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Coda あいのうた

1.映画概要

【タイトル】Coda あいのうた
【公開】2022年
【監督】シアン・ヘダー
【主演】エミリア・ジョーンズ
【備考】PG12
 (性的描写が時々出てくるけどそこまで酷くない。親子とかで観るのは少し気まずいシーンありなのでそこだけ注意。)

2.あらすじ

豊かな自然に恵まれた海の街で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から”通訳”となり。家族の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると。顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、以外な決意をし・・・。
(Codaあいのうた公式ホームページより引用)

3.評価

【ストーリー】5/5
【映像】3/5
【演出】5/5
【音楽】5/5

【総合】18/20

4.感想(ネタバレなし)

アカデミー賞の前哨戦ともいわれているサンダンス映画祭で、史上最多の4冠に輝き、史上最高額の約26億円で落札された、どの配給会社やバイヤーも高い評価をしたというこの作品。

家族の中で唯一耳が聴こえることにより、幼いころから家族とずっと一緒の時を過ごし、家族のための通訳となり、生活や仕事のいかなる時でも家族のために尽くしていたルビー。この作品はルビーと家族の絆の話でもあり、ルビーの成長物語でもあり、サクセスストーリーや恋の物語でもあり、コメディー要素を含む面白い物語でもありながら、聾者の日常を思わぬところから知ることができる社会へと切り込む物語でもある。
この作品を観るまで、耳の聴こえない人がいることや不自由な生活とならないようにバリアフリーの工夫が世の中には溢れていると当たり前のように思っていたが、耳が聴こえないということがコミュニティーからの排除や偏見、嘲笑に繋がっている場面がまだ現在の社会にも溢れていることを知り、バリアフリーではなく、考え方から自分は変わらなければならないと強く感じられた。

物語自体はシンプルでありながら、監督によるキャスティングはこだわっており実際に耳の聴こえない俳優をキャスティングしありのままの姿を作品で魅せてくれている。
2022年2月には、全米映画俳優組合賞で最高賞を受賞していることから、今までにはなかった新しい風が映画界や俳優界へともたらされたと感じることもできる。

合唱シーンや歌のシーンはどれも鳥肌が立つほどに良く、映画館などの音響の良い場でこの作品に触れることができ良かったと感じた。(映画館で観ることができたことでよかったと思うことはほかにもあり、ネタバレありの感想にて後述する。)

ルビーの心が家族に留まっていた、自分で自分をこれでいいんだと縛り付けていたルビーの考え方は、ルビーと同じ境遇にない私たちでも同じである。「どうせ何も変わらないし変えられない」「挑戦するだけ無駄だ」「諦めたほうが物事が丸く収まる」
そのように自分自身に言い訳をし、本当の自分がやりたいと感じていることや挑戦から目を背けている、私たち。そのような私たちの背中を歌声と感動と共に後押ししてくれるような、心温まる素敵な作品だった。

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5.感想・考察(ネタバレあり)

耳の聴こえない人の音楽の楽しみ方は、大音量で流すことによる音の振動を身体で感じることというシーンが冒頭にあり、実際に映画館で観ている観客にも振動が椅子から伝わってくるため、このことか…!と体感することができる。この体験は映画館で観ることでしか得られないため、まだ視聴していない人はぜひ映画館で観てほしい…!

歌唱シーンはどれも素晴らしいものばかりであるが、このようなストーリーを描くためには、合唱クラブに所属するルビー以外のメンバーの歌唱レベルを下げ、ルビーがどれほどにすばらしい歌声を持っているかを強調するのがよくとられる手法であると思っていたが、今作では全く違う。
合唱クラブに集まるメンバーは全員歌唱レベルがかなり高く、ルビーが初めて皆の前で歌うとなった時に恐怖を感じ逃げてしまう、その気持ちが痛いほどにわかる。それぞれの歌声がよい特徴を持っており、全てのメンバーが楽しく歌っているシーンは観ていてとても心地が良かった。

その中で合唱クラブの顧問がルビーには可能性があると見抜き、2人で音楽大学を受験すべく特訓をするが、ルビーの『できていない』『歌えていない』歌声と、のびやかに歌う歌声の変化がすごい。これは主演のエミリア・ジョーンズの歌唱レベルの高さだけでなく、歌を用いた演技力がかなり高いことが分かり、この変化を目の当たりにして感動が止まらなかった。

ずっと家族といたルビー。家族なしの外の世界に飛び込むことに躊躇し一度は夢を諦めこれからもずっと家族と一緒にあり続けることを選択するが、ルビーの背中を押したのは、耳の聴こえない家族たち。兄は厳しく喧嘩腰になりながらも、ルビーは家族の中に留まるべきではない、もっと外の世界に行くべきだと強く伝え、母はルビーが聾者であればよかった、話が通じないのかもしれないと恐れていた本音の話をし、父はルビーがどのように歌うのか知ろうとした。このような家族愛に涙が止まらなくなった。直前に合唱クラブの発表会を家族で観に行き、全くわからない置いてけぼりになっている耳の聴こえない家族の疎外感や孤独感を観客に強く感じさせるような描写があったから余計に感動の涙が止まらない。

確かにこの作品は苦しい描写もある。耳の聴こえない人が耳の聴こえる人と同じように冗談を言い合い楽しく過ごしていることを見て嘲笑し、いじめたり疎外感を与える描写もいたるところにある。耳が聴こえないということで腫れ物に触るような扱いを受けつらい思いをする描写もある。でもそのような描写はこの現代社会に未だある偏見であり、事実でもある。この作品によって、耳の聴こえない人も耳の聴こえる私たちと同じ一人の人間であることを改めて感じられ、自分で意識していない偏見を正すことのできる機会を自分に持つことができたと感じた。

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