押しつぶされそうでした。毎日ピリピリしたムードを感じる中、支えになってくれたのがタイバニでした。
強敵や能力減退という困難に次々とぶつかりながらも、がむしゃらに立ち向かう虎徹さんと、何度もぶつかりながらも虎徹を信頼し、絆を深めていくバーナビーの姿に何度も元気をもらいました。

そして11年後。2期放送直前に私は6年間勤めていた職場を辞めたこともあり、お世辞にも精神的にあまり良い状態とは言えませんでした。
前半の配信では、人間として、バディとしてさらに成長したタイガー&バーナビーが見られて大喜びでした。

ところが、2期のラストで虎徹さんがヒーローを辞め、バーナビーが一人でもヒーローを続けていくと言った瞬間、現実の私も突き放されてしまったような気がしたのです。
タイガー&バーナビーが「転んでも大丈夫だよ」と背中を支えてくれた1期とは対照的に、2期では「痛くても辛くても、自分で頑張るしかないんだぞ。じゃあな」と、遠くに行ってしまったような。

ずっと寄り添っていてくれたヒーローが突然、あまりにも突然離れて行ってしまったような、そんな気持ちになってしまったんです。

でも2周目以降、ようやくきちんと虎徹さんとバニーちゃんの立場になってストーリーを見て、文章にまとめていくうちに、これは紛れもなくタイガー&バーナビーの物語であり、バディヒーローの形だったんだと納得することができました。
それに、二人の結末も決して視聴者を突き放した訳ではなくて、「じゃあ、次は君の番だ」と言われているような気がしました。
考察にも継承の物語と書きましたが、書きながら、これは「視聴者への継承」とも考えられるんじゃないかと思ったんです。

能力が消えても、目の前の敵を止めることに全力を尽くしたワイルドタイガー。脚の激痛を抱えても誰かを守るために敵に立ち向かったバーナビー。オードゥンにボロボロに傷つけられても市民を救助するために動き続けるヒーロー達。
そして伝説となったタイガー&バーナビーを見て、今度は彼らの戦いを見てきた視聴者が、「今の自分に何ができるのか考え、自身の力で全力でもがいてほしい」と伝えたかったんじゃないかな、と…。
飛躍しすぎかもしれませんが、1期と同じように、頑張るヒーロー達の姿を見て、勇気を与えたいという作り手の想いは、2期でも変わらなかったと思います。

とはいえ、虎徹さんの能力がそんないきなり無くなるなんて思わなかったですし、たとえ非NEXTでもヒーローでいてほしいという思いもあります。やっぱり「もう見られない」と思うのは寂しいです。

バニーちゃんだって、本人はヒーローを続けると言いましたが、あれだけの激痛に襲われる脚の状態で満足に動けるとは思えません。復讐に囚われていた過去を乗り越え、せっかく仲間や友人ができて、表情も豊かになって、本来の自分を取り戻しつつあったのに、また失ってしまった。ワイルドタイガーという最高の相棒を。それはあまりにも辛すぎます。

この二人をメインに置いた続編は難しいと先ほど書きましたが、そうは言っても、スピンオフ的なもので、虎徹さんとバニーちゃんの後日談は見たいです。これは紛れもない願望ですね。
だって2期前半から匂わせてた二人飲みも出来ずじまいでしたし、何なら1期から言ってたバニーちゃんの手作りチャーハン食べたの?とか。

ヒーローとしては終わりを迎えていても、二人にはちょくちょく交流していてほしいですね。お互いの家に遊びに行ったり、虎徹さんが読んでたリハビリの本を参考にバニーちゃんの脚を定期的にメンテナンスしてあげるとか。

これも個人的な願望ですが、虎徹さんはヒーロー以外で、人を助けられる方法を模索しているんじゃないかと思います。タクシー運転手をしながら、休日はボランティア活動してたりとか。
現行のヒーローや差別問題を助長しないためにも、虎徹さんは野良ヒーローはしないと思いますが、強盗とかバスジャックに出くわしたら身体が動いて、持ち前の身体能力で事件解決、なんてことはあるかもしれないですね。
そこでバニーちゃんと出くわして、「全く、あなたって人は!」と怒られて(心配されて)、周りの市民に「タイガー&バーナビーだ。懐かしい…!」って喜なれてほしいです。特にジョリーさんに。

