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狂気は自分の中にある。ホラー映画「ザ・ターニング」感想
め~め~。
ホラーというジャンルも色々ありますが、幽霊が本当にいるのか、はたまた、その本人による妄想の類なのか、というのを気にしながらみるっていうのも、ホラーにおける楽しみ方の一つといえます。
今回紹介する「ザ・ターニング」は、傑作ホラー映画「回転」と同じ「ねじの回転」を原作としてつくられた作品となっています。
富豪の家庭教師となった主人公は、その雇われた家に何か不穏な秘密があることに気づく、といったよくあるテイストの内容となっています。
ただし、本作品は、評価が非常に低い作品となっておりますので、そのあたりも含めて、感想を書いていきたいと思います。
思わせぶりなコパーン。
「カート・コバーンが亡くなりました」
そんなテレビの放送から始まる本作品ですが、このことから、1994年4月8日から物語が動き出していることがわかります。
ロック少年たちからすれば、衝撃的なニュースではありますが、本作品「ザ・ターニング」の内容とは、まったく関係ありません。
一応、屋敷の長男であるマイルズが音楽が好きなようなので、それとなくアプローチするときに使われますが、だからといって、物語の根幹に関わるようなものではありません。
物語については、主人公であるケイトが、ものすごく母性あふれるルームメイトから離れ、今までの生徒たちとも離れた上で、両親を無くした富豪の子供、ブルックリン・プリンス演じるフローラの家庭教師として、お屋敷にいくことで物語は動き出します。
思わせぶりな子供
ケイトが屋敷に入っていくと、壊された人形があったり、フローラの兄であるマイルズが、女性の形のマネキンの胸元にハリを沢山さしていたりと、情緒が安定していなさそうな感じを演出します。
実は、「ザ・ターニング」を聡明な教師が、問題児を矯正していくような金八先生的な物語ではありません。
ケイトは、実をいうと決して良い教師ではなく、あまり相手のことを考えたりできるような人ではないことがなんとなくわかってきます。
フローラは、両親の事故のトラウマで、家の外にでるのを極端に恐れています。
「町にでて、買い物をしましょう」
にもかかわらず、ケイトは家の外に出そうとするのです。
もちろん、広い屋敷の中にいるのは不健康でしょうし、教育的にもよくないのはわかります。
ですが、ケイトは、そんな屋敷の事情を知ってか知らずか、あまりにデリカシーのない行動を繰り返すのです。
町の外にいく、ということ自体は、何か二人の絆になるようなものがあれば問題ないと思いますが、特になんのエピソードもなく行われるので、嫌われて当然だな、という感覚しか残りません。
良い教師が、問題ある生徒と対話を通じて、あるいは、何か屋敷にある不穏な歴史に対して適切に対処しながら乗り越えていく物語なんて思ってしまうと、「ザ・ターニング」は、いつまでも物語が始まらないまま終わってしまうと思ってしまうことでしょう。
主人公は一度心が折れて、元ルームメイトであった女性に電話をしますが、特に何か理由があったわけではなく、「私、戻るわ」と決意してしまいます。
いつの間にか、ケイトの表情は暗くなり、「ローズマリーの赤ちゃん」におけるミア・ファローには及ばないものの、神経質で疲れた表情へと変わっていきます。
何が真実か。
無邪気な子供こそが本当は、悪魔のようだった、みたいなホラー映画というのは非常に多くあります。
映画「エスター」なんかは、孤児であった少女が実は怪物のような人間で、っていうものになっていますし、最近の映画であれば「ミッド・サマー」の監督の「ヘレディタリー」なんかは、明らかに不穏な少女が登場したりします。
ただ、この手のもので考えてしまうのは、子供はもともと無邪気であり、それが、本当に悪いものであるかどうかは、わからない、という点でしょう。
「ザ・ターニング」でも、プールでわざとおぼれたフリをして、ケイトが驚かされたりしており、かなり悪質ないたずらをしていますが、果たして、閉鎖空間にいる子供たちに、どの程度の倫理を求めるのか、というのは難しいところです。
果たして、何が真実かわからず、悪霊の仕業なのか、人間の悪意なのかが、わからないという点が、楽しみの一つになってくると思いますが、本作品においては、原作における恐怖のポイントを理解すると、何がやりたい作品なのかみえてくると思われます。
原点に立ち戻る
さて、冒頭でも「ねじの回転」が原作であると書きましたが、映画「回転」においても、そうですが、この作品におけるポイントというのは、抑圧された性といったところにこそポイントがあります。
原作においては、40を過ぎた独身女性が主人公となっており、子供のもつ純粋無垢さや性的なものに関してこじらせてしまっているのがポイントです。
「ザ・ターニング」においても、マイルズが突然キスしてきたりしますが、本来はもっと抗えない性の誘惑というところがポイントになるところです。
特に、屋敷の使用人にまつわる性的な情事に気づいていく中で、倫理観や、子供の純粋さに対するズレ、マイルズの中にある男性性を含めて、心が揺らいでいくことで彼女は、ヒステリックになっていってしまうというところに恐怖と面白さがあるのです。
「ザ・ターニング」は、片鱗は見え隠れしますが、はっきりとはわからなくなっています。
そのあたりの前提がなんとなく見えていないと、ちょっと幽霊のようなものがいそうな気配や、いうことをきかない子供たちに振り回されているうちに、神経がやられていく女性を描いたものにしかみえなくなってしまいます。
何が現実かがわからない中で、最後、彼女は、フローラの持っていた人形を落とさせてしまいます。
「壊れているんだ」
と冷たく言い放つマイルズ。
もちろん、これは人形のことであり、ケイト自身のことを言っているわけですが、単なる神経がやられてしまった女性の主観的な物語におさまってしまっているのが残念なところです。
ただ、ホラーというジャンルは単に幽霊がでてきたり、殺人鬼がでてくるとかそういうものだけではなく、人間の中にある狂気そのものがホラーにつながっていることもわかる作品となっています。
ちなみに、「ねじの回転」を原作とした作品は他にもありまして、「ザ・ダークプレイス 覗かれる女」なんかもあったりしますが、傑作と名高い「回転」を超えるのは、なかなか難しいことなのでしょう。
以上、狂気は自分の中にある。ホラー映画「ザ・ターニング」感想でした!
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