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貴方はどんな感想を。ワンスアポンアタイムインアメリカ

め~め~。

映画の世界において、長時間ではあるものの、面白い映画や、見ると深い感動が得られる作品というのはいくつかあります。

何部作かに分かれているものや、シリーズものというのは、区切りがある事でメリハリがありますが、単純に3時間を超える作品というのは、いくら面白くてもなかなか手をつけずらいのが実情だと思います。

そんな中、3時間49分の映画「ワンス・アポンアタイム・イン・アメリカ(完全版)」について、感想を語ってみたいと思います。

ちなみに、2012年には、さらに40分追加された「レストア版」、2014年にはさらに22分追加された「エクステンデッド版」が公開されたりしていますが、あくまで、視聴しやすい完全版の感想となっております。

名監督の遺作

「ワンスアポンアタイムインアメリカ」を作ったのは、「夕陽のガンマン」ですとか、「荒野の七人」で知られる巨匠、セルジオ・レオーネ監督となっております。

言うまでもないかもしれませんが、監督・俳優としてもトップクラスの存在となっているクリント・イーストウッドもまた、セルジオ・レオーネ監督「荒野の用心棒」によって、一気に知名度を上げております。

マカロニ・ウエスタンの監督というイメージが強いところですが、「ワンスアポンアタイムインアメリカ」は、セルジオ・レオーネ監督の遺作にして、代表作の一つになっており、映画好きであれば避けて通ることのできない作品でもあります。

本作品は、その後の、数多くの作品に影響を与えています。

マーティン・スコセッシ監督によるマフィアものの映画にしてもそうですし、クェンティン・タランティーノ監督による「ワンスアポンアタイムインハリウッド」なんて、タイトルからしてそのままなぐらいです。

「ゴッドファーザー」にしても何にしても、この大きすぎる作品を避けて通ることはできないといってもいいかと思います。

さて、そんな「ワンスアポンアタイムインアメリカ」ですが、難しい話ではありません

あの頃をもう一度

物語の内容は、ロバート・デ・ニーロ演じる主人公ヌードルスの少年時代から、老成して再び町に戻ってきたところを描いています。

この映画は、4時間近い長尺ということもあってか、難解だと言われてしまうこともある作品ですが、その理由として、時系列がいったりきたりする、というところがあるかもしれません。

映画の公開当初は時系列が整理されてしまったものが公開されてしまい、評判が悪かったという話もあるそうですが、この物語を理解する上で、この時系列がいったりきたりすることによる効果は絶大です。

現実か、妄想か。

考え方はいくつもあるかと思いますが、本作品は、年をとったヌードルスが、地元に戻ってくるというところから始まります。

ビートルズの「イエスタディ」が流れるあたりといい、タイトルといい、いずれも主人公が、昨日や、かつてをひたすら思い出したり、悔やんだり、する話ということがこれでもかと強調されているのも面白いところです。

そして、友人のファット・モーの店にいき、そこで、トイレから食糧庫を覗き見るところから、本格的に回想、あるいは、妄想がはじまるというつくりになっています。

少年時代に戻った彼は、ファット・モーの妹のデボラのことを見つめています。

彼女は、食糧庫の中でバレエの練習をしているのですが、ヌードルスはそれを盗み見ているのです。

デボラもまたそのことを知っていて、わざとヌードルスの気を引くような行動をしています。

非常に気位が高いデボラですが、デボラもまたヌードルスのことを憎からず思っているところなのがポイントです。

基本的なつくりとしては、老人となったヌードルスが少年のころから、現在にいたるまでを思い返すというつくりになっていますが、実は、信用できない語り手と呼ばれるものと考えることもできるつくりになっています。

基本的には物語を信じてみていかないと混乱してしまいますので、基本的に映像に映っていることを信じつつ、片一方で、もしかすると妄想かもしれない、と思わせる部分があるのがポイントです。

彼の一番いい時代

ネタバレを前提に物語を話していきますので、もし、気になる方は、ご覧になってから戻ってきていただければと思います。

ヌードルスは、少年時代に出会った男マックスと友情を深め、仲間たちとともにお金を稼ぎ始めます。

アメリカに来る移民は多く、生きるだけでも大変な時代です。

そんな中、勇気とアイデアによってお金を手に入れることができたヌードルスでしたが、長い年月刑務所に入ることになってしまいます。

刑務所の中で生きている彼を支えていたのは、ファット・モーの妹であるデボラでした。

ですが、年月は彼女を変えてしまっているのですが、ヌードルスは気づきません。

マックスたちは、ヌードルスを見捨てることなく、マフィア的なことを行いながら生き抜いており、刑務所から戻ってきたヌードルスを迎え入れます。

子供の時には考えもしなかったような生活をするヌードルスですが、マフィア業で成功し、愛するデボラを連れて、レストランに行っていたときの彼が、人生でもっとも輝いていた時でした。

ちなみに、ヌードルスは少年時代から長らく刑務所に入っていた為、どこかちぐはぐなところがポイントです。

ハリウッド女優になるというデボラをレストランに連れていき、貸し切りにするあたりはいいのですが、その後に、草むらの上に座ってお話する、というのはいかにも少年っぽいところです。

