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感情の制御ができなくなったらオススメの映画「インサイドヘッド」

誰しも、こんなことを言うつもりじゃなかった、ということを平気でいってしまったりして後悔をした経験があるんじゃないでしょうか。

感情というのは時に複雑です。

嬉しいことばかりではありませんし、かといって、悲しいことばかりでもありません。

人間が人間になっていく過程で、様々な経験を踏まえて人は成長するものですが、そういった、人間の頭の中の成長をわかりやすく描いた作品として、ピクサーによる「インサイドヘッド」が大変オススメです。

また、何かツライことがあって、苦しんでいる人も、この映画をみることで、自分の今の苦しみとどう向き合うべきか、ということも教えてくれる、映画になっておりますので、一度はみてみていただきたい作品となっています。


では、さっそく、そんな「インサイドヘッド」の感想と、簡単な解説を行っていきたいと思います。

それでは、メ~メ~。


ごくごく平凡な女の子


突然ですが、主人公であるライリーという女の子は、いたって平凡な女の子として描かれているのが特徴です。

「これは、あなたの物語」

と映画のキャッチコピーである通り、特別なお姫様の話でもなく、突出した能力をもつスーパーガールの話でもありません。

あくまで、平凡な女の子というところがポイントです。

物語づくりのきっかけとなったのは、「インサイドヘッド」の監督であるピート・ドクターの娘の変化にあったそうです。

11歳ぐらいから娘が、以前とは雰囲気がかわり、その変化に戸惑ったことが作品作りのきっかけとのことですが、まぁ、いわゆる思春期に入ったということでしょう。

そのため、「インサイドヘッド」は、特別な物語ではなく、非常に普遍的な物語として作られているのです。

ライリーという女の子は、愛嬌はありますが、決して美人には描かれていませんし、アイスホッケーをやっているとはいえ、特別優れているわけでもないところが特徴です。

この作品は、誰にでも起こりえることを描いているという前提で、それでも、その頭の中で行われている感情たちのやりとりを取り扱っているところにポイントがあります。

さて、そんな前提の上、さっそく物語の中身に入ってきます。


感情たちの仕事

本作でわりきっていて面白いのは、人間の感情を5つに限定していることです。

喜び、悲しみ、ビビリ(恐怖)、ムカムカ(嫌悪)、怒り。

そのそれぞれのキャラクターが、頭の中(?)にあるコントロールパネルをいじりながら、人間の行動に影響をあたえている、というのが設定として描かれます。

漫画でいうと、「超人間要塞 ヒロシ戦記」という作品が思い出されるところです。
人間の頭の中に、一つの王国があり、その中でああでもないこうでもないとやっている、という発想そのものが非常に面白いところです。

また、何か感情が動いた時に、想い出ボールという大きな玉がつくられて、それに応じて、人間の心が形成されていく、という描写も面白いところです。


両親との思い出によって、家族の島ができあがり、友達との関係で友情の島ができる。

人間というのが、思い出の積み上げによって、形作られていくのがよくわかります。


ライリーは、ミネソタ州でアイスホッケーを楽しむ女の子でした。

ですが、親の仕事の都合で、サンフランシスコに移り住むことで環境がかわり、頭の中の状況もいっぺんしてしまうのです。

子供のころに環境がかわるというのは、よい場合もあれば悪い場合もあります。特に思春期が近づいた子供であればツライ思いをすることも多いものです。ですが、同時に、そんなことがあったからこそ、感情が育っていく、という過程も見せてくれています。


悲しみはいらないのか。


物語をみているとすぐに気づくことですが、悲しみが蔑ろにされる傾向がみられます。

特に、ライリーの頭の中を取り仕切っている喜びは、悲しみを嫌ったりはしませんが、「円の中から出ないで」と言ってみたり、ライリーの感情操作になるべく関わらせないようにします。

ただ、これがあまりいい結果を生まないことは、なんとなく、わかるのではないでしょうか。

喜びばかりを押し出して、ツライことや悲しいことについて、見てみぬフリをしていると、やがて、感情の制御が難しくなってくる。それは、大なり小なり、経験していくことでしょう。

11歳ぐらいであれば、悲しみはあまりないかもしれませんが、引っ越しというイベントを経て、ライリーは、学校にもうまくなじめず、その心からは、喜びと悲しみが失われてしまいます。

作中では、偶然の事故のように悲しみと喜びが司令部からいなくなってしまいますが、ビビリ(恐怖)がいなくならないことを考えると、ある意味において必然として描かれているのがポイントです。

我々の心からは、喜びや悲しみは失われても、それ以外はなかなか無くならないのでしょう。

ただし、本当に心の状態を放っておいたら、怒りも恐怖も、すべていなくなってしまうのかもしれませんが。

記憶にいる友達

ライリーの感情を動かす司令部から、記憶の貯蔵庫に飛ばされてしまった喜びと悲しみは、ライリーの様々な場所を旅することになります。

いらなくなった記憶を捨ててしまうものや、物事を抽象的にとらえたりする施設、夢をつくるスタジオなど。

頭の中のとらえ方が非常に面白く作られています。

その中で、出会うのがビンボンです。

ビンボンは、ライリーが幼いころに一緒に遊んでいたイマジナリーフレンドです。

イマジナリーフレンドといわれると、あまりなじみがない人もいるかもしれませんが、俗に、小さい頃から親と寝る場所がわけられていたり、早い自立を促される海外の子供たちには、イマジナリーフレンドという架空の友達がいることが多いそうです。

