おっさん活躍映画。ヴィルヌーヴ監督映画「ボーダーライン」感想
め~め~。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督といえば、「複製された男」や「メッセージ」等で知られる監督であり、様々な作品をだしている人物でもあります。
「ボーダーライン」は、メキシコにおける麻薬組織をつぶそうとする、常識と現実の狭間で揺れ動くFBI捜査官を描く骨太の作品となっています。
飛び散る血と爆発。
息つく暇もなく訪れるイベントに驚きつつ、感想を書いていきたいと思います。
貴方はどちら側か。
「ボーダーライン」は邦題となっておりまして、原題は「Sicario(暗殺者)」となっています。
一体、誰が暗殺者であるのか、真の主人公とは誰なのか、といったところも含めて、どんでん返しがあります。
ただ、邦題である「ボーダーライン」も、非常に面白い名づけ方となっており、内容を反映しているいい題名となっています。
内容をざっと、説明しますと、メキシコの麻薬がアメリカ内に流れ込んできており、主人公であるケイトは、その麻薬の卸売りしているところを検挙したりしています。
その彼女が、CIAにスカウトされて、メキシコとの国境(ボーダーライン)となっている町へ行き、麻薬組織と対峙することの現実を知る、ということが主な内容となっています。
街の中に平気でつるされている遺体の数々。
「花火は好きか?」と言われて毎夜行われる銃撃戦を見せられる。
控えめにいって、地獄のような場所となっています。
そんな現実の中、女性捜査官であるケイトは、どうしていくのか、というところが見どころとなっています。
狂気の人たち
ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロが、本当の主人公であるのですが、彼は、ボーダーラインをとっくに超えている男です。
ケイトもまた、「ちゃんとした服を着ろ」とか同僚に言われていて、ケイト自身もまた、自分のことを少し頭がおかしくなっているという風を装っています。
色々な過去がありつつ彼女は、麻薬組織の壊滅に尽力しているのですが、巨大になりすぎた組織を摘発するためには、捜査官自身もまたまともな戦い方ではやっていけないことがわかってきます。
「トレーニング・デイ」のように、悪徳警官の日常に疑問を覚えていくルーキーの話とは違い、「ボーダーライン」では、法律違反スレスレのところで戦うしかない人たちを描いたところにその狂気の境界線がわかるところです。
主人公であるケイトもまた、死体だらけの家を見たり、大爆発に巻き込まれたり、死にそうになったりしますが、本当の地獄というのは、まだまだそんなものではなかった、ということがわかります。
観客である我々もまた、何を信じればいいかわからない状況を楽しむことになるのです。
おっさんたちの活躍
ジョシュ・ブローリン演じるマットも、ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロも、登場したときは食えないおっさんにしかみえません。
ケイトも胡散臭い人たちぐらいにしか思っていなかったでしょうが、そのおっさんたちののらりくらりとしながらも、気づくと、こんな訳の分からないおっさんたちに頼りながらじゃなければ、麻薬カルテルにダメージを与えることができないのだ、ということがわかってくるあたりに、ゾクゾクしてくるところです。
言葉巧みに国境を越えた人たちから情報を聞きだりしたりする手腕は、ケイト視点でみると、信じられない行為ですが、おっさんたちからすれば、効率的な方法なのです。
「奴(組織のボス)を見つけることはワクチンの発明に等しい。多くの命を救える」
その現実にぶちあたるケイトの表情は見ものです。
勿論、ケイト達はそんなやり方に対して抗議をしたりしますし、FBIの上司に言ったりしますが、なだめられてしまいます。
「我々は麻薬戦争に勝っているか?」
「いいえ」
「マット達が混乱を起こし、ミスを待つ。この作戦は、遥か上の決定だ。超法規的な措置を気にするなら大丈夫だ」
ケイト達は、現実の大きさを知っていきます。
主人公交代
さて、本作品の見どころはいくつかありますが、楽しく団らんしていた麻薬組織のボスのところへいくところもそうですが、本記事においては、やはりケイトに寄り添ってみたいと思います。
物語のラストのネタバレになりますので、気になる方は、映画を見てから戻ってきていただければと思います。
ケイトは、誓約書にサインを求められます。
内容は、作戦はすべて法規に則って行われたものだ、ということを認めるといった内容のものです。
「サインはできない」
と彼女は言います。
サインをするということは、超法規的なことをやっているのを認めることになってしまいますし、自分自身が、そちら側にいってしまうことも意味します。
すでに、そのサインをさせられる時点で、ケイトの心はとっくに折れてしまっています。
アレハンドロは言います。
「小さな街へ行け。法秩序が今も残る場所へ。君に、ここは無理だ。君はオオカミではない。ここはオオカミの地だから」
アレハンドロがいる地、メキシコであり、その麻薬組織が暗躍している場所については、すでに法秩序がないことをハッキリと言っています。
法治国家に住んでいる我々としては、このセリフはかなり重たい意味を持つといっていいでしょう。
ケイトは、アレハンドロに銃を向けますが、結局撃てません。
もしここで銃が撃てるのであれば、彼女は、残ることができる人間だということです。法を遵守しなければならないのですが、その法を超えなければ、誰かを守ることができない。
その矛盾を抱えることが結局、ケイトにはできなかったのです。
「ボーダーライン」は、激しい戦闘があったり、血肉が吹き飛ぶすさまじい演出もありますが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品なだけあって、一筋縄では終わらない作品となっています。
善悪であるとか、守るべきものであるとか、自分自身の倫理観含めて、いったいどうするべきなのか、ということを問いかけ、人間に揺さぶりをかけてくるような作品となっています。
あと、渋いおっちゃんの活躍がこれでもかと見れますので、気になった方は、ぜひとも見返してみてもらいたいと思います。
以上、おっさん活躍映画「ヴィルヌーヴ監督映画「ボーダーライン」感想でした!
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