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『クイーンズ・ギャンビット』に心打たれて

シンプルにゴールがあるお話なのに、こんなにも多様な気持ちを呼び起こさせる複雑なドラマを、これまでに見ただろうか? 

Netflixで配信されているドラマ『クイーンズ・ギャンビット』を見終わった時の気持ちだった。

チェスで世界一を目指すという女性のサクセスストーリー、筋立ては至ってわかりやすい。けれど、それだけではない。依存症、家族、恋愛、友情、1950年代のチェス界、東西冷戦そして自分探し、と実に多面的なテーマが盛り込まれた豪壮な作品だった。私は完全に心を奪われていた。

さて、少し気持ちを落ち着かせてから振り返ってみよう。

私はチェスのことはまったくわからない上に、興味があったわけでもない。ではなぜこのドラマを見ようと思ったのか。それは、主演女優を以前にも見たことがあったからだ。

英国を代表する女性作家ジェーン・オースティンの小説『エマ』が2020年再び映画化された。その時、エマを演じた女性がこのアニャ・テイラー・ジョイだった。嫌味のない賢いエマにすっかり魅了され、この女優さんがしっかりと私の頭の中にインプットされていた。

そのため、彼女が今度は現代の衣装を華麗に身に纏って画面に現れた時に、そのストーリーを追ってみたくなったのだ。

チェスのお話、というただそれだけの情報しかないままに第1話を見始めると、早々に当惑してしまった。『エマ』のように舞台は英国なのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、このドラマの舞台はアメリカだった。なんとなく、海外ドラマはヨーロッパが舞台の作品を好んで見ていたため、出鼻を挫かれた気がした。

物語の主人公ベス(エリザベス)は、交通事故で唯一の身内であった母親を失い、児童養護施設に入る。ベスは利口で控えめな少女。取り立ててそこでの生活を楽しむでもなく、地道に日常生活を送る。歳上のジョリーンだけが、初めからベスを気にかけ、アドバイスを与えた。

ある日、ベスが先生から雑務を頼まれ地下室へ行くと、そこで一人チェス盤と向き合っている用務員のシャイベル氏を見かける。ベスはそれからチェスに惹かれていき、シャイベル氏にチェスを教えて欲しいと頼む。チェスは女性がやるものではない、と拒んだシャイベル氏だったが、すでに傍観していただけでチェスの動きを習得していたベスに驚愕し、ベスにチェスを教えるようになる。

そして、養護施設時代のベスを捉えた存在がもう一つあった。それは精神安定剤という名の薬物だった。1950年代のアメリカの養護施設では子供たちを扱いやすくするために精神安定剤を与えていたという。しかし、やがてその薬は子供に与えてはならないという掟が出され、養護施設でも配布が取りやめになった。薬物を失った時のベスの苦悩がコミカルに描かれるが、見ていて切なかった。

そんな始まりを見て、もうこのドラマは見なくてもいいかな、という気持ちにもなった。けれど、やっぱりどこか惹かれるところがあり、先を見てみることにした。

ベスはそれから養女として引き取られていく。学校にも通うようになるが、そこでもあまり馴染めない。そんな時、チェスの雑誌と出会い、チェスの大会があることを知る。出場するためには10ドルが必要。しかし、ベスのお小遣いでは5ドル足りない。ベスはシャイベル氏に手紙を書き、5ドル貸してくれたら、10ドルにして返すと伝える。すると、5ドル紙幣が送られてきた。

大会の受付で、ベスは場違いの戦場に迷い込んだ子犬のように扱われる。しかし、ベスは自分を信じて強気で臨む。初戦は女性のプレーヤーだった。チェスの競技の場に初めて足を踏み入れたベスにはわからないことばかりだった。そして、そこでのベスは虚勢を張ることなく、率直に初めてであることを伝え、素直に教えに従う。そんなベスに好感を覚えた。こうして、ベスのサクセスストーリーが始まった。

ベスは初めて賞金を手にする。そして、継母もベスのチェスに協力するようになり、二人でチェスの大会へ出場すべく旅をする。ベスと継母との関係が構築されていく様子を見ていると、心の中に温かいものが注がれていった。それはまさに、ベスの気持ちだったのであろう。

ベスはこれまでチェスの強者と言われていた男性たちと戦う。そして、彼らはベスに負かされていく。この男性プレーヤーたちとの関わりがまたこのドラマの見どころの一つとなっている。自分は強い、と思って挑んだチェスだったか、まだ幼い女性に勝利を奪われる。その時、男性たちはどのように思うのだろうか。忸怩たる思いに浸るのか、はたまた感服と賞賛の思いが芽生えるのか。

順調に人生の駒を進めているかに見えたが、やはりベスも一人の弱い人間であった。ベスにもどうしても勝てない相手がいた。そして、幼少期に薬物に囚われてしまったように、やがてアルコールに依存するようになる。また、数々の大会で賞金を手にしたベスは、簡単には手を出せない大きなものを支払うことができるまでの大金を手にしていたのだ。ベスの生活はすさんでいた。

しかしそんな時、ベスを改心させる強い味方が登場する。あ、ここで登場するのか、と涙を誘われた。ベスは救われた。

ベスは大会へ出場するために、ついに世界チャンピオンのいるソ連の地に降り立った。東西冷戦下の当時、アメリカ人がソ連に入り大会で戦うという状況にはただならぬ緊迫感が走る。ベスはそこで、チェス界のレジェンドとの対戦を経て、最終的にどうしても勝てなかった相手、世界チャンピオンであるボルコフと再び対峙することとなる。

この話はベスの成長物語でもあるのだが、ベスが関わる人たちの愛しいキャラクターが大きな鍵となる。どうしてこうも素晴らしい人たちと出会えたのか。ドラマだから、運が良かったから、いやそれだけではない。一番の理由は、それがベスだったからなのだと思う。

ベスはつねに自分と戦い、強い信念を持って行動する。初めて大会に挑んだ際に見せた信念は、その後も揺るがなかったのだ。それはどんな時でも。ロシアでの大会へ出場するために、ベスを支援したいという団体が現れた。世間的に見れば大変ありがたいお話だった。けれど、最終的にベスはそれを断ったのだ。その団体を支持するような発言を強要されたからだ。さらに、それまで支援してくれたお金までも返してしまう。その結果、ベスもついに所持金がほぼ尽きてしまったのだ。それでも、ベスは自分を偽ることができなかった。ベスは自分に正直で、信念が強かった。だからこそ、ベスに関わった人たちがベスに惹かれていくことは、全く自然な成り行きだった。

『クイーンズ・ギャンビット』はさらに、映像としても十分に目を楽しませてくれた。ベスが大会の場で身にまとうドレスはどれも魅力的で、うっとりさせられる。そして、メキシコ、パリ、ロシアと旅をするベス。大会の会場はどこも感興をそそられる場として描かれていた。

ステキなドラマに出会えてよかった。チェスのことは結局未だにまったくわからないけれど、チェスという言葉を聞くと、反応するようにはなったと思う。いやしかし、そもそも「クイーンズギャンビット」とはチェス用語で、オープニングにおける戦術の一つ、ということらしいのだが、はてさてそれは一体・・・。


本日も長文記事にご訪問いただきありがとうございました。

ベスと対戦したソ連の最強選手たちは、とても紳士的な素晴らしい振る舞いでした。相手を思いやることができる紳士的な振る舞いこそカッコイイ人間、そんな気持ちを今のロシアにもわかってもらいたいと望んでやみません。



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