もちろん、海外に限る話ではありませんが、イマジナリーフレンドが年齢を重ねるにつれて、薄らいでいってしまうというのは、子供が成長していく上では、必要なものとなっています。

そんなライリーのイマジナリーフレンドであるビンボンと出会い、その中で司令部に戻ろうとするというのが、物語の推進剤となっています。


何かを失って人は大人に

機動戦士ガンダムでお馴染みの富野由悠季監督曰く、大人になるということは、大切なものを失って後悔することだ、みたいな話もありまして、ライリーもまた、生まれ育った場所を離れ、友達ともインターネット等をつかって繋がってはいるものの、今までの生活を失ってしまった、という状況になります。


物語の後半では、ライリーが家出を決心してしまう、というところで、かつての状況を取り戻そうとしますが、それが、どっちにころんだとしてもうまくいかないことは想像するに難しくないところです。


バスに乗り込むときのライリーは、コントローラーの機能が失われてしまっている状態として表現されていました。

鬱状態になってしまっている人の心理をよく表しており、ここまで来てしまうとなかなか戻ってこれなくなるのは間違いありません。

もし、ライリーがバスに乗って、戻れないところにきてしまった場合、彼女は、さらに悲しい想い出をつくり、それが原因で彼女にとってはよくない記憶の島がつくられてしまったに違いないのです。

ただし、「インサイドヘッド」で示唆されているのが、人が道を踏み外そうとしているときであっても、過去の想い出によって、つなぎとめてくれる、ということを教えてくれているのが素晴らしいです。

想い出の色は変わる。

悲しみが、想い出に触ると色が青くなってしまう現象が発生し、喜びは、慌てる場面がよくありました。

ですが、一見、悲しみはどんくさく、役に立たない上に、余計なことをしてしまういらない存在のように思えてしまうところでしたが、実は彼女(?)もまた、人間にとっては必要な感情だったことがわかってきます。


父親が仕事の為に外にでていってしまったとき、かつての楽しかった記憶は悲しみに変わります。

これもまた、誰にでも起きることです。

仲の良かった友人の過ごした記憶が素晴らしくても、その友人とケンカ別れしてしまったら、その想い出は、悲しみの記憶とともに思い出されることでしょう。

うれしい想い出と辛かった記憶もまた、同居する場合があります。

子供の頃のライリーは単純に、楽しいことや悲しいことが分かれていましたが、成長するに連れて、複雑な感情が入り混じることになります。


ライリーもまた、環境の変化によって何かを失い、そして、失いながらも自分の感情を豊かにしていったことがわかるのです。


親の立場からすれば、悲しくもあり、理解できない現象かもしれませんが、我々もまた当たり前に通過した、あるいは、していくことであり、それが、わかりやすく描かれているという点で、「インサイドヘッド」は、優れた作品となっています。


他人の気持ちも考える


「インサイドヘッド」は、学者に話を聞きながら制作したということもあり、人間の感情の動きが正確に描かれていることも特徴です。

ライリーについては、喜びが中心にいて、それぞれの感情が役割をはたしているような状態になっています。

ライリーのパパとママの頭の中身もでてきますが、表面的なところにでてくるやり取りとは別に、頭の中のやり取りもまた面白いところです。


ライリーが学校でうまくいっていないことを察したママは、パパに支援をもとめますが、全然別のことを考えていて役に立ちません。

我々が目に見える形で感情を表にだすまでには、色々な動きがあることがわかります。

また、ライリー親子のそれぞれのキャラクターは比較的似た役割となっています。

親子だと価値観や考え方が似てくることも表していると思われます。

また、エンディングには、様々な人の頭の中身が投影されます。

色こそ違っていても、どれも怒りの感情だけで頭の中ができている人もいますし、猫にいたっては、まともにコントローラーの前にすらいません

でも、自分の頭の中の感情の中心にあるのが、5つの感情のどれなのか、あるいは、調子が悪いとき、どれかの感情が迷子になってしまっていないか、を考えることができる為、自分自身をモニタリングするときのツールとしてもつかえるのが面白いです。

また、頭の中で感情が迷子になった状態はどういう状態なのかをわかることで、誰かの気持ちを察してあげることもできますし、自分の動きもわかるようになる、というものです。


重ねて言いますが、「インサイドヘッド」は、ライリーというごくごく平凡な女の子の頭の中となっており、だからこそ、特別な出来事は発生していません。

誰にでも起こりえることだからこそ、キャッチフレーズもまた「これは、あなたの物語」となっているのです。

以上、感情の制御ができなくなったらオススメの映画「インサイドヘッド」でした!


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