親が認知症になった時の参考に。映画「ファーザー」感想&解説
め~め~。
家族が認知症になるというのは、ショックでもありますし、同時にどのように接するのがいいかもわからなくなってしまう重大事です。
突然怒り出す。物を盗まれたと言い始める。
その理不尽な言動や行動に傷つく事も多いと思いますが、映画「ファーザー」は、認知症である本人の視点によってつくられた作品となっているところが、画期的であり、同時に恐ろしいところでもあります。
何を考え、何におびえ、どのような感覚をもっているのかをわかるだけでも、本人の気持ちに寄り沿うきっかけにもなると思いますので、参考になる他作品も紹介しつつ、本作の魅力について語ってみたいと思います。
盗まれた真実
アンソニー・ホプキンスが主演を努めておりますが、「羊たちの沈黙」による出演で知っている人も多いかと思います。
近年では、「二人のローマ教皇」にも出演しており、昔から現在に至るまで活躍し、その演技力の高さは、圧倒的と言えます。
そんなアンソニー・ホプキンスが演じるのが、認知症となったアンソニーです。
彼は、ロンドンに住む老人であり、昔に買ったフラット(イギリスでは、アパート等の集合住宅をそのように呼んでいるようです)に住み、満足した生活を送っていたはずでした。
父親に認知症の気配を感じていた娘のアンは、介護人を付けますが、気難しいアンソニーは色々な理由を付けて、介護人をやめさせてしまいます。
「トラップを仕掛けたんだ。腕時計が盗まれた」
アンソニーは、何度も腕時計をどこに置いたか忘れて、誰かが盗んだんじゃないかと勘ぐります。
娘のアンは、あっさり腕時計の場所を言い当てます。ですが、アンソニーは、バツが悪そうな感じもせず、忘れているのか、覚えているのかよくわかりません。
このあたりで、ああ、なんか認知症が進んでるのだな、と観客である我々は思うのですが、この作品は、冒頭でも書いたように、認知症側の視点を書いたものですので、何が真実で何が勘違いなのか、どんどんわからなくなっていくのが魅力であり、恐ろしいところです。
「私、パリに引っ越しするわ」
娘のアンは、恋人とフランスに行くと言い出します。
戸惑うアンソニーですが、その後、どんどんわけのわからない方向にいってしまうのです。
あんたは、誰だ。
アンソニーは、家で紅茶を入れている時、物音に気づきます。
「アン?」
居間に行くと、そこにいたのは、まったく知らない男です。
「あんたは、誰だ」
「アンの夫だよ」
しかも、結婚してもう10年以上経つというのです。
混乱するアンソニーですが、あまりに相手が堂々としているので、逆に、知っているという態度で接します。
「ああ、そうか、そうだったな」
「アンを呼びましょう。君のお父さんの調子が悪いみたいだ」
そう言ってチキンを買いにいって戻ってきた娘は、娘ではありません。
「誰だ」
でも、本人も、アンの夫だという人も、彼女が、娘のアンだというのです。
このあたりで、観客である我々も、いよいよわけがわからなくなります。
何が真実なのか。
映画の中に正しい時間の流れがあるはずですが、我々はアンソニーと同じです。一体、誰が正しいのか。でも、娘と名乗る人の心配そうな顔は、決して嘘にはみえません。
ネタバレをする前に、映画「ファーザー」を見て、思い出した作品について紹介してみたいと思います。
認知症ものの映画といえば、若年性アルツハイマーについて描いた「アリスのままで」という作品もあります。
脳に何らかの問題がでて、その人のことを忘れてしまう、という作品は数多くあります。
真正面からのものではありませんが、アルツハイマーの女性に物語を読み聞かせる「君に読む物語」なんかは、虚実が入り混じったようにみえながら、それがどんな理由で聞かせているかがわかったときの感動は一押しとなっています。
記憶がわずかしかもたないという事実を、美しい物語にした作品の代表ともいえます。
また、記憶ができない、という点を狂気とサスペンスで特化したものといえば、クリストファー・ノーラン監督「メメント」も、脳に障害がある主人公視点の作品だったりします。