さっきまで考察でうんたらかんたら真面目ぶってた私はどこへやら。
出るわ出るわ、もしもの未来が。
タイバニのすごいところって、リアルな描写が多いだけあって、「こういう時、このキャラクターは、こんな風に過ごしてるんじゃないかな」という妄想がしやすいんですよね。虎徹さんとバニーちゃんはもちろん、他のキャラクターの日常風景もすごく浮かびやすいです。そういう所も、タイバニの魅力なのではないかと思っています。

色々それらしく書き連ねましたが、やっぱりタイバニといったらタイガー&バーナビーなんですよ。
二人のバディヒーローが大好きで、本当にたくさん勇気と元気をもらったんです。

だからこそ、11年越しの続編を見届けた後も、「辛い、寂しい、こんな結末嫌だ!」と目を背けるのではなく、もう一度作品について考察して、そしてこの作品を心から大好きだと胸を張って言える自分でいたい。そう思って、ここまで文章にした結果、だいぶ自分の気持ちがまとまったと思います。

結局のところ、

「わかってるけど、寂しい」
「寂しいけど、わかってる」

この感情がずっと心の中で渦巻いているんだなと。

二人が選んだ結末はわかってる。道を応援したいし見守りたい。だけどそれはいち視聴者である自分もタイガー&バーナビーから切り離されるようで、とっても寂しい。でも虎徹さんもバニーちゃんも前を向いてそれぞれの未来を歩んでほしい。でもでも…!と、気持ちがループしているんです。

「タイガー&バーナビーはずっとヒーローとしてこの街を守っていて欲しかったんだよ!」という気持ちも、「二人が歩む未来を心から応援しよう」という気持ちも、どちらも本音です。
だからこそ、どちらの気持ちも自分の中で大切に持っていたいと思います。どちらかを押し殺して美化したり、我慢して無理やり受け入れる必要はないと思うので。

2期後半で特に好きなところ

2期前半でも思いましたが、2期は何よりも虎徹さんとバーナビーの関係性の描き方が最高でした。
後半も、信頼し合っている二人がお互いを気遣い、支え合いながら困難に立ち向かっていく姿に本当に感動しました。
1期の序盤では相手への嫌味でしかなかった「おじさん」「バニーちゃん」が、2期24話ではお互いが最高最強のバディであることを確認し合う言葉でなっているのなんか最高でした(そこからOPの二人のカットインに入る構成がまた最高オブ最高!)。

2期1話で見せてくれた阿吽の呼吸は、25話のバングルを渡すシーンでも見られて、あの虎徹さんの想いを受け取ったバニーちゃんの表情はもう…思い出しただけでもグッときますね。
バーナビーは受け取った虎徹さんのバングルを、最後まで左腕に着けていました。再び願望ですが、虎徹さんから受け取ったバングルをこの先もずっと持っていてくれたらいいな…と思います。虎徹さんから受け取ったあの日の想いを忘れないように。


また、2期ではヒーロー達の信頼関係の描き方もとても好きでした。
「相棒」「仲間」「チーム」である心強さに、何度も感動しました。

1期では、「ヒーローも一人の人間であり、それぞれに悩みを抱えている」ことが強調されていたように思います。仲間というよりライバル意識がまだ強く、全体で協力するというより、個人がそれぞれの壁を乗り越えて力を発揮していることが多かったと思います。

一方、2期前半では、新人ヒーロー達の未熟な面や、バディとなったことで生じる問題に立ち向かっていくエピソードがありましたが、後半ではもうそれをクリアした状態からスタートしています。
ヒーロー達にまだ未熟な面が見られ、互いをライバルとして意識していた1期とは異なり、ヒーロー同士の彼ら12人はすでに「仲間」意識を持って行動しています(トーマスのみ一度戦線離脱しますが、仲間のために戻ってきてくれたところはめちゃくちゃかっこ良かった!)。