「明日、ハリウッドに行くわ」

といって、自分の気持ちについて全然気にもとめていなかったことにいらだち、ヌードルスは彼女の暴行を働く始末です。

その後彼は、いわゆる阿片窟へと入り浸ったりします。

少年の成長を描く

これは余談ですが、お金を渡すだけで身体を許してしまう女性ペギーが、少年時代のヌードルス達の中で印象深いキャラクターとなっています。

後半もしっかりでてきて、実は、マフィアのみんなは義理堅い人たちなのだろうと思うわけですが、少年期においては特に重要なキャラクターとなっています。

ペギーは、ヌードルスに「クリームたっぷりのケーキをもってきてくれたらいいわ」

と言ってきます。

ヌードルスは、デボラという好きな女の子がいるにも関わらず、その気になってしまうのですが、その話を聞いたパッツィが、5セントものお金を払ってケーキを買うところが面白いところです。

ペギーのところにケーキを持っていくパッツィですが、たまたまシャワーを浴びているところだった為、部屋の前で待たされている間に、食欲に抗えず、食べてしまいます。

少年たちは、まだまだ子供であり、性的なものよりも、食い気がまさる、というのは、非常にほほえましいエピソードであり、今の時代では、絶対にできない表現でもあります。

少年時代はほほえましくも、男尊女卑的な時代をうかがわせつつ、青年になったヌードルスを待ち受けているのは、禁酒法時代における上下社会というものでした。

上には上がいる。

ジョー・ペシが大ボス的な役割ででてきたりするわけですが、特に当時の社会というのは、暗黒街の顔役的な人たちがいて、ちょっと、勢いにのったような若者なんてあっという間に消してしまうことができる時代です。

禁酒法時代に活躍したマフィアといえば、アル・カポネが有名ですが、輝かしい側面もあれば、暗黒の面も発生する。特に、陰影の濃い時代が描かれている為、「ワンスアポンアタイムインアメリカ」における表現は、現代社会では描きにくいところでしょう。

ヌードルスは、だれかに頭を下げるのが嫌でマフィアまがいのことをして、且つ、つかまってしまったにもかかわらず、友人であるマックスは、だれかのご機嫌とりをしており、二人は、よくも悪くも深いところで対立してしまいます。

一方で、マックスという男は、少年時代のころからヌードルスに対して並々ならぬ友情があることも随所に見られます。

デボラとヌードルスがキスをしようとするシーンでは、それが暗示されています。

ちょうどいい場面で、マックスの声がかかるのです。

偶然と思われるところですが、マックスは「キスは下手か」ときいているので、わかっていたはずです。

あえて邪魔をする必要がないにも関わらず、邪魔をする。

ひねくれた男の友情が透けてみえるところです。

ラストの解釈

本作品は、阿片窟で阿片を吸いながら、ふと笑顔になるヌードルスで終わります。

これぞ編集の妙といったところですが、この映像をみると、全ては阿片をすってみた夢のようにも思ってしまうところです。

もちろん、そういう風にもみれるように作られているところがまた面白いところではあるのですが、少なくとも老人であるヌードルスが嘘とは思えません。

ただ、都合のいいところは妄想が入っているような気がしますので、私的な解釈だけ述べて、感想を締めたいと思います。

特にデボラの描写ですが、現代におけるデボラは、舞台で主演を張っています。

つまり、現役でも活躍している女優ということになるわけですが、ファット・モーの店には、若いころの白黒のデボラの写真しかありません。

もし現役ばりばりで活躍しているのであれば、最近のポスターだって貼ってあるはずです。

また、デボラは、多少目じりに皺があるものの、若すぎる容姿です。

予算の兼ね合いもあったかもしれませんが、謎のベイリー長官の愛人でもあるという設定も含めて、都合がいい部分がみえかくれしています。

ファット・モーが、今や大スターだ、といっているセリフもあるので、どこまでが真実か、というのも含めて、どこまでも疑えるようにはなっています。

実は、本編を貫く謎として、隠遁生活をしていたヌードルスのもとに届いた手紙の主が誰なのか、というところです。

ヌードルスがそう思い込んだだけではないかとは思ったりもするのですが、特に、未来のマックスがあまりに出来過ぎています。

死んだと思っていた友人が、実は名前や経歴を変えて生きていた。

しかも、自分を殺して欲しいと頼む。

都合のいい脱出口まで用意していて、マックスと書かれたごみ収集車がやってくる。

あの頃を思い出してしまう男の悲しい妄想と取るしかできないようなカットです。これが事実だとすれば、あまりに滑稽といわざるえません。

ただ、このやり取りがあるからこそ、二人の少年時代から老人になるまでの決して離れることのない友情の結実をみることができる、という点があったりします。

禁酒法時代前後のマフィアの世界を描き、且つ、その中で揺れ動く人たちを描いている傑作となっており、内容がマフィアものだから、興味がないという人もいるかもしれませんが、圧倒的な面白さは、上映時間の長さを感じさせないものとなっております。

以上、貴方はどんな感想を。ワンスアポンアタイムインアメリカでした!


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