ウィーン ここが私のアナザー◯◯◯ 2
「なんか若返ったんじゃんない?」
えへへ、そんなことを言われ、真に受けてニヤニヤしてしまう。
「肌の艶が良いし」
4年ぶりの再会で、実際若返っているわけがない。でもこう言ってくれたのはどういうわけか一人ではなかった。あ、これは、決して自慢で書いているわけではなく……。
友人たちとの再会は、4年という月日の隔たりを感じないほど自然に話が広がった。「ロンドンの生活はどう?」 何より、近所のスーパーマーケットが平日でも夜9時、10時まで開いていることや、日曜日でも買い物に行けること、これらのことはものすごく便利になったことだ。ウィーンでは、平日はスーパーは大抵夜は7時までだったため、残業して帰るとお店は閉まっている。忙しい時期は、昼休みに食料品を買い込んで、会社の冷蔵庫に入れていたものだ。日曜日は主要駅のスーパーなどを除いて、基本的に全てのお店が閉まっている。そのため、土曜日はどんなに疲れていても、とりあえず買い物に出かけなければいけなかった。しかも、夕方6時で閉まってしまうため、それまでに。今となっては、よくそんな生活ができていたなあ、と他人事のように感心してしまう。人間便利な生活にはあっという間に慣れてしまうのだから恐ろしい。
そんな日常生活の話題から、次第に会社の愚痴へとトピックは移る。以前の同僚の話を聞いていると、状況が目に浮かんできて、こちらまで怒りが湧いてくる。
「ひどい! そんなこと、おかしいよ! なんでそうなるの?」
向きになって言ってみても、私はもう当事者ではない。それに、言っている本人が現状を変えようとしていないのだから、私が嘴をいれても仕方ない。
私もかつてそこで働いていた頃は、そうではなかったのか。おかしいことだと思っていても、どうすることもできない。ただ我慢して、日常生活を送る。そして、たまに友達同士で愚痴って、スッキリする。そんな生活だったのではないか。
「なんか若返ったんじゃない」
そう言ってくれた友人たちは、そうやってストレスを溜めながら働いていた時の私を知っている人たち。今はストレスがないのか、と聞かれれば、もちろん仕事上でストレスがないわけはない。でもこうして旅行気分でウィーンに来て、友人とのおしゃべりを楽しんでいる間に、普段仕事で感じているストレスはどこかへ消えていた。若返ったように見えた理由はそこだったのだ。
ちょっと余談になるが、ロンドンからのクッキーをお土産に渡すと、みんな喜んでくれた。そう、ロンドンのクッキーは美味しいのだ。特に人気があったのは、しっとりしたクッキー生地に、甘すぎないラズベリーのクリームが挟まっているもの。ロンドンにも遊びに行くね。私たちは次なる再会を期待して別れる。
最終日、夕方のフライトまでに行きたいところは決まっていた。それは、最後に住んでいた家の近くを散歩すること。そこは、ガイドブックなどで「ウィーンの森」と呼ばれているエリアだ。ホテルの前から市電Dに乗り、終点のヌスドルフまで行く。そこから少し歩くと、小川沿いのベートーベンの散歩道に出る。
ベートーベンは生まれはドイツだが、ハイドンの弟子となり、22歳でウィーンへ移住する。引っ越し好きとして知られており、80回近くも引っ越しをしたと言われている。20代後半、音楽家にとって致命的な難聴を患い、医師の勧めにより、この地に移り住む。下記はこの地でベートーベンが住んだ家の地図だ。
ベートーベンはここに住み、天気が良い日は小川沿いを散歩していた。そこが、ベートーベンの散歩道だ。ここを歩きながら着想を得て、できた曲が「交響曲第6番田園」。心が弾む戦慄。鳥の声を奏でているような木管楽器。
私もこの散歩道をよく好んで散歩した。この道沿いに流れるシュライバーバッハと呼ばれる小川は、細く穏やかに、でも時には逞しく川音を立てて流れる。新緑の季節は、川沿いの小道に木々の葉が広がり、緑のアーケードを作り出している。ジョギングをする人、犬の散歩をする人、仲良く手をつないで散歩をするご年配の人。みんなそれぞれにこの散歩道を楽しんでいる。
だが、時は寒い2月の終わり。残念ながら活気あふれる緑の散歩道を体験することはできなかった。それでも、川は変わらずに流れていた。立ち止まって耳をすまし、川の流れを見つめる。
ベートーベンの耳はしかし、悪化していく。絶望したベートベンは、32歳で遺書をしたためた。その家は、ハイリゲンシュタット遺書の家と言われており、ミュージアムになっている。ベートーベンが書いた遺書、周りの景色が描かれた絵画やピアノなどが展示されており、とても興味深い。そんな展示物もさる事ながら、家の造り自体に心惹かれる。細い階段を登ったところに入り口があり、奥に小さな部屋がいくつか繋がっている。昔ながらの家の様子を伺うことができる。
そして、そこにはかつて小さな裏庭があり、芝生が敷かれ、ポツンとたたずむ日だまりに温かい趣が感じられた。そこでは以前ネコを見かけることもできた。ネコ好きの私には嬉しくてたまらない場所だった。今回遺書の家に入る時間はなかったが、お庭だけ覗かせてもらおうと思い中へ進んだ。しかし、お庭への通路は閉じられていた。ここは2017年に改装されリニューアルしたため、お庭には入れないようにしたのか、あるいは単に冬だから通れないようになっていたのか。いずれにしても残念だった。かつての裏庭の写真が見つかったので掲載したい。
このあたりではさらに、見逃してはならないステキな景観がある。一面に広がるブドウ畑だ。なだらかな丘陵地帯に列をなして広がるブドウの木。
(下記ブドウ畑の様子は、すべて以前夏に撮影したもの)
そして、そのブドウから美味しいワインが作られる。日本ではあまり知られていないが、オーストリアはワイン生産地としても有名だ。その生産地の一つに、ウィーンが含まれている。ワインで有名なヨーロッパの国々はいくつもあるが、首都である都市にブドウ畑が広がるという光景は珍しいことであろう。
そして、ここにはこのブドウ畑の所有者が経営している直営レストラン、いわゆる「ホイリゲ」と呼ばれるワイン居酒屋が集まっている。有名なエリアは「グリンチング」と言われているところだ。居酒屋という名前の通り、少し気取ってワインを飲む、という場所ではなく、アコーディオンが奏でる陽気な音楽に合わせて歌いながら、家族、友達同士でワイワイとお庭でワインを楽しむ、そんなところだ。自家製ワインは、1リットルのデカンタで注文し、ソーダー水で割って飲むのがウィーン風の飲み方だ。ワインを片手にウィンナーシュニッツェルやチキンをいただく。整然と並ぶブドウ畑を眺めることで癒され、さらにそのブドウから製造された美味しいワインを楽しむ、オーストリアのワイン生産地で過ごす時間は、まさに至福のひとときだ。この話はまたいずれゆっくり紹介させていただくので、お付き合いいただけると嬉しい。
4年ぶりにウィーンを訪れ、大変充実したひと時を過ごすことができた。しかし、感じたことは、今の私の場所はもうこここではないということだった。ここで培った生活があったからこそ、今の私がいることは間違いない。そして、今は場所を移し、また新たな人生のステージを歩んでいるのだと思う。ロンドンに戻って、新たにリフレッシュした気持ちでしっかり歩いて行こう、そう実感した。
「ここが私のアナザー◯◯◯、ウィーン」空港へ向かいながら、心の中で一人そうつぶやいていた。