『彼女のいない部屋』マチュー・アマルリック監督 来日舞台挨拶全文 ③9月20日 シネ・リーブル梅田(大阪)
『彼女のいない部屋』公開を記念し、9月に来日したマチュー・アマルリック監督。今回は、来日期間中に大阪 シネ・リーブル梅田で行われた舞台挨拶の様子をテキストにてお届けします。
<9月20日 シネ・リーブル梅田 舞台挨拶より>
司会・通訳:坂本安美(アンスティチュ・フランセ東京)
司会:
こんにちは。これからマチュー・アマルリック監督とのティーチインを始めさせていただきます。台風も来ましたけれども、なんとか東京からマチュー・アマルリック監督に来ていただきました。大阪に来るのは初めてだと思いますけれども、こうして皆さんに会えること、本当に喜んでいらっしゃいます。すぐに皆さんから質問や感想をお聞きしたいんですけども、まだ見終わったばかりで余韻を味わっていらっしゃる中かと思いますが、本当にシンプルな質問でも良いので、質問や感想のある方は挙手をしていただけますか。…はい、では後ろから3列目の方、お願いいたします。
質問者1:
今日はわざわざ台風の中、ありがとうございました。主演のクラリスが、仮想現実と本当の現実とを交互に行ったり来たりして話が進んでいくんですが、撮影はどのようにされていきましたか? 家族で過ごしている仮想現実を先に撮ったとか、それとも同時進行で撮られたとか、その辺をお聞かせください。
監督:
こんにちは。ここまで来れて本当に嬉しいです。台風よりちょっと早めに来れたので実現しました。もう行けないよって周りに言われたんですけど、来ました!(拍手)
映画も台風のようなもので、どっちからどういうふうにどういう流れで、というのがわからないもの。現実っていうのも、そういうものではないかと思うんです。順番に物事が進んでいく、秩序だったふうに進んでいく、まあそうであれば良いかもしれないけれども、実際は何かこう希望があったりあるいは何か悩んだり何か記憶が戻ってきたり、というふうにいろんな方向に行きながら、人生って進んでいくんじゃないかと思うんです。それで、今ご質問された方がおっしゃったように、この映画の構成っていうのは本当に想像の部分というのがとても多くて。「想像をしよう」とする仕草というものがこの映画のキーになっていて、現実から出ていくために想像する、想像しようとしている彼女を映していくわけです。
この作品にはクロディーヌ・ガレアという方が書かれた原作があって、実際は上演されることがないままであった戯曲を、こういう形で映画にしたわけなんですけれども。とてもシンプルでありながら、本当に力強い物語であって、最初に想像したものというのが現実と重なり合い交代し合っていく、そういう作りになっています。
本当に辛い、身を切るような思いを味わった時に、人は現実から出て想像しよう、その辛い思いから出るように想像の力をはたらかせようとする。その時というのは真実もまやかしもない、その区別がなくなる。そういう錯乱するような瞬間って誰でもあるんじゃないかと思うんですね。それをクラリスという女性は生きています。
質問者2:
独特のお洒落なセンスは、一体どこからインスピレーションを受けるのでしょうか? 感性がまるで芸術家そのもので、音楽やカメラワーク、台詞すべてに美しさと芸術性を感じていつも圧倒されています。 日常生活において、アンテナを張り巡らせて、何か美しいものを見つけるテクニックを身に付けていらっしゃるのでしょうか?
司会:「おしゃれ」っていう言葉はどういう感じですか?「粋」な感じ?
質問者2:センス、ですね。
監督:
ありがとうございます。映画を撮るっていうことは、ある意味ミュージシャンにもなれなく、素晴らしい恋人にもなれなく、素晴らしい絵描きにもなれなく、すごいお医者さんにもなれないけれども、セカンドチャンスとして映画を撮る、っていうことが可能になるようなところがあって。いろんなものをスポンジのように受け止めて、反響を受け止めて、まやかしというか人工的なものから、やはりものすごくそこに“信じる”気持ちを持って、そこから映画を作っていく、そういう作業だと思うんですね。だからいろんなものを吸収するというのが映画を作る上ですごく重要なことだと思います。
質問者3:
この作品を拝見しまして、様々な感情を感じました。たとえば家族が不在の悲しみとか狂気とか、家族に対する深い愛とかを感じて、私もすごく胸が締め付けられる思いがしたんですけれども、そこが作品の魅力だなというふうに感じました。監督はこの作品の魅力、どのような点に惹かれて、この作品を映画化しようとお考えになったんでしょうか?
また、実際この作品が出来上がって、この作品の魅力とはどういったところなのか、監督の思いを教えていただきたいです。
監督:
まず先ほどもお伝えしたように、「想像しよう」とする身振り、その所作というものが原作の中で書かれていることに、とても興味をもちました。
このクロディーヌ・ガレアの本はとても短く、そんなに厚い本ではありません。先ほどもお伝えしたように一度も上映されたことがない作品なんですけれど、死者と生者の“パラレルワールド”を描いているこの本を読んで、自分と何か近しい、姉か妹がいるかのように感じました。日本ではそういった死者を感じたりとか、死者と共に生きるという文化がもっとあると思うんですけれども、西洋、特にフランスなんかは、死んでしまった人はもう別の場所にいて、ある意味もう脇に置いて生きる。でもそうじゃないあり方もある、ということが描かれているので、やはりぜひこれを映画化したいと思ったのと、映画にした時にこの作品であれば二つのジャンルを同時に行えると思ったんですね。一つはメロドラマ。これはもう本当に真剣…なんていうんでしょう、そこになんの距離もなく、やはりメロドラマをこの映画で描く。そしてもう一つは幽霊、亡霊たちが出てくる。亡霊についての映画。そうしたある意味二つのジャンルを、この映画で実現できるというふうに思ったんです。
どこに現実があるのか、現実っていうのはなんなのか、というのは本当に分からないことというか、分かっていそうでそんなに分からない。そのことを、映画というのは素晴らしい一つのアートの方法として見せる、探究することができるものだと思うんですね。
質問者4:
すごくいい映画で、二回観ました。日本語のタイトルの『彼女のいない部屋』、フランス語のタイトルととても違いが大きいですけど、それについてどう思われるのでしょうか。
あと、フランス語のタイトルから日本の配給会社の方で日本語のタイトルを決めると思うんですけども、その時に何か希望とかは出されたのか、教えていただけますか?