物語が新しいできごとから語られるということもあり、観客も混乱します。
連続した記憶が数分程度しか保てない男が、妻を殺した犯人を探す、というアクロバティックな内容となっています。
あとは、決して検索などはしないで頂きたいのですが「さよならを教えて」という昔のゲームも思い出したところです。現実と妄想の区別がつかなくなってしまった主人公の物語となっており、おかしくなっていく主人公を体験できてしまう作品になっていますが、そんな物も昔あったということだけ記しておきます。
何が現実で何が妄想なのか。
実は誰かが、別の人と混合していたり、別の印象で語られていたりするところも面白いです。
古典的な作品を紐解くのであれば、「オズの魔法使い」なんかも思い出すところです。
何もないカンザスという場所につくりだされた物語として、重要な作品となっていたりしますが、それはまた別の機会に。
参考にしたい映画
さて、アンソニーが置かれている状況を、似たような視点で描いている作品として見ていただきたいのは、以前紹介した「ア・ゴースト・ストーリー」です。
これは、シーツをかぶっただけの男が幽霊として、妻と暮らした家にひたすら居続けるのを描いた作品となっています。
ゴーストとなった主人公は、時間感覚がおかしくなっており、ふと気づくと時間が飛んでしまったりします。
部屋から部屋にうつると、妻が知らない男と仲良くなっていたり、次の瞬間には知らない人が生活をしていて、困惑してポルダーガイスト現象を起こしてみたりと、その不安さと感覚は、「ファーザー」と通じるところがあります。
ここからはネタバレ
一応、ネタバレぎりぎりのところで書いてきましたが、ネタバレもした上で感想を述べてみたいと思います。
もし、まだ映画を未見の方であれば、ぜひ、この恐怖を味わった後に見て頂きたいと思います。
さて。
「ファーザー」は、作品世界に酔ってしまう映画となっています。
映画を見終えた後は、自分もいつかこうなってしまうのだろうか、という恐怖がありますし、それに対して自分ではどうしようもないことがわかってしまうのも含めて恐ろしいです。
目の前で話をしていても、前提条件がわからなければ、それが、自分に危害を加えてくる人なのか、はたまた、自分を心底心配して助けようとしてくれている人なのかもわかりません。
「ルーシーとは、しばらく会っていない」
下の娘の名前を出すたびに、アンがなんともいえない表情になるのですぐ気づきますが、ルーシーが死んだということを、アンソニーは忘れています。
忘れているほうが幸せでしょうから、介護人のローラが「事故は残念でしたね」といわれても、なんとなく聞かなかったことにするあたりが寂しい限りです。
ちなみに、映画「メメント」の中でも言及されていたのですが、認知症やアルツハイマーなどの患者が、その相手を忘れていたとしても、覚えている振りをするという描写について語るシーンがあります。
「知ってそうな相手をみたら、それらしい振りをする。正常に見せるためだ」
記憶を継続できないサミーという男の悲しいエピソードは一見してほしいところですが、今回は、「ファーザー」でその怖さを感じていただきたいと思います。
アンソニーの、その姿勢は最後まで変わりません。
「君の名前は、なんといったか」
演出の面白さ
「ファーザー」で面白いのは、その演出方法です。
アンソニーは、クラシック音楽をCDで聞きますが、音の調子が外れてしまうときがあります。
プレイヤーが悪いのか、CDが傷ついているのかわかりませんが、CDであっても音がおかしくなってしまうことはあるものです。
アンソニーの記憶は、そのCDが音飛びして、また同じところを繰り返しかけてしまうのと同じように、何度も何度も同じような場面を再生します。
何度もチキンを食べ、そのチキンを食べたことも忘れてしまう。
今が何時かもわからず、パジャマを着替えなければと思っている間に、気づくと夜になっている。
夜の8時だというのに、いつまでも明るい。
部屋の中が、自分の家なのか、娘の住んでいる家なのかもわからなくなる。
それは、観客である我々も同じです。
