映画『グリーンブック』 ー ドン・シャーリーの想い
以前から気になっていた映画があった。
『グリーンブック』
お勧めの映画としてこのタイトルを何度か見かけていた。そして私は、この映画をただ「黒人ピアニストのお話」として認識していたのだ。映画のタイトルの意味も理解せずに。そしてようやく、クリスマスにこの映画を見ることができた。
時は1962年、アメリカで生まれ育ったイタリア系男性トニー・ヴァレロンガの話から始まる。彼はニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で働いていたが、クラブの改装で休業となったため職を探すことになる。そこへ、運転手としての仕事の話が舞い込んだ。そして面接へ行ったトニーに、驚きの出会いが待ち受けていた。カーネギーホールの上階で、お城に住んでいるかのように優雅な生活をしていたのは黒人ピアニスト、ドン・シャーリーだった。決して好印象を抱いたわけではなかったが、トニーは彼の南部へのコンサートツアーに、運転手兼用心棒として2ヶ月同行することを引き受けた。
ツアーへ出かけるにあたり、トニーが手渡されたものがあった。それが「グリーンブック」だった。まるで緑が美しい公園の案内かのような名前のそれは、正式名称を「The Negro Motorist Green Book 黒人ドライバーのためのグリーンブック」という旅のガイドブックだった。監修者の名前がグリーンさんなのだ。
ここでまず大きな衝撃を受けた。しかし、私はまだわかっていなかったのだ。この本が、この本の存在が、実際なにを意味しているのかを。
二人は心がかけ離れている状態でコンサートツアーへと出発した。ドン・シャーリーはトリオでジャズピアニストとして活躍していたが、他の二人とは別行動をしていたため、旅路はドンとトニーの二人きりだった。運転をしながら、トニーは無口で生真面目な雰囲気を漂わせるドンに質問を投げかける。トニーは、トニー・リップというあだ名がつくほどの口達者だった。
ドン・シャーリーの両親はジャマイカ系の移民だった。アメリカで生まれ、アメリカでピアノを覚えた。ピアノには興味がなかったトニーだが、演奏をしているドンの姿を目にし、彼の奏でるピアノを聞くうちに、段々と彼への友情が芽生える。そして、二人は南部へと入っていく。
ドンは車の中でトニーに語っていた。彼は子供の頃からクラッシック音楽を弾いており、ステージでもクラッシックを演奏したかった。しかし、プロデューサーから黒人のピアニストはうけないと言われ、ジャズピアニストとしての道を歩むことになったのだと。
ドンは素晴らしい演奏を披露し、ピアニストとして歓迎される一方で、ステージを降りると普通の黒人だった。南部では、黒人は白人と同じ公共施設を使うことが許されていなかったのだ。
唖然としてしまった。こんなこと、人として許されるのか、ドンはこんな扱いを受けることを知っていて南部へのツアーに出たのか、素朴な疑問がわいた。そしてこのような差別は、旅を続けるにつれて次々と起こり、その場面を見るたびに心が痛んだ。けれど、ドンはそのたびに助けられた。用心棒として雇ったトニーによって。
もちろんドンは知っていたのだ。このような扱いを受けることを。当時のアメリカ合衆国南部には、ジム・クロウ法というものがあったことを私は後から知った。アメリカ南北戦争によって黒人奴隷制度が廃止されたにもかかわらず、南部では19世紀後半から20世紀前半に人種隔離政策が取り入れられていた。学校・交通機関・公共施設などで、白人用と黒人用が分離されることが法的に定められていたのだ。そのため、ドンとトニーは別々の宿泊施設に泊まることがあった。ドンが宿泊できる場所は、グリーンブックに掲載されている場所であったのだ。
どうしてドンはそんな状況と知りながらも、南部へコンサートツアーに出たのか。私の疑問は増すばかりだった。
ツアーの最終日、ひどい仕打ちを受けたドンは、その後トニーと一緒に黒人が入れるバーへ行く。すっかり意気消沈していたドンだったが、トニーによりドンがピアニストであることを告げられた女性店員から、店のピアノを弾くようにせがまれる。そして、ドンは弾いた。鳥肌が立った。
それは、クラッシックピアニストであれば誰もが憧れるであろうショパンの曲、そしてその中からドンが選んだ曲は『木枯らしのエチュード』だった。
店中の人がドンに注目し、そしてドンの音楽に心を動かされた。それから自然と店のバンドのメンバーが加わり、ドンは即興で実に生き生きと楽しくジャズの演奏を続けたのだ。
ドンは、音楽によって人々の心を動かすことができると信じ、だから南部でのツアーを決行したのだった。
この映画は、トニーの息子であるニック・ヴァレロンガが脚本の共同執筆者となって製作された実話だ。黒人差別意識が強かった父親のトニーは、ドン・シャーリーとツアーに出てから変わったという。
「everyone is equal みんな平等だ」トニーは、息子にそう教えたのだ。
映画化の希望はドンの生前から話をしていたそうだ。そして、自分がこの世からいなくなってから実現して欲しいと言っていたドン・シャーリーの言葉通りとなった。ドンもトニーもほぼ同じ時期、2013年にこの世を去っている。
黒人であるドンが窮地に立たされた際、白人であるトニーが現れ助け出すという飽き飽きするような設定に批判の声も聞かれたそうだが、意見は様々あるだろう。
ただ私は、この映画に出会えて本当によかったと思っている。ドン・シャーリーという人物を知り、彼のピアノにこめた想いに心を動かされた。
この記事を書き綴っている間も、BGMで私はドン・シャーリーのピアノを聞いている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ご挨拶が遅くなりましたが、皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします。
そして、2023年が皆さまにとって素敵な1年となりますことを心よりお祈りいたします。
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