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チャートウェル ウィンストン・チャーチルの家

1954年11月、国会議事堂のウェストミンスターホール。英国首相ウィンストン・チャーチルの80歳の誕生日をお祝いして、英国議会より肖像画の贈呈式が行われた。

その時のチャーチルの言葉はしかし、喜びを表したものではなかった。画家のグラハム・サザーランド氏が描いたチャーチルの絵は、その時のチャーチルのリアルな姿、老いた男の姿であった。それは、チャーチルには受け入れ難いものであったのだ。

この肖像画を描くため、サザーランド氏はケント州にあるチャートウェル邸を訪れる。その時の様子が、英国王室ドラマ『ザ・クラウン』のシーズン1、第9話で描かれていた。そして、私はチャーチルの家であるこのチャートウェルに興味を持った。調べてみると、家から車で45分ほどのところにあり、ナショナルトラストの管理下で、一般公開されていることがわかった。こうして、私たちは10月の週末、チャートウェル邸へ向かった。

到着間近の車窓からの景色を、写真に収めないではいられなかった。道の両サイドに立つ木々。生い茂る緑の葉が前方に広がり、緑のアーケードを進んでいるようだった。

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時代を遡り、チャーチルがこの道を通って国会議事堂やダウニング街へ向かう姿を想像した。のどかな自然に囲まれた自宅から、国の政治を動かす舞台である都会への移動。緑のアーケードを通りながら、なにを思ったのであろう。


その日はあいにくの曇り空。きっと訪問客も少ないであろうと思っていたのだが、大間違いだった。駐車場にはすでにものすごい数の車が停まっていた。さっそくチャーチル人気を目の当たりにした。

家の中の見学は時間で人数が制限されていたため、庭から先に回ることにした。チャーチルとクレメンタイン夫人が情熱をそそぎ、美しく整備された庭園や花壇。

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チャーチル自らレンガを積み重ねてつくったと言われる、キッチンガーデン。

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クレメンタイン夫人が設計したローズガーデン。そして、夫妻の金婚式を祝って子供たちからプレゼントされたゴールデン・ローズ・ウォーク。

たくさんのリンゴの木も植えられており、落ちているリンゴは自由にお持ち帰りくださいという表示とともに袋も用意されていた。

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チャーチルがこの家を購入したのは1922年、48歳の時。その後66歳のチャーチルは、第2次世界大戦時の1940年、首相の座に就きヒトラー率いるナチスドイツ軍との戦いに挑んだ。

チャーチルのことを語る上で、私がふれたいことの一つ、それは彼が趣味で絵を描いていたこと。

この庭の一角にはスタジオと呼ばれるアトリエがあった。そこへ一歩足を踏み入れると、まるで画家の家に迷い込んだかのような気持ちになった。壁中にチャーチルが描いたたくさんの絵がかけられているのだ。その光景を見て、ジヴェルニーのモネの家がよみがえる。

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カンバスや絵の具、パレットもそのまま展示されている。

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彼の作品は風景画がほとんどだ。このチャートウェルの庭園の景色に止まらず、外遊する際も絵の道具一式を持参し、風景をそのままカンバスに描いていったそうだ。

ドラマ『ザ・クラウン』の中で、肖像画を描くべく画家のサザーランド氏がチャートウェルを訪れたとき、チャーチルは池のほとりに座り、絵を描いていた。

庭の入り口近くにこの池はあった。晩年のチャーチルのお気に入りの場所で、椅子に座りながら絵を描いたり、金魚に餌をあげたりしていたという。ここに置かれているベンチに座って、夢中で筆を動かすチャーチルの姿を想像してみる。

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見学の時間になったので、家の中に入った。

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リビングや食堂、寝室、そして執務室などがそのまま残されており、どれも心惹かれた。

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チャーチルのデスクの上には、第一次チャーチル内閣発足時の国王ジョージ6世とその娘であるエリザベス2世の写真、そしてエリザベス女王の戴冠式の写真が飾られていた。立場は違えど同じ国を治める者同士の国王と首相。2人の間に紡がれた絆は、凡人には知ることのできない、奥深いものであったのだろうか。

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家の本棚に並ぶ無数の本の量にはまた驚かされる。読書家として知られたチャーチル。戦後の選挙で敗れ、一度首相の座を退き、1951年再び77歳で首相の座に就くまでの間、自ら回顧録である『第二次世界大戦』などを執筆している。そして、この本により1953年ノーベル文学賞を受賞しているのだ。どこまでも多才な人だ。

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家の中にはチャーチルの功績を讃える展示もあった。そして、その中にとても素敵な写真を見つけた。

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クレメンタイン夫人と一緒に聴衆の前に立つチャーチル。その写真に書かれていた文字が目に留まった。

"My most brilliant achievement was my ability to be able to persuade my wife to marry me"
”私が成し遂げた最も輝かしい功績は、妻を私と結婚するように説得できたことだ。”

2度も首相としての重責を果たし、ヒトラーとも戦ったチャーチルは、時に孤独と戦うこともあったであろう。そんなチャーチルを影で支えたクレメンタイン夫人が、チャーチルにとってどれほど大切な存在であったか。そして、そんな妻への愛情表現もまた洒落ているではないか。この発言を聞いた夫人は、素直ではないが愛情がたっぷりこもったこの言葉に歓喜したであろう。


チャートウェルに併設するカフェの壁には、大きなチャーチル一家の写真がかけられてあった。家族の愛情に包まれ、国民からも絶大な人気を誇ったチャーチル。どこか人を惹きつける魅力がある。私もこの壁の写真から目が離せなくなってしまった。

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チャートウェルがある町の中心地には、チャーチルの大きな像があった。そして、チャーチルの名そのままのカフェもある。

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この街まで来なくとも、ロンドンの街中でもチャーチルに会える。国会議事堂前のパーラメント・スクエアに堂々と立つチャーチル像。

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ロンドンの街中で会うチャーチルは、立派な政治家としての顔、そして、チャートウェル近くの街にいるチャーチルは、家族と自然に囲まれた温もりのある顔。どちらも英国の偉大な政治家の姿だ。

最後に、チャーチルのことでもう一つ、どうしてもふれたいことがある。

アトリエの前を歩いているときに、窓辺に挟まった1枚のネコの写真を発見した。ネコ好きの私は、どんな場所でもネコの姿は目に入る。そして、チャートウェルのショップでもやはりこのネコ関連のグッズがあった。

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チャートウェルに住んでいるネコなのかと思い調べてみると、チャーチルは動物愛好家、そして大の猫好きであったことがわかった。なんと、チャーチルもネコを愛していただなんて、急に親近感を覚えた。 

晩年を一緒に過ごしたネコのジョック。よくチャーチルに同行して出かけており、チャーチルの最期も看取ったほどの仲良しだったとのこと。そして、チャーチルはこのチャートウェルでこれからもずっとネコを飼い続けてほしいと願ったそうだ。その願いどおり、今でも何代目かのジョックがチャートウェルの敷地で暮らしているという。

冒頭で登場した肖像画は、クレメンタイン夫人の指示によりこのチャートウェルの庭で燃やされたそうだ。


本日もご訪問いただきありがとうございました。また長くなってしまいました・・・


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