全体を知らないままで見ていると、どこまでか正しいのかさっぱりわからず、アンソニーと同じ感覚に陥ってきます。
で、そのループしたような世界に慣れてきたあたりで、
「今日は、お客さんが来るのよ」
と娘に言われて、下の娘であるルーシーと同じ金髪の若い介護人がくるんだろうと思って、わくわくしているアンソニー。
観客である我々も、ローラのことをアンソニーは気に入ったんだなと思っているし、その映画の編集や撮り方に慣れてきたところで、ずらされます。
現れた女性が、予期していた人物とまったくの別人であると同時に、かつて、娘のアンだと名乗った人だと気づいて、ますます混乱します。
この人は一体・・・。
この作品の時系列
野暮なことになりますので、どのような時系列で物事が発生したのか、ということの詳細は書きませんが、おそらく、観客である我々が見ているこの映画の時間軸といいましょうか、アンソニーがどこにいたのかということは書いておいてもいいかと思います。
観客が見ていたのは、アンソニーが老人ホームのような施設に入ってからの妄想や認知の相違した世界だったと思われます。
話はずれますが、トラルファマドール星人によって時間の感覚が変わってしまった男が、ドレスデンの爆撃やその後等をいったりきたりする「スローターハウス5」や、テッド・チャンの原作「メッセージ」なんかも、似たような飛び方はします。
ですが、アンソニーの場合は、あくまで、老人ホームに入って認知症がより悪化していく中で、自分の過去の記憶と今の現実がごちゃまぜになっていくことで発生したものだと思われます。
もちろん、記憶の元となる事実が発生したときも、認知症による影響はあったでしょうが、主に老人ホームに入ってからの出来事だと考えられます。
とはいえ、全ては、老人がみた妄想だったと片付けるにはあまりに雑なまとめ方といわざるえません。
一瞬気づかないですが、ジムという奴は、施設の老人に暴力をふるっていることも暗に示されています。
後に施設の従業員であるジムと呼ばれる男と、娘の旦那だと言っていた男(ジェームスか、ピーター)が、同一人物となっていることからも、推測できるところです。
ジムという男が、どこの誰かということがわかる前だと、「あなたは、いつまで私たちをイラつかせるんだ」といって、強い態度をとってくるシーンがありますが、これが施設の従業員であるジムだとすれば、入居者に対する単なるいじめです。
名演
「ファーザー」は、ほぼ室内で撮影された作品となっており、場面転換は唐突です。
おそらく、並みの演出と、並みの役者が演じていたのであれば、とても見れたものではない作品となっていたはずです。
アンソニー・ホプキンスの演技は、物語のラストでさらにわかります。
「アンソニー。いい名前だろ。ママが付けてくれたんだ。ママは? ママに会いたい」
一気に、幼児退行するアンソニー。
今まで彼の内面を映像でみてきたからこそ、彼が、幼い日にどのように戻ってしまったかの推測ができてしまいます。
葉が落ちるように記憶を無くし、できないことばかりになっていく。
誰しもが老いて死ぬことはかわりありませんが、何もかもが失われていくアンソニーを見ていると、他人事ではないことが身に沁みますし、介護する周りの人間がいかに大変かも痛感するところです。
「横になる所もわからない」
あまりに孤独に陥った彼が、母親を求めて泣く姿は、いつまでも心に突き刺さります。
自分で自分の感覚が信じられなくなるというのは、本当に恐ろしいことです。ですが、そんな強烈な孤独感を追体験させてくれる作品が「ファーザー」となっています。
見たことのない方は必見ですし、現に近しい人に、同じような状態の人がいた場合は、辛くてみることができない人もいるかもしれません。
ですが、認知症に対する理解の一助にはなる作品ですので、向き合ってみる意味でも、大変意義深い映画です。
以上、親が認知症になった時の参考に。映画「ファーザー」感想&解説でした!
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