ヒーローたちのグループLINE名も『One Team』となっており、ヒーロー同士が一つのチームとして動いていることがわかります。

話数で言うと、2期後半では20話・21話が特にお気に入りです。

2期ではキャラの顔がアップになることが多く、かつその中で表情(特に目)の微妙な変化をつけ、上手くキャラクターの心理描写をしているなと思います。
20話でのユーリと虎徹さんの対話シーンも、21話で倉庫裏で話し合うシーンで、特にそれを感じました。

「もしもバーナビーみたいな存在が、仲間がいてくれたらって」と言ったところでチラッとバーナビーに目線を動かす虎徹さんや、基準値を満たしていないけれど、最後だから現場に向かわせてほしいと涙ながらに訴えるバーナビーの表情も、「涙を堪えるように瞳が揺れている時」と、「堪えきれず溢れる涙」が明確に変化し、キャラクターの心情がそれこそリアルに伝わってくる演出だったと思います。

最後に

ファンの皆さんのツイートや感想を読ませて頂いて、「受け入れられる」「受け入れられない」「受け入れようと頑張っている」と、賛否両論様々な思いが書かれていました。

同時に、たとえ「受け入れられない」という結論だったとしても、それがイコール「タイバニが嫌いになってしまった」ということではないことが、皆さんの文面から強く伝わってきました。
私自身も1週目はショックで受け入れられませんでした。ふせったーにも書き殴りました。それでも、「タイバニ大好きです」と書きました。
感想として「受け入れられない」という言葉をアウトプットしたとしても、それはタイバニが大好きで、作品やキャラクターにたくさん思い入れがあるからだと思います。

たとえ内容が受け入れられなくても、作品やキャラクターに対する愛は変わらないというのは、凄いことだと思います。
「みんながタイバニを愛するが故にもがいているんだ」
とわかったからこそ、私ももう一度見返して、作品の意図やメッセージを読み取ろうと思えたのです。

この考察を書いている間もたくさん自問自答していました。

初回で「受け入れられない」と感じたのはなぜか。
でも見返したら受け入れられるようになったのはなぜか。
あの結末の意図は何か。

皆さんのようにタイバニを大好きでいたいからこそ、一度自分の感情を整理して、アウトプットしてみようと思いました。

そして思いの丈を書いて自分の気持ちを整理した結果、やっぱり私はこの作品が大好きです。
モヤモヤするところ、感情が追い付いていないところ、それもひっくるめて、それでもこのタイバニ2は素晴らしい続編だった。これが私の答えです。

最悪の始まりだった1期から、何度もぶつかり合っては壁を乗り越えた二人が、2期の最後では、

「俺らはずっと相棒だ」
「はい!」

心からそう言える仲になった。
これ以上ない、最高のバディになって終われたんです。
視聴者として寂しい気持ちはあるけれど、最高のバディになった二人を描いてくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
タイバニ2は間違いなくタイバニの続編であり、そしてタイガー&バーナビーにとって最高の物語だったと思います。

最後まで最高のバディヒーローとして戦い抜いた二人に、それぞれの道を歩んでいく二人に、勇気と感動をもらいました。
何度倒れても立ち上がったヒーローのように、私も自分の人生を頑張っていきたいと思わせてくれました。

たとえヒーローじゃなくなっても、私はいつまでもタイガー&バーナビーの勇姿を忘れません。
でも、もし続編や後日談があるなら、それはもちろん飛びついて見ます!

スタッフの方々は、おそらく一度二度ではない困難を乗り越えて、このタイバニ2を世に送り出してくださったのだと思います。
素晴らしい続編を届けてもらえたこと、本当に感謝しかありません。

そして、このような自身の思いの丈を書いて叫んだだけのような長文を読んで頂き、本当にありがとうございました。
書いたことに色々と思うこともあるかもしれませんが、「この人はタイバニが大好きだから書いたんだ」ということが伝わればいいなと、切に願います。

これからも私はタイバニを愛し、応援していきます!








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