監督:
戯曲の題名は「Je reviens de loin」だったんですね。“遠くから私は戻ってくる”。それを映画のタイトルは『SERRE MOI FORT』、“私を強く抱いて”。これはエティエンヌ・ダオという有名なフランスの歌手の歌からとっている題名です。日本の邦題は全く違いますが、そうやってそれぞれの国の文化が違うパースペクティブを持ってこの作品にアプローチして、この作品の異なる扉を開けていってくれることは、とても素晴らしいことだと思いますし、僕はこの日本のタイトルがとても好きです。日本語の響きも好きです。配給会社の方がつけてくれたことに感謝しています。
例えば黒沢清監督の『スパイの妻』が、フランスでは全然違うタイトルで、溝口健二を思わせるような…溝口健二の『近松物語』のフランス語の題名にほとんど近い題名をつけて、そこに繋がりを見せるという、そういうこともあったりします。だから、それぞれの国の扉の開け方が違うのは、それはそれで良いのではないかというふうに思っています。
「私を抱きしめて」の方がもっと感情的というかセンチメンタルだけれど、「彼女のいない部屋」というと、そこに二つの内容が見えてくる感じ。「彼女」と「部屋」という、この二つの何か二重性みたいなものが含まれていて、面白いなと思います。
質問者5:
今日はありがとうございました。劇中でも使われていたエンディングの曲がすごく印象に残って良かったです。あの曲を選ぶことになったきっかけがあれば教えていただきたいです。
監督:
J.J.ケイルの「チェリー」という曲ですよね。実はこれ、自分が考え出して探してきた曲ではなくて。クレープをみんなで朝食に作っているシーンがあると思うんですが、あのシーンというのは、クラリスが自分の想像の世界で子どもたちを成長させていくんですけども、だんだんだんだん想像の力っていうのが強くなってきて、まるで彼女がいなくても彼らがそこに存在しているかのような、そういったシーンになっていて、彼女は自分の夫をもう一回誘惑しなくちゃいけない。「私ここにいるのよ」って、彼に自分の声を響かせているようなシーンなんですけれども。その時に彼女はあの歌を…ヴィッキー・クリープス、彼女自身があの歌を歌い始めたんです。それで、素敵だなあと思って。また、この映画は雪の中の遭難のシーン、子どもたちを見つけるシーンもあるので、やはり季節を跨いで三度撮影の期間があったんですね。その間が空く中で、やはりあの曲をもう一回使いたいなと思って、車を運転しているシーンで彼女に歌ってもらって。そしてこの曲が、ある意味この映画のテーマ曲になったんです。
質問者6:
本当に、大阪に来ていただいて感動しております。まさかお目にかかれると思っていなかったので感動しています。
この作品は台詞以上にピアノのメロディーがすごく印象的で、本当に力強い旋律で、主人公の気持ちをあらわしているような気がしました。曲はやはりご本人で選ばれたのでしょうか。原作が戯曲だということで、元々ピアノがメインであったのかもしれないですが…監督ご自身はピアノの曲についてどのように決めてらっしゃるんでしょうか。
監督:
まずクロディーヌ・ガレアの戯曲の中では、ピアノの要素がやはり大事な要素としてあって、それはクラリスと娘とのコミュニケーションのツールになっていて、それで娘はピアノと共に成長していく、というのが戯曲の中にありました。
自分もピアノを子供の頃にやっていたんですね。やはりベートーヴェンのソナタとかも聴いていたんですが、ある時やめてしまって、すごくそれは後悔してるんですけど。ある意味この映画のピアノのシーンというのは、自分がピアノを続けていたらこういうふうに弾いてたんじゃないかっていう思いもあって、ピアノへの思いもあって、ピアノのシーンを撮っていたんですけども。このリュシーの役の女優というのは、二人とも子役ではなくてピアニストを選んだんですね。彼女たちは本当に撮影時に弾いていて、それを録音し撮影しているので、全てライブなんですね。それは、先ほどもおっしゃっていただいたように、彼女たちの感情がそこで表現されている。そして、その中にマルタ・アルゲリッチのようなピアニストも登場させているわけですけども、繰り返し繰り返し反復して聴こえてくるのが「ガヴォット」というジャン=フィリップ・ラモーの曲ですね。これがずっと低音のように響いていく。同じ曲がバリエーションとして響いていくようにこの曲を入れています。
司会:
ありがとうございます。まだまだご質問や感想があるかと思うんですが、お時間になりましたので、これにてティーチインを終了させていただきたいと思います。皆さん、誠にありがとうございました。
(拍手)
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■『彼女のいない部屋』映画をご覧になった方に
このページは”映画鑑賞後の方だけ”に向けて作成しました。監督がなぜこのように描いたか、どんなことを考えて演出したかなどをまとめています。ぜひ映画を観た後にお読みください。
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